2009年9月 9日 (水)

「恐い映画」について思うこと・番外編その2

 ここの所、毎晩、一話か二話ずつ「怪談」シリーズと「怪奇十三夜」のDVDを見ているのだが、古い記憶に残る場面をそこここに見い出して「ほっ」とする思いを覚えたり、名優と呼ばれる人々の演技――特に、ちょっとした仕草や目の動き、全身から滲むように感じ取れる特別な雰囲気など……そういったものから、今どきのドラマを見るよりも遥かに濃密で満足度の高い時間を過ごした気分になったり、非常に楽しい。
 そんな中で、昨夜見た「怪談」シリーズの『地獄へつづく甲州路』は、放映当時に見逃していたものらしく、筋立ても出演者も記憶にない作品であったのだが、これが物凄く恐かった――と言うより、恐くて悲しくて余りに哀れで、思わず涙してしまった。
 一言で言えば「渡世人が亡霊にとり殺される話」なのだが、人斬り稼業の渡世人が亡霊に悩まされる、という設定からして恐いのに、その渡世人・政吉役が成田三樹夫さん、政吉に殺されて化けて出る土地の侠客・信次郎役が寺田農さん……その迫力たるや、推して知るべしと言おうか……。
 かつて、甲州・若神子村で、一宿一飯の恩義から、信次郎とその子分らを斬殺し、街道筋では「五人斬りの政」と呼ばれる政吉が、三年の後に再び甲州路へ足を踏み入れるや、付かず離れず纏わり付き始める信次郎らの亡霊――年貢の取り立てに苦しむ百姓衆の為に、命を張って代官所へ強訴に赴く途上で殺された彼らの怨みは深く、信次郎の後を追って首を吊った母親も亡霊となり、藁人形に五寸釘を打って政吉を呪う。
 人の命など露とも思わぬ、凡そ恐怖という感覚から最も縁遠そうな政吉が、じわじわと亡霊らに追い詰められるうち、恐怖を覚え始めると共に、皮肉にも、人間らしい心が次第に戻り掛け、図らずも助けた娘・おせんに慕われ、両目に傷を負ってその世話になるうち、やっと「人斬りは今日限りやめる」決意をするが、その直後、逃れ得ない状況に追い込まれ……結末は本当に、恐いと言うより哀れ極まりない。特に原作はないらしいが、脚本の担当は、竹内勇太郎さんという方である。
 因縁話には違いないが、必要以上に作り過ぎず、巧みな展開と演技陣の鬼気迫る熱演に、単なる怪談話に留まらないものを感じて、ついつい引き込まれるように一気に見てしまった。
 劇中で、政吉が自らの因果な運命を返り見て呟く「こいつはうまく出来てやがる」という台詞そのままの、非常に巧く作られたドラマであった。

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2009年9月 5日 (土)

「恐い映画」について思うこと・番外編

 悩んだ末に思い切って発注した「怪奇十三夜」と「怪談シリーズ」のDVD-BOXが届いた。
 何よりもまず、「怪奇十三夜」のタイトル画面が見たくて、真っ先にその第一巻を再生してみた所――何と、私の記憶に残るものとは違っていたことが判明して、些か(いや、かなり)衝撃を受けた。
 記憶では、蒔絵の額の漆が見る見る劣化して剥がれ落ちて行った下から「怪奇十三夜」のおどろおどろしい題字が現われる――というものであったのだが、DVDで見直してみた実際のそれは、群青色の絵の具がどろどろどろ……と、縁を残して流れ落ちて行った下から、血のように真っ赤な「怪奇十三夜」の題字が現われる――という趣向のものであった。収録されている12話分の同画面を全て見てみたが、最終話まで全く同じものが使われていた。
 何故、幼い頃のこととは言え、このような記憶違いをしてしまったものであろうか。
 考えられるのは、別シリーズのタイトル画面と取り違えて記憶していたのではないか――ということである。同時期にまた別の類似シリーズがあって、そちらの演出と混同してしまったのかも知れない。(何せ、天知茂さんの『四谷怪談』を含む「怪談」シリーズを、長い間「怪奇十三夜」だと思い込んでいた位である)
 或いはもう一つ、放映当時は白黒テレビで見ていた為に、本当は絵の具が流れ落ちる映像を、漆が剥がれ落ちる映像であるように思い込んだのではないか――ということである。
 いずれにせよ、これは、今回DVDを買ったお蔭で、○○年振りに初めて判明した「記憶違い」であり、衝撃を受けると共に「判って良かった」という安堵の思いも、また同時に覚えている。
 ただ、この件に絡んで特筆しておきたいことが一つある。
 漆が急速に枯れて剥がれ落ちて行く――という映像が、幼心にも実に強烈な印象で記憶されてしまったことは確かで、それ以来、現在に至るまで、歳月を経て表面の漆が剥落している仏像などは、破損仏に対して感じるのと同様、そこに一般的に言われる“美”を見い出すより先に、無惨さや不気味さやお痛わしさが、まず迫って来てしまうようになってしまった。つまり、記憶違いとは言え、美に対する意識の一部に、非常に大きな影響を受けてしまった訳である。
 ともあれ――こうした形で、自分の過去の記憶の正誤を確認する作業というのは、時に衝撃もあるものの、随分と面白いものである。

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2009年8月18日 (火)

『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』の私的楽しみ方

 最後に見たのが長谷川さんの『ウルトラマン80』で、以来、ずっと離れていた為、最近のウルトラマン・シリーズの傾向その他を殆ど知らない状態で、知人から勧められて、劇場版の『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(2006/松竹)のDVDを見てみた。
 見てまず気になったのは、主人公始め防衛組織の面々の「余りの若さ」である。主役の子でさえ、どう見ても17~18歳そこそこに見える。塩沢さんが敵幹部の一人の声で出ておられた『ビーファイターカブト』の時も、「高校生の兄ちゃんに兼業で地球の平和を守らせて良えんか!?」と、素朴な違和感を覚えたものであるが、今回は更に輪を掛けて「何や無茶苦茶、頼りなさそう……」と、心配になった。通信係の女の子など、調査で神戸に向かった主人公に、無線で「ケーキのお土産を買って来て」と頼む始末である。隊長役でさえ田中実さんで、矢張り平均年齢が若過ぎる気がしてならない。幅広く様々な年齢層から選り抜いた人材が結集してこそ、如何にも地球防衛軍の精鋭組織らしく見えそうに思うのであるが……。
 そうした一種のカルチャー・ショックはさて置き、この作品の何よりの見所は、矢張り黒部進さん・森次晃嗣さん・団次郎さん・高峰圭二さんという、歴代の主役陣が揃い踏みしておられることだろう。ハヤタは空港長、モロボシ・ダンは牧場でひつじ(!)の世話、郷秀樹はサーキットで少年レーサーの指導員、北斗星児は観光船の料理長――と、それぞれ神戸近郊で暮らしつつ、かつて神戸沖に封印したヤプールの究極超獣を監視している、という設定である。この、素敵に年齢を重ねられたお兄さま方が、実に良い。特典映像のTVスポット(3種類収録)でも、4人が中心のものには「ダンディー4 Ver.」の副題が付いている程である。歳月が静かに磨いた深い魅力を増し加え、変わらず元気な現役姿を堂々と見せる、心に親しいかつてのヒーローたち……もう、胸躍らない筈がない。
 敵方の宇宙人らの声が、一人を除いて全員すぐに判別出来たのも嬉しかったが、ゾフィーとタロウの声は「どちらも知った声なのに、すぐに聞き分け出来ない」もどかしさを感じてしまった。出来れば、タロウの声は篠田三郎さんにお願いして欲しかった気がする。
 まぁ、こういう偏った楽しみ方をするのは、私ぐらいかも知れないけれども、特に同世代の皆さま方には、是非一度見てみて戴きたい、非常に価値ある作品である。

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2009年8月15日 (土)

本当に久々に『コータローまかりとおる!』を見て・下

 学園物なのに、授業場面は全く出て来ないし、教師陣も一切登場しない(登場するのは理事長のみである)――その、一見不自然極まる「鶴ヶ峰学園」が、少し前にこのブログで苦言を呈させて戴いた、非現実的な執事付きお嬢様学校が舞台のドラマに比べて、遙かに自然で現実味があるように思われ、更に、原作者まで脈絡なく登場しても決して悪乗りに見えず、作品世界の全てを抵抗なく受け入れることが出来るのは、どうしてだろうか。
 まず、エピソードもギャグもアクションも、盛り沢山にぎっしりと詰め込まれているようで、しかし、無駄に思われたり間延びしたりする場面が無い。構成・演出・編集がしっかりしていて、減り張りの効いた見せ場が随所にきちんと用意されているからであるように思う。
 また、演ずる人々の魅力・演技力に負う所も多いだろう。JACの皆さんを中心に、誰もが実に“漫画的”な役柄を、照れも抵抗も全く感じさせることなく、極めて真面目に生き生きと、また楽しげに演じ切っており、明らかに実際の中高生以上の年齢であった顔ぶれが多いにも関わらず、大して無理も感じずに「学園物」の世界へとのめり込める心地良さがある。
 一見ハチャメチャでありながら、徹底して「鶴ヶ峰学園ワールド」とでも呼べそうな一種の別世界がきちんと構築され、細部描写に嘘がないことも大切であると思う。例えば、麻由美ちゃんが自宅で着ている浴衣にしても、きちんとした着付けが好印象であるし、日舞部の稽古場の場面も同様。ここでの真田さんの舞姿も、流石に名取だけあって見事なものである。付け焼き刃の踊りでは、とてもこうは行かないだろう。
「根も葉もある嘘」を緻密に計算して積み重ね、非現実の世界を現実の世界のように錯覚させる――それに成功しているからこそ、笑いに罪がなく、皮肉過ぎない軽口の応酬も楽しく、底無しの明るさと若々しいパワーが全編に溢れ、見れば妙に心が軽くなって元気が出て来るような、こんな楽しい作品が出来上がったのではないだろうか。
 DVDが発売されれば、是非とも欲しいものではあるが、『伊賀野カバ丸』(1983)もビデオしか出ていないようであるし……難しいだろうか。どなたにも、一度は見てみて戴きたい楽しい作品なのであるが……。

追記 この稿を打っている最中に、山城新伍さんの訃報を聞いた。作品中では、麻由美の父で不器用な警視総監の役を演じておられた。ご冥福をお祈りしたい。

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2009年8月14日 (金)

本当に久々に『コータローまかりとおる!』を見て・中

 少年漫画のハチャメチャな世界を、大して違和感なく実写の映像に移し替えることに成功しているのは、原作の選定を始めとする鈴木監督の手腕に加えて、矢張り、こうした非現実の世界を映像の中で体現するなら彼らを置いて他にはないと思われる、JACのメンバーを中心とした配役に依る所が大きいように思う。(因みに、非現実の世界を舞台の上で体現するなら、タカラジェンヌを置いて他にはない――というのが、私の勝手な持論である。なお、本作で洋舞の振付を担当しておられるのは、宝塚ではシャーちゃんの愛称で呼ばれておられた、隼あみりさんこと謝珠栄さんである)
 物語の展開途中に挿入される、現実離れしたアクションや群舞によって、「嘘でしょ、嘘でしょ?」「ここまでやる?」「でも、ひょっとしたら、こんな世界があるかも知れないな」――と思わせ、架空の世界へと巧みに引き込む、その独特の雰囲気を醸し出すことが出来る、一種特別な演技集団の一つが、JACであると思う。当時のJACの人気たるや、恐らくは現在のジャニーズ諸兄のそれに優るとも劣らぬものがあったように記憶している。
 随所に散りばめられたアクション場面では、JACの真骨頂が存分に発揮され、特に、狭い室内で繰り広げられるコータローと吉岡の激しい立ち回り場面の迫力など、何度見ても飽きない。CGでは到底表現出来ないであろう、汗の匂いや演者の体温までがスクリーンから伝わって来るような錯覚を、そこに覚えることが出来る。
 よく、原作付きの映画やアニメの製作が発表されると「原作のイメージが壊れる」という反対意見が聞かれるものであるが、私がこれまでに抱いたことのある感覚では、作品にもよるが、映像化されてより一層に原作の魅力が増したと感じられた場合もあるし、原作とは別作品として見事に完成されていると唸らされた場合もあるし、矢張り原作を超えるのは難しかったようだと妙に納得した場合もあるし……様々である。大凡、映像化された位で壊れる程度のイメージであれば「最初から大したイメージではなかったのかも知れない」程度に、どうしても嫌なら「余計な時間と費用を使ってまで、わざわざ見に行かなくても良いや」程度に、気軽に考えることにしている。
 この作品の場合は、原作を読まずに見て、映画はとことん楽しめて、その後もずっと原作を読んでいないままである。これもまた、原作付き作品の楽しみ方の一例かも……と思う。

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2009年8月13日 (木)

本当に久々に『コータローまかりとおる!』を見て・上

 思いもよらず、懐かしい邦画と再会することが出来た。
 鈴木則文監督の『コータローまかりとおる!』(1984/東映)である。
 たまたま、レンタル店でVHSのビデオを見つけることが出来、実に四半世紀ぶりにコータローやら麻由美ちゃんやら吉岡くんやら天光寺やら紅バラやらクララ王女やらとの再会が叶った。
 原作は蛭田達也氏の同名漫画(週刊少年マガジン連載)。生徒数5万5千人、敷地総面積380万平方メートルという超マンモス校・私立鶴ヶ峰学園を舞台に、極端流空手部部長(但し、部員は1名)の新堂功太郎(コータロー)と、彼を取り巻く極めて個性豊かな面々が巻き起こす騒動の数々を描いた、独特のパワー溢れる学園青春アクションコメディ作品である。
 物語は、学園の問題児・コータローの極端な長髪を「ばっさりと切ったクラブには特別予算・百万円を贈呈する」という生徒会執行部の決定により、各クラブ員が競って鋏を持ち、コータローを追い回す……と言う、極めて漫画のような(漫画なのだが)お話に始まり、これに「コータロー抹殺を目論む学園の裏組織・蛇骨会の陰謀」「クララ王女の留学騒動」「蛇骨会の次期会長決定を巡る騒動」という三つの大きなエピソードが絡み、JACお得意のアクション場面もたっぷりに、明るく楽しくテンポ良く展開する。
 こうしたハチャメチャなストーリーの中で縦横に暴れ回る、これまた揃いも揃って大胆なまでに個性的な登場人物たちは、しかし、決して嫌味に感じられたり変に浮き上がったりすることなく、非現実の世界である漫画の世界が、実に心地良く現実の実写映像の中に再現されている。
 出演は、主人公のコータローに黒崎輝さん、幼なじみで風紀委員の渡瀬麻由美に千原麻里さん、風紀委員長で日本舞踊部の部長でIQ200の秀才・吉岡に真田広之さん、居合いの達人で風紀委員会特別機動隊隊長の天光寺輝彦に大葉健二さん、学園マフィア・蛇骨会会長の紅バラに志穂美悦子さん、蛇骨会次期会長の座を狙う砂土屋峻平に伊原剛(現:剛志)さん、生徒会長のタラコに山口良一さん、新聞部の梨本編集長に斉藤とも子さん、剛武流空手部の部長に関根大学さん、クララ王女にシャナ・ホーキンスさん、麻由美の父で警視総監の渡瀬大造に山城新伍さん、鶴ヶ峰学園の理事長にハナ肇さん、学園内の理髪店店主に由利徹さん、そうして、ムーア公国のサニー・サリバン大佐に千葉真一さん、といった顔ぶれである。

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2009年8月 8日 (土)

「恐い映画」について思うこと・6

 そんなこんなで……「恐い映画」に関するごく私的な雑感を、思いつくままに綴って来たのであるが、読み返してみると、殆どが洋画の話になってしまった。邦画でも、横溝作品を始めとして、様々な意味で「恐い」と感じた映画はあるのだが、最近のジャパニーズ・ホラーなどは全く苦手な部類で余り見ていないし、少し前の作品でも、ぱっと思い浮かぶものがない。憧れの長谷川(一夫)先生の『四谷怪談』も、まだちゃんと見ることが出来ていないし……。
 そこで一つ、思い出したことがある。
 最近、ネットで見つけた昔の民放の怪談ドラマのDVD-BOXなのであるが、余りの懐かしさと手頃な価格に負けて、思い切って発注しようかどうか、目下悩んでいる最中である。まさか、DVD化はされていないだろう……と思っていたものが、ふと思い立って調べてみると、BOX仕様で発売されていたのである。
 一つは『怪談シリーズ DVD-BOX』、もう一つは『怪奇十三夜 DVD-BOX』――いずれも時代劇で、幼心に「一緒くた」にして覚えていた両シリーズである。発売は一昨年らしい。
 収録されているのは、前者が「四谷怪談」「牡丹燈籠」「蚊喰鳥」「雨の古沼」「怨霊まだら猫」「累ヶ淵」「地獄へつづく甲州路」「大奥あかずの間」「新撰組呪いの血しぶき」「雪おんな」、の全10話。後者が「怪談累ヶ淵」「番長皿屋敷」「謎の幽霊御殿」「妖怪血染めの櫛」「髑髏妻の怪」「おんな怨霊舟」「女の冷たい手」「怪猫美女屋敷」「怪談夕霧楼」「釘を打つ女」「怪談首斬り」「変幻・玉虫屋敷の怪」の全12話(第7話のみ現存しないらしい)だそうである。出演は、天知茂さん、田村亮さん、中村扇雀さん、中村敦夫さん、伊吹吾郎さん、横内正さん、中尾彬さん、露口茂さん、佐々木功さん、瑳川哲朗さん――といった錚々たる顔ぶれである。
 いずれも一度しか見ていないにも関わらず、かなり印象深い作品群であったらしく、場面や台詞の部分を今も思い出すことが出来るし、特に、蒔絵の額の漆が加速度的に劣化して剥がれ落ちて行く「怪奇十三夜」のメインタイトルは、白黒画面で見たにも関わらず、強烈な「日本的な恐さ」の象徴として記憶に残っており、あのタイトル場面だけでももう一度見てみたい気がする。
 さて、購入すべきか否か――非常に手頃な価格ではあるのだが、お財布と相談してみると……矢張りBOXだけに、背筋を冷たいものが確かに走るのである……。

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2009年8月 7日 (金)

「恐い映画」について思うこと・5

 恐い、と言えば――「恐いもの見たさ」で見た映画と言うと、何だろうか。『13日の金曜日』のTV放映分は、はっきり言って「声聞きたさ」で見た。何と言っても、出て来てすぐにヒッチハイクで殺される女の子でさえ、小山茉美さんの声であったからである。また、1作目は、まだ真犯人の殺人の動機が理解出来なくもなかったから、物語自体を「面白い」と感じることは出来た。しかし、2作目以降は、本当に、私にとっては声優陣の豪華さだけが値打ちであったように思う。
 また、戦争物なども色々とあるけれども、古代が舞台の作品や戦国時代の作品などは、大丈夫である。強いて言うなら、ベトナム以降の戦争物は割と苦手で、第二次大戦が舞台のものは二分される。いずれにしても、ユダヤ人収容所絡みのものと、広島長崎絡みのものは辛い。何年か前に、九州方面の教師が被爆者の写真を肝試しに使った――という事件が報道された時は、純粋に憤りを覚えたものであるが、それとはまた別の意味で、生理的・精神的に受け付けられないものと、「恐い」ものとは違うように思う。同様に、「恐いもの見たさ」で見ても構わない映画も、「恐さも味わいのうち」だと考えて楽しむのが良い映画も、「恐さだけでない何かを受け止める」ように鑑賞すべき映画も、様々にあると思う。
 サスペンス物の中でも特に恐かった作品の中の一つは、カート・ラッセルの『不法侵入』である。かつて、日曜洋画劇場で、恐い作品ばかりを連続して放映する企画があり、その中で今でも覚えている「特に恐かった作品」が、これと『ルームメイト』と『ゆりかごを揺らす手』の3つであった。『ゆりかご…』については、ちょっと別な記憶もある。放映の少し後に、宝塚で『蒲田行進曲』を上演する、という発表があり、たまたま電話して来てくれた知人に、これこれなんですって……と訴えた所、知人も一瞬絶句して、こんな名言を聞かせてくれた。「(宝塚で『蒲田…』を上演するというのは)ディズニーが『ゆりかごを揺らす手』をアニメ化するようなものですっ!!」――そういう作品である。
『バイオハザード』は、ゾンビ物としての恐さもあるけれど、ウイルス兵器を作ったり、それによる人体改造を企てたりする人間の方が、よっぽど残酷で愚劣で憐れで恐いものとして描かれているし、恐さ以上にSF冒険活劇としての面白さがあるし、ミラ・ジョヴォヴィッチは綺麗だし、結構気に入ってしまった。

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2009年8月 6日 (木)

「恐い映画」について思うこと・4

 ゾンビ物は、見る勇気など皆無であった。昔から、カニバリズム恐怖症みたいな所があったからである。『ゾンビ』の公開当時は、映画館の看板からして恐くてならず、毎日、早く公開が終わって看板が撤去されることを祈り続けていたものである。
 見るようになったきっかけは、実は『バイオハザード』かも知れない。更に、元々の『ゾンビ』にも、ロメロ版、アメリカ公開版、アルジェント版、という編集の違いがある、と教えて貰って興味が湧き、まだそれぞれの違いを見分ける所にまでは至っていないが、最近になって、漸くひと通りは見てみた。
 一見しての感想は、恐いより、物哀しい方が勝る感じであった。あの時代であるから、特殊メイクと言っても、ガミラス人やガトランティス人のように、顔色が青だったり緑だったりするだけの場合が多いし、鉄則である「動きが緩慢」というルールをほぼ守って作ってある。(リメイクではゾンビが走るので、エイリアンなど変わらない気がする)その辺りが、恐いばかりでなく、どこか哀れさに繋がる感じである。勿論、人間の側も哀れであり、その辺りがあれだけ人気の出た理由かも……とも思う。特撮にしても「作り物的雰囲気」を、意図的にか、当時の技術の限界か、ちゃんと残してある。だから、保護者が一緒に見ながら「作りモン」だと説明してやりながらであれば、子どもが見ても大丈夫かも知れないと思う。
 『エクソシスト』が公開された頃から暫くの間は、洋画と言えばオカルト物を中心とする恐い作品が主流となっていたような記憶があるが、そうした中でも、ひどく恐そうなのに何故か魅かれるものがあり、TV放映を見て思わず唸らされたのが『オーメン』であった。これは、グレゴリー・ペックの名演もあろうが、恐さ以上に、巧みで無駄のない展開や緻密な設定を面白く感じ、再放送の度に何度も見た。
 最近になって見たダリオ・アルジェントの作品は、サスペンス物、オカルト物、ホラー物……いずれを取っても、ショック場面は多用されているものの、独特の映像美やカメラワークの面白さに強く魅かれた。サスペンス物では『サスペリアPART2』『シャドー』『スリープレス』『デス・サイト』など、オカルト色の濃いサスペンス物の『フェノミナ』、オカルト物では『サスペリア』『インフェルノ』等を見た。初期作品の『歓びの毒牙』『わたしは目撃者』などは、どこかヒッチコック的であるようにも感じた。

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2009年8月 5日 (水)

「恐い映画」について思うこと・3

 今は平気で読めるようになったが、横溝正史ブームの頃は、書店に平積みされた角川文庫の横溝作品の、あのカバー画が恐くて、早くブームが終わらないかと秘かに祈ったりもした。しかし、映画化されたものには、恐いだけでない何か、残酷なだけでない何かが、そこにあるような気がして、TV放映された時に見て、矢張り「面白い」という感想を持った。
 吸血鬼映画などには、恐いにも関わらず何故か惹かれる。恐さよりも悲劇性の魅力の方が優るからかも知れない。クリストファー・リーの『吸血鬼ドラキュラ』はまだ見ていないが、アネット・バディムの『血とバラ』や、ゲイリー・オールドマンの『ドラキュラ』など、何度見ても飽きない。
 スティーブン・キングの作品なども、概要を聞いただけで恐くて好きになれないのだが、映画化されたものには惹かれるものもある。無茶苦茶に恐いが、哀れでどうしようもなかったのが『キャリー』や『ペット・セメタリー』。見てみようかと思っているのが『ミザリー』と『クリスティーン』と『炎の少女チャーリー』辺りである。
 横溝作品にしても、事件は残酷でも、裏側にある動機や事情や背景を考え合わせると、犯人が哀れで憎めない場合が多い。そこへ行くと、『13日の金曜日』シリーズのジェイソンなど、「ただの殺人鬼」に思えてしまうし、まだ見ていないが、『エルム街の悪夢』や『ハロウィン』や『ラストサマー』といったシリーズなども、同様なのではないかという気がする。(『13日の金曜日』の1作目に関してだけは、真犯人の動機がまだ理解出来るので、少々例外ではあるのだが)
 同じシリーズ物でも、『ジョーズ』や『エイリアン』や『ターミネーター』などは、周辺の人間ドラマで支えられている部分が大きいような気がする。人物と配役の魅力に負う所もあるだろう。ヒッチコックの『サイコ』のノーマンにしても、異常な殺人鬼である訳なのに憎めないし、『羊たちの沈黙』等の一連のシリーズは、生理的には嫌なのに、惹かれるものはある。いずれも、パーキンスやホプキンスの演技力に因る所が大であるのかも知れない。
 概して、現代日本が舞台のホラー物や、海外のスプラッタ物は今も苦手である。前者は、如何にも今、現実に自分の周辺で起こりそうな気がして見る勇気が湧かないし、後者は、どうにも不必要に血を流し過ぎ、人体を傷つけ過ぎであるような気がして、気分悪く感じられてならない。

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2009年8月 4日 (火)

「恐い映画」について思うこと・2

 ざっと思い起こせば――小学生の頃は、書店に並ぶ「少年探偵シリーズ」の背表紙の黄金仮面の絵が、もう恐くて恐くて、その周辺に近づくことも出来なかった。無論、カバー画も恐くて、その為、推理物・探偵物は全く読む(触る)こともしないまま、子ども向きの『黒猫』や『失われた世界』や『奇岩城』さえ知らないままに過ごしてしまった。
 漫画では、耳鼻科や理容室の待合室で見た少年雑誌・少女雑誌の、楳図かずおさんか古賀新一さんかの作品(大量の蛭が病臥の母親の背中にたかったり、少女の肩に出来た人面瘡が蜘蛛を食べようとする場面があった)や、菊川近子さんか高階良子さんかの作品(隕石に付着して来たアメーバが人を襲う話とか、狂気じみた蝶のコレクターの話など)が、余りに恐くて、断片的にではあるが今も思い出される。
 アニメでも、『妖怪人間ベム』のオープニングなど、一度見ただけで恐くて二度と見られなかったし(ずっと後になってから、やっと再放送で見た)、『ゲゲゲの鬼太郎』(第一作)も恐くて、折角「東映まんがまつり」に連れて行って貰っても、この作品の上映中だけは目を瞑って過ごした程であった。
 ただ、両親や伯母と一緒にTVで見る、時代劇の怪談物や、洋画のサスペンス物・パニック物などは、恐さよりも面白さ・美しさに惹かれるものがあり、民放の怪談シリーズで『四谷怪談』や『牡丹燈籠』などを見たし、『鳥』や『SOSタイタニック』も複数回見た記憶がある。
 『ウルトラマン』等の特撮シリーズにさえ、恐くて眠れなくなるような挿話があったが、今も妹が「あれは恐かった」と折に触れて言うのが、犯罪物の帯ドラマで、多分『Gメン'75』の一エピソードであったと思うのだが、殺されてコンクリート詰めにされた老婆の遺体の腕が、死後硬直を起こして、まだ固まり切っていないコンクリートの中から「ずぼっ」と音を立てて飛び出す場面である。犯人の若い男女が、恐怖に怯えながらも慌ててその腕をコンクリートの中に戻すと、今度はもう片方の腕が同様に「ずぼっ」――これは、私も今だに覚えている。
 夏休みの課題図書などで、選択の余地なく読んだ戦争物の児童書などにも、大切な主題とは別に「もう、読みたくない」と感じたものが幾つかあった。
 総じて――小学生の頃の「恐い映像」「恐い本」の記憶というものは、好むと好まざるに関わらず、結構後々まで残ってしまうものであるようである。

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2009年8月 3日 (月)

「恐い映画」について思うこと・1

 最近、カウンターに来る学生がよく、開口一番口にするのは「恐い映画、ない?」である。具体的に作品そのものを指定して来るとか、監督や俳優や原作者の名前を挙げて所蔵の有無を確かめてから、見たい映像作品を決めて閲覧を申し込む……というのは、なかなか稀である。
 取り敢えず「どういう系統の恐い映画?」と聞き返すと、結構漠然と「呪いで死ぬみたいな……とにかく恐いやつ!!」――のような答えが返って来る。「邦画? 洋画?」「何、ホウガ、て?」「日本の映画か、外国の映画か?」「香港とかのが良い! キョンシーとかが襲って来るやつ!!」――因みに、香港ホラーの類は流石に所蔵していない。
 どうやら、サスペンス物もオカルト物もホラー物もパニック物もスプラッタ物も、一絡げにして「恐い映画」と表現しているらしい。更に具体的に、謎解き風のお話が良いのか、心理的に追い詰められるようなものが良いのか……といった感じで絞って行って、最終的に何作品かの候補を実際に出して来て、その中から選んで貰うようにしたり、そうした中から「恐いの」の一覧を作って参考に見せたりしている。
 映画や小説の「恐さ」の基準というものは、それを導く、殺人、流血、暴力、犯罪、死、霊的なもの、呪術的なもの、心理的な恐怖、等々の諸要素や、人それぞれの経験や好みその他によって、様々であると思うし、描かれ方によっても変わって来るものであると思うのだが、最近の子らの好みはまた様々なようで……難しい。
 そんな中、知人から「息子(14歳)が『バイオハザード』が見たい、って言ってるんだけど……」と、相談を受けた。その子は小さい頃から怖がりで、暗い部屋には一人で入れないし、小学校で恐い話が流行った時に「恐い話を読みたがっている」と聞いて、八雲の『怪談』など何冊かを選んで送ったこともあるのだが、どうやら読破出来なかったらしい。
 日本以外では殆どR-15やR-18の指定であるが、一応、日本ではPG-12であること等を調べて返事したのであるが、さて、その後どうなったのか……まだ、報告は来ない。
 そうこうするうち、ふっと、それでは、私はどのようにして「恐いもの」と接して来たのだろうか……と考えてみた。私も、昔から「恐いもの」は苦手であったが、今ではそこそこ見たり読んだり出来るようなはなって来ている。そこに至るまでには……矢張り、段階を踏んで慣れて行ったような気がする。

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2009年7月25日 (土)

記憶の中の映画との再会・その1 『緯度0大作戦』

 幼い頃に家族と一緒にテレビで見た映画やドラマの中には、題名も出演者も殆ど覚えていないが、ある場面だけは妙に鮮明に記憶している――というものが割合にある。
 そうした中の一作――その映画に関しては、漠然と「SF」で「洋画」であったこと、「人間と動物を組み合わせて怪物を創る科学者が、実験台にした仲間に裏切られて最期を迎える」場面があったこと、その怪物がキマイラのようなグリフォンのような「複数の動物を寄せ集めた姿」をしていたこと、位を覚えているのみであった。出来ればもう一度ちゃんと見てみたいと、ずっと思い続けて来たが、それらしい映画の再放送がなかなかなく、レンタル店で洋画のSF作品の棚を丹念に見てみても「これかも?」という作品に行き当たることがないまま、随分と長い月日が過ぎてしまった。ある時、ふっと『ドクター・モローの島』だったかも……と思い当たり、DVDを見て確認してみたが、これは残念ながら違っていた。
 さて、一昨年辺りから、遅まきながら『ゴジラ』に編入(新入学という訳ではないので、この表現が一番近いだろう)して以来、『ゴジラ』シリーズのみに留まらず、最近は、かねてから題名だけ聞いて一度見てみたいと切望していた東宝特撮映画も何作品か見ている。尤も、最寄りのレンタル店で扱われているものばかりなので、『美女と液体人間』(1958)、『大怪獣バラン』(1958)、『ガス人間第1号』(1960)、『電送人間』(1960)、『マタンゴ』(1963)、『宇宙怪獣ドゴラ』(1964)、位ではあるのだが、いずれも、初めて見る作品ばかりであった。
 しかし、先週借りて来た『緯度0大作戦』(1969)は、見始めてすぐ、何となく見たことがあるような思いに捉われ始めた。黄色い球形の海底探査艇、海底火山の爆発、楽園のような海底都市……。出演者も外国人俳優が多く、ぼーっと見ていると洋画のようにも思えて来る。更に、免疫風呂だの特殊な武器を仕込んだ手袋だの、記憶にある場面や小道具が次々と登場し、遂に、敵側の女艦長が改造される場面まで来て、はっきりと確信した。あの映画である。やっと、再会出来たのである……。
 こういう場合に感じる、言い知れぬ昂揚と安堵感のようなものが、何とも言えず好きである。過去の記憶の確認による穏やかなカタルシス、とでも言えば良いだろうか。
 かくして、○○年ぶりにして漸く再会叶ったあの映画は――純粋な洋画ではなく、日米合作映画であった。

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2009年7月24日 (金)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・21

 何故、今、“ぼてじゃこ”なのか――
 勿論、随分長い間、もう一度見たいと思い続けていたドラマでもあり、主題歌の歌詞を再確認したいと切望していたこともある。
 この五月、半ば諦めかけていた主題歌レコードをやっと手にすることが叶い、更に小説版も入手することが出来て、一気に勢いづいてしまったこともある。
 友人知人らに、このドラマの話をしてみた所、世代的なものも多分にあろうが、「知らない」「題名だけは知っている」「題名は覚えているが見たことはない」――といった答えが多く返って来て、是非とも「こんなお話やってん!」と、詳しく話してみたい衝動に駆られてしまったこともある。
 更に言えば、伯母と一緒に見ていた思い出深いドラマであること。放映された年の夏休み、その伯母に連れられて琵琶湖畔にある今津の国民宿舎に一泊する小旅行に行ったこと。そうして、やがて大津の建築会社社長に嫁いだ伯母が、僅か5年の後には他界し、やや遠く琵琶湖を望む墓地に眠っていること――そうしたことも全て含めて、私にとって、妙に「縁のある」特別な作品であるということもある。(奇しくも、今津の国民宿舎は、伯母の夫となった人の会社が設計したものであった……)
 この一年は、ある意味に於いては、私にとって精神的に正に激動の一年であった。塩沢さんがいらっしゃらなくなって以来、涙を流すことが出来なくなってしまっていた私が、去年の五月、MIQさんのソロ・ライブ“MIQueen”に参加したことで、八年ぶりに再び涙を取り戻すことが出来た。
 本当にかけがえのない、素晴らしい人物に巡り会うことが出来て、一年――様々な意味で、生まれ変わることが出来たような気さえするこの一年を経て、不意と「雪っ子はん」や「お千代さん」に会いたくてならなくなった。
 思えば――TVドラマに絡む記憶の中で、最も初期の頃に巡り逢った幾人かの「自立した女性像」の中に、雪子がおり、千代がいた。はなのやのてまり姐さんや、常磐津の文字京ことお京さんや、スチュワーデスの美咲洋子なども、憧れの「働く女性」ではあったけれども、特に、関西弁で喋る雪子や千代に対しては、より親近感を抱いたように思う。
 ここに来て、ふっと無意識に自らの来し方を振り返り見て、その中に佇む雪子や千代の姿に懐かしさ以上のものを感じ、もう一度親しく語り合いたい――そんな思いを抱いたことが、最大の理由なのかも知れない。

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2009年7月23日 (木)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・20

 小説版を読んで、最も疑問に感じたのは、時の流れが多少判りにくい所であった。特に、時間の計算が合わない箇所が散見されるのが結構気になった。
 例えば、物語が始まるのは「昭和三十一年三月十二日」、雪子の結婚式当日の夜である。結納は前年の「十二月十日」で、それは牧田との不本意なただ一度の過ちがあった「二ヶ月後」――とあるから、妊娠は十月十日頃という設定である筈である。そうなると、雪子は結婚式の時点で既に五ヶ月の身重ということになり、更に、千代と会って商売を教わり、上京しておにぎり屋を成功させ、出産……。一体、千代の元で商売を学んだ期間、上京して成功するまでに費やした期間は、何ヶ月位だったのだろうか。
 宗六との結婚を承諾した後、雪子は医師に「三ヶ月」だと言われるのだが、これでは計算が合わない。妊娠三ヶ月に相当する一月頃には、雪子はまだ結婚式も挙げていないし、千代や宗六にも会っていない。挙式の時点で妊娠五ヶ月であったのであれば、それから千代の元で暮らして、やがて悪阻による悪心を初めて覚えた時、雪子は妊娠何ヶ月だったのだろう。
 また、医者に妊娠を告げられる場面には「凍てつく寒さ」「凍てつく路地」とあるのだが、大阪の町屋が「凍てつく」ほどの厳寒の時期は、矢張り一月から二月に掛けて位であろうから、これも計算が合わなくなる。
 東京へ出て来て「三ヶ月目」に、敬子との思わぬ再会があった時、雪子のお腹は「かなり大きくせり出して来て、商品の運送はできずに、製造と予約注文の方を受け持っている時」だったと書かれている。
 出産の為に帰郷したのは、恐らく、予定日から逆算して汽車の旅に耐えられる時期を見計らってのことであろうが、しかし、宗夫は「七月に入る夕暮れ」に生まれているから、九ヶ月の早産ということになってしまう。
 つまり、雪子は三月十二日に妊娠五ヶ月の体で結婚式から逃げ出し、僅か四ヶ月にも満たない期間に、大阪(一ヶ月弱?)と東京(三ヶ月強?)で、ゼロから商売を覚えて会社まで設立し、九ヶ月で出産するに至った訳である……。
 大好きな物語に対して、決してケチを付けたくはないのだが、好きなだけに、余計に気になってしまう。
 しかし、ドラマを見ている間中、こうした「時間の流れの不自然さ」は全く感じられなかった記憶がある。これは、小説化する際に見落とされた、超多忙な売れっ子作家ゆえの単純なミスであるのかも知れない。

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2009年7月22日 (水)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・19

 少し趣を変えて、主題歌「琵琶湖慕情」について書いてみる。
 作詞は花登筐氏、作・編曲は小川寛興氏、演奏はアンサンブル・ブーケ。
 シングルレコードは、演奏時間が二分五十七秒。レコード番号「AS-1114」、東宝レコードから定価400円で発売されている。歌は雪子役の三田佳子さんで、レコードのジャケットも三田さん。A面が「琵琶湖慕情」である。(B面は「湖の女(ひと)」という曲であるが、こちらは残念ながらよく覚えていない。挿入歌だったのかも知れない)
  歌詞をそのまま紹介することは出来ないので、可能な限りに雰囲気を伝えられるように説明してみると――。
 三連から成る歌詞は、それぞれに「水」「月」「花」といった湖畔の四季の眺めを代表する言葉から始まり、湖(琵琶湖)・比叡おろし・賤が嶽、石山・比良・沖の島、高峰・伊吹・浮見堂――と、近江の地名や風物が種々盛り込まれて、それぞれの景色になぞらえながら、か弱い女性が生きて、恋して、夢見る――その険しさ、寂しさ、厳しさを歌い、どの連も「琵琶湖哀しや 女の湖(うみ)よ」で締め括られる。
 そんな感じの歌である。
 実際にドラマのオープニングで使われていた部分は、一番+二番の後半部(或いは、一番の前半部+二番の後半部)であったように思う。記憶に残る歌詞が、丁度その部分に相当している。
 これが、緩やかな4分の3拍子の美しく哀切極まりない旋律に乗せて、三田さんの――いや、雪子になり切っている三田さんの、控え目に優しく澄んだ、しかし芯の強さをしっかりと内に秘めた声で歌われる。本当に素敵な、今も大好きな歌である。
 この五月に、やっと中古のシングルレコードに巡り会えるまで、もしかしたらCDで手に入らないかと随分調べてみたのだが、残念ながらこの曲だけは、三田さんのアルバムにも収録されていないし、ドラマ関係の主題歌集等にも入っていないようである。
 無論、どこの通信カラオケにもまだ入曲していないようであるし、楽譜が掲載されている本も見当たらない。
 唯一手元にあるレコードも、プレーヤーが使えないので再生出来ないままである。歌詞は判ったし、旋律は今も覚えているから、歌うことは出来るのであるが……。
 欲を言えば切りはないけれども、もしも近い将来、この「琵琶湖慕情」が何らかの形でCDに収録され、ラジオ局でも流され、カラオケでも歌えるようになったならば……こんなに喜ばしいことはない。

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2009年7月21日 (火)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・18

 結構、覚えているものである。無論、小説版と新聞の解説記事に大いに助けられて、やっと一通り纏めることが出来た訳なのだが、さて、多少なりとも作品の雰囲気を伝えることが出来ただろうか……。
 この作品を、もう一度見てみたい……という思いは、今も非常に強くある。再放送を見た記憶はないのだが、民放のドラマであるから、フィルムやビデオが局に保存されている可能性は、案外高いのではないだろうか。
 もしも、DVDが発売されるのであれば、是非とも買ってじっくりと見直したい。同じ時期に放映されていたドラマには、DVDが発売されているものも結構ある。『アテンションプリーズ』のDVD-BOXは、発売と同時に思い切って買ったし、他にも『美しきチャレンジャー』『弥次喜多隠密道中』『おくさまは18歳』『ザ・ガードマン』『おれは男だ!』等のDVDがあることも店頭で確認した。原盤が残っているのであれば、絶対にDVD化して欲しい。
 しかし、リメイクというのは、ちょっと想像がつかない。舞台設定を同じ昭和三十年代にして作ることは可能かも知れないが、肝心の配役が全くイメージ出来ないのである。特に、雪子と千代は難しい。
 あの当時の三田佳子さんと同等以上の雪子を演じることの出来そうな二十代の女優さんが、まず全く思い浮かばない。可憐で清楚で健気で賢明で勤勉で、万事に控え目な大和撫子とも見えながら、強い信念を持って自ら人生を切り開いて行く、近江生まれ浪花仕込みの若き女商人――難しい役柄である。
 千代はもっと難しい。大体が、あの役柄はミヤコ蝶々さんあってこそのものであったような気がしてならない。この作品に関して「ドラマが先か小説が先か」――と考える時、どうしても、まずドラマが先にあったのではないか……と思われてしてしまうのは、この千代役が、余りにも蝶々さんにぴったり過ぎる役柄であった為である。まるで、座付作者が一座の名脇役の魅力を最大限に引き出す為に創作した人物であるようにさえ思われる。(そう言えば、役名の響きもどこか似ている……) 名優と呼ばれる女優さんは今も沢山おられるけれども、この千代役は余りにも蝶々さんのイメージが強烈過ぎる。
 様々な意味から、リメイクは制作されない方が良いのかも知れない……そんな気がする。
 矢張り――DVD化を何より希望したい。それが駄目なら、せめてシナリオ集を出版して欲しい。切なる願いである。

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2009年7月20日 (月)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・17

 雪子の商売を手伝ううち、自立の自信を持ち始め、平沼に思いを寄せるようになったみよは、錦織との離別を考える。「別れようと思うんだ……」と言うみよに、花岡は、錦織という夫がいたからこそ、雪子という人に会えた、雪子という人に会えたからこそ、今の自分がいるのではないか……と、もう一度考え直すように諭す。
 しかし、そんなみよの心を察したかのように、錦織としげ子はこっそりと東京を離れ、故郷に帰る。
 程なく臨月を迎えた雪子も、出産の為に帰郷する。生まれて来た子に琵琶湖を見せて「ぼてじゃこになったらあかん」と教えたい思いからである。
  記憶では、雪子が入院した病院に、行き倒れの女性が運び込まれ、錦織が雪子の病室に飛び込んで来て「行き倒れで担ぎ込まれた女の人、あんたのお継母ちゃんやがな!」――身重の雪子に何を言うかと、錦織はしげ子にひどく叱られるが、雪子は、けいの病室を訪ねる。そうして、無沙汰を詫び、亡母と千代の教えに支えられて生きて来た今日までの経緯を語り、ぼてじゃこについては、敬子に釣り上げられ捨てられて命を落とした宗之助の例を話す。
 ぼてじゃこの話は解った……と、神妙に頷いたけいは、それでは、釣り上げた方はどうなるのか、と尋ねる。折から、堤建設を乗っ取った敬子には、脱税か何かの絡みで当局の手が迫っていた……。
  やがて、雪子は元気な男の子を出産し、「宗夫」と名付ける。そこへ、看護婦さんが「赤ちゃんのパパがみえました」と伝えて来る。
 この時、一瞬、雪子の顔が激しく曇る。まさか、牧田がここを嗅ぎつけて来たのではあるまいか――しかし、入って来たのは千代と宗六であった。驚く雪子に、千代は言う。「宗」の字の付いている子が、どうして宗六の子でない筈があろうか、と。
 残念ながら、ドラマのラストシーンがどうしても思い出せない。
 小説版では、物語の冒頭(昭和三十一年三月)から十二年後の昭和四十三年冬、発展に発展を続ける「花錦弁当株式会社」から、毎朝午前十時、東京全域に向けてお弁当の搬送に出発する三十台のトラックを、一台一台、頭を下げて見送る雪子。その傍では、寒空に裸足の男の子が手を振って見送っている――という場面になっていて、

   宗夫――。
   堤川組、堤川宗六と雪子の子、そして鰉の子でもある。

 ――と、結ばれている。鰉(ひがい)とは、ぼてじゃことは正反対の性質を持つ、琵琶湖の魚の王者のことである。

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2009年7月19日 (日)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・16

 日本製菓が手を引いた為に、三松堂と契約を解消する業者が相次ぐ。監査に乗り込んで来た税務署員の平沼は、たまたま訪れた雪子(だったと思うが……小説版ではみよ、新聞の解説記事ではしげ子になっている)が、おにぎりを売る商売をしていることを知る。
 翌日、平沼は柳食堂の二階に雪子を訪ねて来る。みよは「うちが税金払えないこと知ってて、税務署の人、連れて来たの!?」と、雪子を責めるが、平沼は、まず雪子のおにぎりの味を褒め、「あれは売れますよ」と太鼓判を押してから、保健所への届けがまだ出されていないことを指摘する。「保健所の許可が要るんですか?」と驚く雪子に、「人様の口に入るものですからねぇ」と答える平沼。税金の方がどうであったかは思い出せないのだが(小説版では、雪子が「売り喰いの生活が商売ですやろか?」と主張し、相応の利益が出て、人間らしい生活が出来るようになった時に、初めて商売として届けるし、税金も払う――と答える場面がある)、この平沼の助言を得て、保健所への登録を済ませ、雪子の商売はいよいよ事業としての体裁を本格的に整え始める。
 三松堂では、従業員は全ていなくなったものの、雪子のおにぎり販売に触発された修と敏恵は、お弁当用に自家製のサンドイッチを売ることを考え出し、生き生きと睦まじく働き始めた。
 ここの場面もよく覚えているのだが、試作のサンドイッチをプラスチックのケースに詰めてみると、どうしても少し空間が余る。ケースの大きさと食パンの大きさが合わないのである。思案する修らを見て、とくが横合いから、在庫になっているお菓子を入れたらどうか、と提案する。うちにあるお菓子なんて古いものばっかりですよ、と言う修に、とくは「だから良いんじゃないか」と自信満々。実際に会社を回って売ってみると、サンドイッチの珍しさも好評であった上、小さな袋に入ったおまけの方にも「これ、なあに?」と関心が集まる。「それ、お楽しみ袋なんです」と、明るく応える敏恵。袋を開くと、どんぐり飴など素朴な駄菓子の類がそれぞれ出て来て、OLたちは懐かしさに大興奮。とくの助言は大成功であった。
 雪子の方も、おにぎり屋の商売を会社組織にしようと思う――と、皆に話す。雪子が提示した社名は「花錦弁当株式会社」――かつて、錦織と花岡が起こした製菓会社の名前を冠し、二人にも会社に入って貰うことで、上京以来の恩に報いようと考えたのである。

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2009年7月18日 (土)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・15

 柳食堂が類似のおにぎり販売を始めたことで売り上げが落ち、雪子は新たに予約販売という方法を考える。味見用の小さいおにぎりを沢山拵え、ビル街の会社を回って勤め人たちに味見をして貰いながら、雪子は着実に予約注文を取り、販路を拡大して行く。
 その途中、とあるビルで、今日から新しく入ったばかりだと言う会社に行き当たり、「それやったら、お昼ごはん、困ってはりますやろ」と、廊下にいた社員らに味見のおにぎりを配り、その会社に入って行く雪子。入れ違いに、入口の扉に「堤建設株式会社」のプレートが掛けられる――確かそこでCMが入ったと思う。その演出を、何とも言えず「巧いなぁ……」と感じた覚えがある。
 堤建設は既に、嫁の敬子に乗っ取られていた。記憶では――社内であれこれと指図を飛ばしていた女社長の敬子が、入って来た雪子を見てひどく驚く。雪子はここで、宗之助が亡くなったことを初めて知らされる。敬子は雪子に様々な嫌味や侮蔑の言葉を浴びせた挙句、「毒の入ったおにぎりは売らないでね」と言い放ち、雪子が出て行くと、味見のおにぎりを手に持っている社員たちに対して「そのおにぎり、捨てなさい」と、冷たく言い放つ――そんな場面であった。
 この頃であったか、客から衛生面の指摘を受けた雪子は、衛生的なおにぎりを売る為の案として、硫酸紙を三角の袋に折っておにぎりを入れ、爪楊枝で口を留める方法を考え、これも成功する。小説版ではハトロン紙で包むことになっているが、確か、不透明なハトロン紙ではなく、当時の岩波文庫のカバーに付いていたような半透明の紙の袋であった。白黒テレビで見た映像の記憶なので、色までは思い出せないのだが……。
 折しも、菓子問屋の三松堂は、大手メーカー・日本製菓との契約を解消され、窮地に陥る。
 記憶では、三松堂の近所に、日本製菓の宣伝カーが「チョコゼリーの宣伝に参りました」という華やかな女声アナウンスを流しながら現われ、近くの子どもたちに風船やお菓子を配り歩く場面があった。営業部署の長らしき男性が、この新製品を手に三松堂を訪れるが、とくは取引を断る。この時、とくが何故、取引を断ったのかは、残念ながらよく覚えていない。小説版では、千代が雪子への疑惑を晴らし、とくが修を重用し始めたことから、婿養子の修を快く思っていなかった使用人らが全て辞めたことと、修への不信から、日本製菓側から手を引いたことになっている。

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2009年7月17日 (金)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・14

 雪子とみよは、かやくごはんのおにぎりの味付けについて、生粋の東京人であり、老舗の煎餅職人でもある花岡に相談する。花岡は、関西と関東の味覚の違いに加えて、温度による味の変化についても、瓢箪せんべいを実際に味見させながら教えてくれる。焼きたての煎餅と、冷めた煎餅では、辛さの感じられ方が違う。同様に、炊きたてのかやくごはんと、おにぎりにして冷めたそれとでも、辛さは変化する。そこまで考えた上で味付けをしてみてはどうか……。
 以後、みよが味見して「丁度良い」が、雪子には「ちょっと辛い」と感じられた時には、「これだけ薄めますよ」と、少しだけ水を追加して味を調節する――という方法を採用。そうやって作ったおにぎりは、勤め人を中心とする客たちに大好評で迎えられ、商売は見事に軌道に乗り始める。
 その頃、花岡は、茶殻の始末をめぐる雪子の言動などから、かつての知り合いであった千代を思い出す。小説版では、修と雪子の仲を疑う三松堂のとくから相談を受けて、新聞の解説記事では、過労で倒れた雪子が熱にうなされながら宗六の名前を呼ぶのを聞いて、花岡は千代に手紙を出す。
 記憶では、受け取った手紙を、仰々しい書き方だとか何とか言いながら、声に出して読み始めた千代が、「本日は、雪子なる女性のことで……」という件りまで来た途端に「雪子はんのことやがな!!」と、思わず居住まいを正す――その場面が印象深い。
 上京した千代は、花岡から一部始終を聞き、こっそりと雪子の商売を観察していたく感心したり、三松堂を訪ねて、とくや敏恵の雪子に対する誤解を見事に解くなどして、雪子の為に巧みに動き回るが、雪子本人には会うことなく、しげ子に「柳の上にぼてじゃこがいてる」という言葉を残して大阪に帰る。記憶では、この場面で千代の言葉を聞いたしげ子が「お婆さん、それやったら“柳の下に泥鰌”と違いますか?」と言い、千代が「いいや、ぼてじゃこだす」と返す。後にしげ子からこの話を聞いた雪子は、もしや、千代が上京して来たのではないかと思うが、その言葉の意味がすぐには判らない。しかし、柳食堂の二階に自分たちが住んでいることに思い当たった瞬間「柳の上にぼてじゃこがいてる!!」と、千代の上京を確信すると共に、その言葉が今の自分たちに対する警句であるように感じる。
 折しも、柳食堂の息子が雪子たちの商売を真似て、更に安い値でおにぎりの行商を始め、厄介な商売敵となる。

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2009年7月16日 (木)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・13

 この辺りの挿話で、よく覚えているのが質屋の場面である。
 多分、開業資金か運転資金を作る為に、雪子は自分の数少ない持ち物の中から、古い着物を質に入れようとする。店番をしていた若い男に「十円ぐらい」(だったと思うのだが……当時、まだ3つに折る大きさのチロルチョコレートが10円だったので、この額にはちょっと自信がない。因みに、小説版で雪子が売るおにぎりは一個15円、新聞の解説記事では一個20円となっている)だと言われ、余りの安値に、雪子は「古いから、値打ちがあるのと違いますか?」と食い下がる。所が、その着物の襟の辺りであったと思うが、「ん?」と、何かに気づいたらしい男は、急に値段を上げる。「この人、何で急に値段を上げはったんやろ?」と、雪子が疑問を抱いた所へ、男の母である店主が帰宅。「お前になんか、(質入れ品の価値が)判るもんかね」と、息子から着物を取り上げて値踏みし、矢張り、同じような値段を付ける。所が、この母親も襟の辺りに何かを見つけて「何か、縫い込んである」「お金じゃないですか?」鋏を借りて縫い目をほどいてみると、果たして、そこには千代がこっそり縫い込んでおいてくれた何枚かの紙幣が入っていた――。
 柳食堂の二階の部屋で、仕入れに使って残ったお金を大切そうに数えながら、雪子は「お千代さん、お金、使わせて戴きました……」と、感謝に満ちた眼差しで虚空を仰ぐ。千代の無言の、しかし、しっかりと先を見通した深い思いやりがしみじみと偲ばれて、好きな場面である。
 かやくごはんのおにぎりは、程なく「味付け」の問題に直面する。
 記憶にある場面では、おにぎりの販売を手伝い始めたみよが、ある時――多分、雪子が過労で倒れるか何かして、代わりに売りに行くことになった日――雪子が釜に仕掛けて、後は炊くまでになっていたかやくごはんを、火を点ける前に味見して、「薄いなぁ」と、勝手にお醤油を足してしまう。東京人のみよが、更に辛いもの好きであったことも災いして、その翌日、雪子が自ら調整したおにぎりは「(昨日食べたら)ひどく辛かった」「食べた後、何杯も水を飲まなければならなかった」と、ひどく不評で全く売れなかった……。
 こうした、関西風の味や好みと、関東風のそれとの違いを描く為の伏線でもあったのだろうか、その前後には、しげ子が父をすき焼き屋に誘い、「東京のお葱て、何で白いとこばっかりなんやろ」と呟く場面もあった。

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2009年7月15日 (水)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・12

 記憶では――多分、錦織が、自分の所用が済むまで、後妻のみよが働いている柳食堂で待っていてくれと言ったのだと思うが――その食堂の場面で、年配の女性店員が布巾の同じ面ばかりでテーブルを拭くのを見た雪子が、布巾や雑巾は折り返しながら常にきれいな面を使って拭くものだという千代の教えを思い出す。雪子はその店員をみよだろうと思い、注文を聞かれて「すうどんでも」と言う。関西では、麺とつゆだけのうどんのことだが、その店員には通じない。困った店員が、厨房の女主人に訊ねると「おかめのことだよ。酢なんか入ってないのにね」――そこへ、若い店員が出前から帰って来るが、実はこちらが錦織の妻のみよであった。
 錦織の家に同居させて貰うことになった雪子は、これから暮らす東京という土地を知る目的も含めて、錦織の「観光せんべい」の企画について、菓子問屋の意見を聞いて回ることにする。その途中、問屋街の店員たちが、忙し過ぎて食事もろくにとれない状況にあることを知り、彼らにおにぎりを売る商売を思いつく。そうして実際に売り始め、価格の設定や販売する場所など、より売れる為にはどうしたら良いかを考え続けて、やがて、かやくごはんのおにぎりを作ったらどうだろうかと思い至る。
 記憶では、雪子とかやくごはんの思い出として、戦時中の雛祭りの日の場面があった。空襲警報が鳴り響く中、母が「早よ防空壕へ!」と叫ぶのに、家に飾った粗末な雛人形を取りに戻った幼い雪子は、壕の中で母にひどく叱られる。ひとしきり叱ると、母はお昼にしようと、壕に持ち込んでいたお櫃の蓋を開ける。「かやくごはん?」目を輝かせる雪子。母は「お雛さんにも供えたげよ」と、よそったかやくごはんを内裏雛の前に置く――戦時中とは言え、雪子の最も幸せであった時代の記憶と、かやくごはんとが結びついていることで、この「かやくごはんのおにぎり」が、単に「売れるおにぎり」「自宅では作れないような付加価値のあるおにぎり」を目指しての戦略であるばかりでなく、雪子の人生と深く結びついた、雪子ならではの発想であることも無理なく強調される。決して運や思いつきや商才ばかりで成功して行くのではなく、深い喜びや悲しみに裏打ちされた経験の一つ一つが、その大切な糧となって雪子の人生を支えているのだと、しんみり窺い知ることが出来、そこからまた、雪子に対する親しみや共感が生まれて行ったような気がする。

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2009年7月14日 (火)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・11

 千代の家を出た雪子は、古くからの知り合いで「錦織のおっちゃん」と呼び親しんだ錦織のことを思い出す。錦織は、突飛な発案で新しい珍しいお菓子を製造し、知人と共に「花錦菓子工業」という会社を起こして、今は東京にいる筈であった。
 記憶では、回想場面で雪子に新会社のことを夢中で話しながら、錦織が幾つかの珍しい新案菓子に加えて「それと、ホワイトチョコレート。色は白いけど、味はチョコレートのやつな」と言う場面があったが、その頃、恐らくグリコの「ペロティ」(丸いチョコレートの層の上にホワイトチョコレートの層を重ね、その上にチョコレート彩画が施されていた)等で、既にホワイトチョコレートというお菓子が実際に存在することを知っていた為か、余り目新しい気がしなかったことを覚えている。
 錦織を頼って上京する雪子。記憶では、東京行きの夜汽車の中で気分が悪くなった雪子に、向かいの席に座った男が鎮痛薬か何かを分けてくれる。親切に感謝し、洗面所でその薬を服もうとした雪子は、ふと、宗六が足を捻挫し、千代が焼鏝を当てて治療した時のことを思い出す。高熱に苦しむ宗六を見るに忍びず、近所から氷を貰って来て砕いている雪子の姿を見た千代は「いらんこと、せんといて!」と、笊に入った氷を土間に捨ててしまう――薬や氷の世話にならず、自らの治癒力・回復力を信じよという教えであった。雪子は、薬は服んだことにして座席に戻るが、男は眠りかけた雪子の懐中を探ろうとし、途端に目覚めた雪子は「何しはるんですか!?」と、掏摸であったか、痴漢であったかの危機を逃れる――そういう場面があった。
 しかし、いざ東京に着いてみると、錦織の会社は既に倒産していた。身重の上に心労が重なり、錦織を尋ね歩くうちに倒れた雪子は、菓子問屋・三松堂の婿養子である修に助けられ、店に運び込まれる。修の妻・敏恵とその母とくに、修との仲を疑われた雪子は、いたたまれずに店を出ようとして、商用で訪れた錦織と再会する。
 大衆食堂の二階に間借りして住み、かつて「花錦菓子工業」を共同経営していた煎餅屋の花岡の仕事を細々と手伝いながら、錦織は今も新商売の夢を捨てず、中身は同じでラベルだけを変えた「観光せんべい」の企画を立てたりしていた。その為のラベル印刷の機械を先に発注して、花岡や娘のしげ子の顰蹙を買うような、地に足のつかない所が錦織にはあった。

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2009年7月13日 (月)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・10

 雪子が土地を買い、和風建築を建てる話を進めている家を、千代は自分に売らせてくれと申し出る。それを自ら買い取り、雪子の儲けた額をきちんと渡した千代は、その家に、雪子と宗六が住むように言う。つまり、雪子を宗六の嫁に迎えたいと言うのである。
 堤建設を継いでいる長男の宗之助は、嫁の敬子に会社を牛耳られ、社員や現場の人間の信頼も得られずにいる。千代は、愚かな宗之助を諦め、堤建設の未来を宗六に託そうと考えていた。そうして、雪子ならば、宗六をしっかりと支え、嫁としての務めを立派に果たしてくれるだろう――そう見込んだのであった。雪子が既に、宗六に対して好意以上の思いを抱き、宗六もまた同様であることも、千代は見抜いていた。
 宗六からも求婚された雪子はひどく悩む。許婚者であった牧田とは、一度だけ不本意な過ちがあった。思い悩んだ末、雪子は遂に千代に告白するが、千代は「忘れよ」と言う。過去を誤魔化すのでも隠すのでもなく、忘れよう……その千代の言葉に、雪子は宗六の求婚を受け入れる決心をする。
 しかし、相愛の二人の未来には、どこか不安で不吉な空気が漂っていた。記憶では、それを象徴するように、新所帯の為に雪子が買って来たばかりの夫婦茶碗が、些細な事故で割れてしまう場面があった。
 会社の為に、宗六を政略結婚させる腹づもりでいた宗之助と敬子は、この話に猛反対した。何とかこの縁談を壊そうと、宗之助は雪子の素性を調べ始めるが、程なく千代に悟られ、逆に、会社の株の大半が敬子とその一族に握られていること、自分が名ばかりの社長であり、いつ追い出されても文句の言えない立場にいることを知らされる。宗之助は逆上の余り敬子を問い詰めるが、敬子は巧みに言い逃れを繰り返した挙句、実家に逃げようとする。
 記憶では、敬子を追って屋敷の石段を駆け下りる途中、宗之助は転倒して頭を強打。顔を血塗れにして立ち上がった宗之助を、敬子は冷たく一瞥しただけで、さっさと踵を返して行ってしまう――という場面があったと思うのだが、小説版では、敬子の車を追おうとした宗之助が、後続の小型三輪に轢かれるように書かれている。
 こうした騒ぎの最中に、雪子は思いもよらなかった妊娠を知って愕然となる。牧田の子である。かつての許婚者の子を宿したまま、宗六の妻になることなど出来はしない――。
 雪子は、せっかく掴みかけた幸せを諦め、千代と宗六の許を去る決意を固める。

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2009年7月12日 (日)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・9

 千代から大金を預けられ、それを好きに使って増やしてみるように言われた雪子は、それまでの千代の教えを様々に思い合わせて、土地を買って家を建てて売る――建売住宅でお金を増やすことを考えつく。そうして、宗六に協力を頼んで、堤組の飯場近くで山を持っている地主を訪ねる。
 記憶では、二人が訪ねて行くと、地主の妻が庭先に臼を出して餅を搗こうとしていて、こういうことの丸切り出来ない嫁が叱られている。見かねて声を掛け、手伝いを申し出た雪子は、蒸米を杵で捏ねる手つきを褒められ、更に宗六が杵を持ち、雪子が手返しを担当して餅を搗き始めると、余りに息の合ったその様子から夫婦だと勘違いされる――という場面があった。また、記憶は心許ないが、小説版や新聞記事では、地主を訪ねる途中、川岸で洗いかけの大根を目に留めた雪子が、何となく洗いたくなって、慣れた手つきで洗い始める場面がある。
 こうした様子を見ていた地主は、土地を売る気はないが、和風の家を建てるという条件でなら売っても良い、雪子ならそういう家を建ててくれるだろう、と言う。そうして、造成地に建つ新築の家々を見せながら、「赤い屋根、青い屋根……」と、自分が売った土地に建てられた洋風建築が、付近の雰囲気を損ねてしまったことへの恨みを語る。
 当初は洋風建築を考えていた雪子であったが、地主の条件をのんで、丘の上の良い土地を安く手に入れることに成功する。しかし、千代に事の次第を話すと、和風建築は売れない、何故、洋風建築にしなかったのか、と叱られる。値切るのは才覚だが、施されて心が入ると恩になり、商いではなくなる。地主から恩を受けた為に、土地を安く買えても思い通りの洋風の家が建てられなくなった――。
 雪子はもう一度地主を訪ね、洋風建築を許して欲しいと頼み込む。しかし、堤組の古参の鳶職人らが、和風建築で久々に腕が揮えると喜ぶ姿に、また心が揺れ始める。
 この辺りの記憶では、土地代金の支払いの時に、現金をお腹に巻かず、植木鉢に詰めて持参する場面があった。また、宗六が描く洋風建築の想像図や、鳶職人の椎茸が描く和風建築の想像図が、画面一杯に手描きの線で描かれる場面が印象強い。我家のTVはまだ白黒であったが、丘の上で大空を背景に描かれたその想像図の向こうが、晴れた青空であるかのような錯覚を覚えた。
 結局、雪子は椎茸の描く和風建築を「ほな、それ、お願いします」と依頼する。

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2009年7月11日 (土)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・8

 芦屋の一家心中の家に、一部屋だけしかない家を新しく建てた上で、千代は古い知り合いである人気落語家・幸福亭円満(フランキー堺)を寄席に訪ねる。そうして、この家を円満に売り、その場で買い戻し、更にその日の高座のネタにさせて「縁起なおし」を図る。
 この「縁起なおし」の回で、特に記憶にあるのは、楽屋の場面である。
 千代は、寄席の係員に「母親が来たて言うて」と、円満に伝えさせる。楽屋の円満は、遊びに来た女性ファンたちを他愛ない話で笑わせている所であった。知らせを聞いて、はて、母は死んだ筈だが、落語家になる為に家を出た時、母親の金の入歯を失敬して来たので、それを恨んで化けて出たのかも……と、円満が言うなり、暖簾の向こうから「恨めしやぁ。入歯返やしてぇ」と、千代が両手をぶらんと垂らして幽霊の真似をしながら現われる。「こら、お千代はん!」ぱあっと喜色を湛えて千代を迎える円満……。
 ここで、二人が旧知の間柄であることを悟った楽屋の女性ファンたちが「それやったら、積もるお話もありますやろし、私らは、これで……」と、きれいに退散して行く件りが、何とも言えず気に入ったのを覚えている。
 それから、円満の高座を客席で鑑賞しながら、じっと目を閉じたままの千代を雪子が訝ると、「落語は見るもんやない。聞くもんや」――見た当時はその意味がよく判らなかったのであるが、後にラジオで落語を聞いた時、初めてこの千代の台詞が理解出来た気がした。伝統的な話芸である落語は、生の舞台は勿論面白いけれども、同様に「音だけ」を聞いても十二分に面白い。音声を聞いているだけでも、噺家の身振り手振りまでがちゃんと想像出来るし、音のみに集中出来る分、より深く味わうことが出来るように思う。演劇のラジオ中継というのは余り聞いたことがないが、落語は今でも普通にラジオ番組に組まれているのは、落語というものが「見ても聞いても、同等の面白さが約束される演芸」であるからではないだろうか。
 所で、この幸福亭円満(小説版では、桂春丸)を演じていた俳優さんが誰であったのか、長い間ずっと思い出せなかったのであるが、今回、新聞縮刷版の記事から、フランキー堺さんであったことが漸く判った。ぼんやりと、本職の上方の落語家さんだったかなぁ……位には思っていたのだが、全く違っていた。矢張り、きちんと調べて確認することが大切であると、今更のように感じた次第である。

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2009年7月10日 (金)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・7

 成人した雪子は、強欲な継母の画策で、旧家の惣領息子・牧田との縁談を進められる。式の当日、牧田には愛人も子どももおり、その子を引き取って雪子に育てさせる為に、この縁談が起こったこと、継母も父も承知の上で、自分にだけが知らされていなかったことを初めて知った雪子は、お色直しの隙に披露宴の席から逃げ出す。
 その夜、大阪へ向かう汽車の中で、雪子は一風変わった老婆・千代に出会う。大阪駅で、偽の客引きに騙されそうになった雪子を助けて家に泊めた千代は、雪子の身の上を聞いて、一緒に「自分で働いて食べていく」ことを勧める。
 亡夫と共に、テキ屋から始めて土木建設請負業・堤組を起こした千代は、七十歳を越えた今も、息子たち――堤建設の社長である長男・宗之助と、専務の六男・宗六――の世話にならずに一人で稼ぎ一人で暮らしている、実に頭の良いしっかり者のお婆さんであった。
 千代は雪子を伴い、まず、岐阜の山中で拾って来た菊石を堂島のオフィス街で売る商売から始める。この辺りで記憶にあるのは、雪子がビルの給湯室へお茶を貰いに行っている間に、もう幾つかの菊石を売ったと自慢げに話し、「これがほんまの“お茶の子さいさい”や」と、にんまり笑う場面である。
 次に千代は、早朝の道頓堀で紙屑を拾ってバタ屋に売る。かと思えば、経営者が同じ料理屋とレストランの間に所有する僅か二坪半の土地を、頭を使った駆け引きの結果、五百万円で売って雪子を驚かせる。
 更に千代は、儲けたお金を使って、芦屋で曰く付きの廃屋を買う。蜘蛛の巣だらけで草ぼうぼうの庭先に、昼間から烏が不気味に鳴いているような恐ろしげな屋敷で、一家心中があった縁起の悪さから買い手がつかなかった物件である。
 恐らく、このお話の時のことだろうと思うのだが、記憶にあるのは、即金で買う為の札束を雪子のお腹に巻かせて妊婦に見せかけていた千代が、支払いの段になって、雪子に「ちょっと便所行って、子ぉ産んどいで」――何事かと驚く売り主に対して、事も無げに「いや、金の子、金の子」――と言う場面である。お腹に現金を巻くのは、無論、防犯の為であるが、更に妊婦に見せかけるのは、どんな泥棒も身重の人には手を出さないから……という知恵からである。
 こうして、千代は雪子に、体を使う商売と頭を使う商売の違い、お金の儲け方と使い方――といった大切な事柄を、実践しながら短期間に確実に教え込んで行く。

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2009年7月 9日 (木)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・6

 第1話を始め、見逃して記憶に残っていない回も何話かあるし、小説版で書き変えたり書き足されたりしている所もあるものと思われるし、新聞TV面の解説記事も実際のドラマとは微妙な違いがあるようなので、さて、どのように纏めて行こうかと悩んでしまう。

 まずは、主題歌「琵琶湖慕情」の冒頭で朗読され、小説版・上巻の帯にも書かれ、下巻の終幕にも登場する詩(『細うで繁盛記』の「銭の花の色は清らかに白い……」に相当するもの)から紹介しておく。(引用:『ぼてじゃこ物語(下)』花登筐/著(北溟社・2001)p.340, l.5-8)

  女とは哀しい魚
  愛という餌を求めて
  ひたすらに清い流れをさかのぼる
  針の痛さも知らないで

 滋賀の石山に生まれた雪子は、十二歳の時に実母を亡くし、継母のけいに虐げられて育つ。そんな雪子の心の支えは、実母の八重が口癖のように教えていた「どんな時でも、ぼてじゃこになったらあかん」という言葉であった。
 ぼてじゃことは、琵琶湖に棲息する腹の膨れた雑魚の一種で、鉤を下ろすとすぐに喰いつくほど貪欲な魚だが、食べることも出来ないので、釣り上げられてもすぐに捨てられる――「ぼてじゃこになったらあかん」とは、「目の前に餌があれば見境いなく喰いつき、釣り上げられると捨てられるだけの、ぼてじゃこのようにガツガツした人間になってはいけない。何事も、常に、その餌に鉤が付いていないかを確かめるだけのゆとりを持って生きなさい」という意味の言葉である。
 回想で、実母と湖の浜辺を歩いていた幼い雪子が「お魚が死んでる!!」としゃがみ込み、覗き込んだ八重が「それが、ぼてじゃこや」と教える場面があった。また、小説版・上巻の帯の背には「琵琶湖の魚に生き方を知る」とある。雪子は作品の随所で、この教えに救われ、また、その時々の行動を「私はあの時、ぼてじゃこやったのと違うやろか」と反省しては、より強く賢い人間に成長して行く。
 この言葉は、花登氏の全くの創作なのだろうか。それとも、琵琶湖畔に生まれ育った人々にとっては、古くから馴染みの深い表現なのだろうか。いずれ調べてみたい気がする。
 ともかく、作品の主題と見事に繋がり、全編を通じて非常に強く視聴者の心に残る名言であり、また「地域に根ざした人生訓」(或いは「如何にもその地域で実際に存在する人生訓であるように、素直に感じられる名文句」)として、実によく出来た言葉であると思う。

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2009年7月 8日 (水)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・5

 ここからは、今も記憶しているドラマの場面や台詞を中心に、小説版・新聞縮刷版TV面の記事に助けられながら、やや詳しく物語を辿って行こうと思う。
 なお、記憶・小説・新聞記事のそれぞれで微妙に異なる名称や設定については、ひとまず「最も近いと思われるもの」に統一する方向で纏めて行くことにしたい。
 参考までに、どのような差異があるかと言うと、例えば、雪子が亡母から教わった人生訓――記憶にあるのは「ぼてじゃこになったらあかんえ」であるが、小説版では「ぼてじゃこになったらいかんえ」となっている。また、第1話を解説する『朝日新聞縮刷版』TV面の記事(朝刊)では、
   「細うで繁盛記」の花登筐の脚本による根性ドラマ。亡き母の言葉
   ―「ぼてじゃこ(びわ湖産のタナゴに似たざこで、飯粒でも釣れる
   どん欲な魚)になる」を胸に、懸命に生き、商売を学ぶ女を描く。
 ――と、あるのだが、亡母の教えは「ぼてじゃこになる」ではなく「ぼてじゃこになってはいけない」なので、これでは大切な言葉の意味あいが正反対になってしまう……。
 他にも、堤建設・堤組の名称。記憶にあるのは「堤建設」「堤組」であるが、小説版では「堤川建設」「堤川組」で統一され、新聞では「堤建設」「堤組」と「堤川建設」「堤川組」の双方が使われている。或いは、三松堂の業種。記憶では「菓子問屋」、小説版でも「菓子問屋」だが、新聞では「菓子問屋」「みやげ物屋」と二種類ある。それから、柳食堂の屋号。記憶も小説版でも「柳食堂」なのだが、新聞では「柳屋」「柳食堂」の二種類ある。また、宗六は、小説版では「六男」だが、新聞では「次男」となっている。雪子の実家も、小説版では「草津の雑貨屋」、新聞では「石山のみやげ物屋」である。

 なお、『朝日新聞縮刷版』で見る当時のTV面の番組解説記事は、朝刊では解説欄に縦書きで、夕刊では番組表内に横書きで、それぞれ掲載されている。但し、第3話・第7話・第11話・第18話・第19話・第22話・第27話・第28話・第29話・第30話・第31話・第33話・第36話は、朝刊に解説の掲載が無い。また、第4話・第39話(最終回)の放映日は夕刊の休刊日(祝日・年末年始)に当たっており、第27話は夕刊に解説の掲載が無い。(因みに、第27話の放映された10月7日から、裏番組で『女人平家』(TBS系・21:00~21:56)が始まっている)

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2009年7月 7日 (火)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・4

 次に、小説版と新聞縮刷版TV面の解説記事を元に、判る限りの配役を一覧にしてみる。

 雪子(主人公)……………三田佳子
 千代(堤組の御隠居)……ミヤコ蝶々
 宗六(千代の末子)………本郷功次郎
  宗之助(千代の長男)……高田次郎
  敬子(宗之助の嫁)………扇千景
  けい(雪子の継母)………原知佐子
  牧田輝男(雪子の許婚)…船戸順
  椎茸(鳶職人)……………芦屋小雁
  (役名資料なし)…………谷幹一
  (役名資料なし)…………左とん平
 (役名資料なし)…………田崎潤
 (役名資料なし)…………田中春男
 (役名資料なし)…………山田桂子
 (役名資料なし)…………村松英子
 花子…………………………小林亜紀子
 幸福亭円満(落語家)……フランキー堺
  甚作(地主)………………吉田義夫
 錦織(雪子の知己)………大村崑
 しげ子(錦織の娘)………有岡やよい
  みよ(錦織の後妻)………天地総子
  花岡(煎餅屋の主人)……加東大介
  修(三松堂の主人)………竜雷太
  敏恵(修の妻)……………亀井光代
  とく(敏恵の母)…………沢村貞子
  平沼(税務署員)…………久保明
  主人(料理店の主人)……西山嘉孝
  女将(料理店の女将)……荒木雅子
  マスター(花子の雇主)…近藤宏
  バーテン(花子の恋人)…山本浩司
  老人(先生)………………石山健二郎
  (役名資料なし)…………菅井きん
  (役名資料なし)…………柳谷寛
  (役名資料なし)…………宝生あやこ
  (役名資料なし)…………市村俊幸
  (役名資料なし)…………清水元
  (役名資料なし)…………富田次郎
  (役名資料なし)…………潮万太郎
  (役名資料なし)…………中真千子
  (役名資料なし)…………有島一郎

 なお、鳶職人の般若猫と豆田は、谷幹一さんと左とん平さんが何れかを演じておられたと思う。雪子の父・順吉役は、出演話数から見て恐らく田中春男さんであったと思われる。小林亜紀子さん演じる花子は、千代の近所に住むホステスさんだった気がするが、小説版にも登場しないので自信がない。各々4話以上に出ておられる山田桂子さんと村松英子さんも、役柄の記憶が定かでない。柳食堂の女主人は、菅井きんさんであった筈である。(因みに、大村崑さん演じる錦織は「にしこおり」と読む)

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2009年7月 6日 (月)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・3

 雪子と宗六の結婚に反対する宗之助は、雪子の素性を調べ始めるが、折から、堤建設の株の大半が妻・敬子の一族に握られていることを知る。宗之助は逆上の余り大怪我を負って命を落とし、結局、堤建設は敬子の一族に乗っ取られる。
 一方、思わぬ妊娠に気づいた雪子は、宗六との結婚を諦め、故郷の知己である錦織(大村崑)を頼って上京する。しかし、錦織の製菓会社は既に倒産しており、途方に暮れた雪子は、疲労で倒れて菓子問屋・三松堂の修(竜雷太)に助けられる。そこで錦織と再会出来たものの、修の妻・敏恵(亀井光代)と、その母とく(沢村貞子)は、婿養子の修と雪子の仲を疑う。錦織は、娘のしげ子(有岡やよい)や後妻のみよ(天地総子)と共に食堂の二階に間借りし、かつて「花錦菓子工業」を共同経営していた煎餅屋の花岡(加東大介)の仕事を細々と手伝う身の上になっていた。
  錦織を手伝って問屋街を回るうち、食事をとる暇もない店員たちの姿を見て、雪子はおにぎりの行商を思いつく。やがて、かやくごはんのおにぎりを考案して売り出した雪子は、下町と山の手の好みの違い、関西と関東の味覚の違い、衛生面の問題、商売仇の出現など、次々と直面する失敗や不安材料にもめげず、懸命に試行錯誤を重ね努力を続けた末に、見事な成功を納める。その成功を常に支えたのは、実母の「ぼてじゃこになったらあかん」という遺訓であり、千代から教わった商売の知恵であった。
 節約や工夫を巡る雪子の話などから、旧知の千代が雪子の恩人であることを悟った花岡は、千代に手紙を書く。上京した千代は、雪子を秘かに見守る一方、三松堂母娘の雪子に対する誤解を解くなど、雪子の為に蔭で巧みな活躍を見せる。
 次々と商才を発揮して行く雪子の姿は、周囲の人々にも大きな影響を与え始める。大手製菓会社との契約を切られ、倒産の危機に陥っていた三松堂でも、修夫婦が雪子に触発されて始めたサンドイッチ販売が成功。みよはおにぎりの販売で自立の自信をつけ、税務署員・平沼(久保明)に仄かな思いを感じて錦織との離婚を考えるが、花岡に諫められる。
 やがて、お腹の子の産み月が迫った頃、雪子はおにぎり販売の商売を会社組織化する「花錦弁当株式会社」の構想を皆に話す。
 月満ちて、故郷の病院で無事に男の子を出産し「宗夫」と名付ける雪子。その産褥に、大阪から宗六と千代が駆けつける……。

 ――ほぼ、以上のような物語である。

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2009年7月 5日 (日)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・2

 まず、この作品のあらすじを、ドラマの記憶・小説版・新聞縮刷版TV面の記事からまとめてみる。(注:古い記憶に頼っている部分もありますので、万が一、ドラマと異なる箇所等があっても、どうぞご容赦下さい。拙いながら「ほぼ、こういう感じのお話でした」と、お伝え出来れば……と思います。なお、文中の俳優名は敬称略とさせて戴きます)

 琵琶湖畔の貧しい家に生まれ、早く母を失った雪子(三田佳子)は、その母が遺した「ぼてじゃこになったらあかん」という人生訓を胸に成長。継母・けい(原知佐子)の画策で、旧家の総領息子・牧田輝男(船戸順)との縁談を強引に進められるが、挙式当日、牧田には愛人も子どももいることを知って式場から逃げ出す。
 大阪に向かう汽車の中で、不思議な老婆・千代(ミヤコ蝶々)と知り合った雪子は、千代に気に入られ、同居しながら千代流の一風変わった商売の極意を教えられる。
 堂島のオフィス街で勤め人を相手に菊石を売り、早朝の道頓堀で紙屑を拾って僅かなお金に換え、倹約と工夫で無駄を省いた質素な暮らしを実践する一方、他人の土地の間に所有する僅か二坪半の土地を、駆け引きの末に五百万円で売却し――と、まずはお金の稼ぎ方を雪子に見せた千代は、次に、この五百万円を使って、芦屋で一家心中の曰くが付く廃屋を買い、応接間だけの家を建てた上で、知己の落語家・幸福亭円満(フランキー堺)の高座のネタにさせて「縁起なおし」も果たし、これを売って更に大金を手にする。
 千代は、亡夫と起こした建設会社・堤組――今は堤建設の社長である長男・宗一郎(高田次郎)や、その嫁・敬子(扇千景)とは折り合い悪く、末子・宗六(本郷功次郎)に、会社の行末も含めた期待を掛けていた。飯場の人々も皆、千代や宗六の味方であった。
 次に千代は、雪子に大金を預け、それを使って増やすように言う。雪子は、土地を買って家を建てて売ることを思いつき、宗六の協力を得て地主を訪ね、和風建築を立てる条件で良い土地を安く手に入れることに成功するが、千代から、和風建築は売れない、何故、洋風建築にしなかったのかと叱られる。しかし、千代はその家を買い取り、雪子と宗六に住むように――雪子を宗六の嫁に迎えたいと――言う。宗六からも求婚された雪子は悩み、牧田との過去を千代に告白するが、過去のことは忘れようと言う千代の言葉に、宗六の求婚を受け入れる決心をする。

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2009年7月 4日 (土)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・1

 花登筐氏の脚本による『ぼてじゃこ物語』は、昭和46年4月8日~同年12月30日まで、日本テレビ系で毎週木曜日の21:30~22:26まで、全39話が放映されている。
 以下に、『朝日新聞縮刷版』通巻第598号~第606号のTV面(朝刊)から、放映日と副題を書き出してみる。(注:話数は便宜上付したものですので、実際のそれとは異なるかも知れません)

 第1話 雪子という女(4.8)
 第2話 商売とは(4.15)
 第3話 はだかの教え(4.22)
 第4話  先の先まで(4.29)
 第5話  人に勝つには(5.6)
 第6話  アッと言う間の五百万円(5.13)
 第7話 釣られた女(5.20)
 第8話 見えぬ針(5.27)
 第9話 うまい金の使い方(6.3)
 第10話 縁起なおし(6.10)
 第11話 雪子と大根(6.17)
 第12話 ほどこしを受けるな(6.24)
 第13話 嫁の資格(7.1)
 第14話 ジャコとヒガイ(7.8)
 第15話 嫁ふたり(7.15)
 第16話 涙(7.22)
 第17話 対決(7.29)
 第18話 衝撃(8.5)
 第19話 別離(8.12)
 第20話 父と子の詩(8.19)
  第21話 下町の顔(8.26)
  第22話 異常な正常(9.2)
  第23話 おにぎり(9.9)
  第24話 観光せんべい(9.16)
  第25話 売れた!(9.23)
  第26話 衛生おむすび(9.30)
  第27話 男ごころ(10.7)
  第28話 ダボハゼ女(10.14)
  第29話 柳の上に……(10.21)
  第30話 わたしは祖母(10.28)
  第31話 江戸っ子、上方っ子(11.4)
  第32話 取り返せ!(11.11)
  第33話 レッテルとのれん(11.18)
  第34話 商いと税金(11.25)
  第35話 笹のおにぎり(12.2)
  第36話 自然なこころ(12.9)
  第37話 別れる日(12.16)
  第38話 結びあう喜び(12.23)
  第39話 ぼてじゃこの子(12.30)

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2009年6月10日 (水)

雪っ子はんとの再会――小説『ぼてじゃこ物語』との初対面

 ネット上ではいずこも在庫なし・取り寄せ不可で、殆ど諦めていた『ぼてじゃこ物語』上・下(北溟社刊)を、出入りの書店さんのご尽力により、昨日9日、無事に入手することが出来た。(出版社に直接電話して押さえて下さったそうで……感謝しております)
 余りに懐かしいTVドラマとの、活字媒体を通しての久々の再会――少しずつ楽しみに読んで行こうと決めていたのに、いざ読み始めるともう歯止めが利かず、一気に上・下巻を読み通してしまい、気がつくと早朝の4時半であった……。仕方なく、2時間ほど眠ってから出勤したのだが、本当に久し振りの「勿体なくも充実した読書時間」を持つことが出来た気分であった。
 TVドラマの記憶とは微妙に違う場面や設定も散見されたが、概ねはこの小説版も同じ展開であった。初版は昭和48年3月20日(講談社)であったとのことなので、これはTVドラマの放映開始から約2年後になるから、ドラマの小説化であると考えてまず間違いはないだろう。(ドラマ放映よりも先に雑誌連載があったとしたら、また違って来るが……)
 筋立ての面白さも勿論あるし、懐かしさの力というものもあるのだろうが、上下巻を眠気も感じず一気に読み終えた理由の一つには、矢張り「読みやすさ」もあったように思う。随所に盛り込まれた「商売人の心構え」「商売のコツ」のような、商人もの・根性ものが得意とされた花登作品ならではの記述など、思わず唸ってしまう所、何度か読み返してしまう部分はあったが、全体的に見て、時間経過の判りにくい所などが少し気になった他は、物語の流れにも淀みがなく、人間関係も複雑過ぎず、語り口も軽やかで、良い意味で肩を凝らさずに読み進めることの出来る作品であった。
 所で――今回、この本が手に入ったことや、先日、主題歌レコードを買うことが出来た件などを、友人・知人の何人かにメールしてみたのだが、残念ながら『ぼてじゃこ物語』を知っている人は余りなく、少々寂しい思いがしている。
 で。何と言っても幼い頃の記憶ではあるし、第1話を始めとして何話か見逃した週もあるけれども、この機会に、覚えている限りの場面や台詞を少しずつ書き留めて行こうか……と思い立ってしまった。どのようになるかは判らないが、まずは少しずつ他の資料も当たりながら、書き留める為の準備から始めて行くことにしたいと思う。

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2009年5月24日 (日)

『ぼてじゃこ物語』のDVD化&シナリオ発売を待ち望む思い

 やっと入手出来たシングルレコードを、すぐには聞くことが出来ないせいもあるのだろうか、何だか無性に、『ぼてじゃこ物語』を見直したくてならなくなって来た。
 民放のドラマであるから、案外、今も残っていて、再放送やDVD化の可能性がなくもないのでは……という気がしないでもないのだが、今の所、DVDはまだ発売されていないようである。
 代わりに、シナリオ集でも出ていないかと、少し探してみたのだが、残念ながらこちらも見つからない。
 花登筐氏の手になる『ぼてじゃこ物語』と題する本は、当時、講談社から出ていたもの(全3巻あったらしい)や、同社の『花登筐長編選集』第七巻、2001年に北溟社から上下巻で出たもの、等があるようだが、恐らく、これらはシナリオではなく、小説化されたもの、或いは原作小説であろう。
 シナリオが、戯曲と同等に文学作品として扱われ、単行本が発行され始めたのは、確か、70年代の後半くらいからであった。それまでは、撮影台本=裏方のメモ書き、程度にしか認識されていなかったそうで、《キネマ旬報》《シナリオ》《ドラマ》といった雑誌に掲載されることはあっても、一般向けに独立した商品として活字化されることは稀であったし、読者の側もシナリオという形式の読み物に慣れておらず、需要が見込めなかったようである。
 原作のない映像作品――特にテレビドラマの場合は、放映中か放映後に、シナリオ作家の手で小説化されたものが出ることはあっても、シナリオの形そのもので活字化されることは、70年代にはまず滅多になかった。倉本聡さん、向田邦子さん、早坂暁さん、橋田寿賀子さんらのシナリオ作品を、書籍の形で読むことが出来るようになったのは、80年代に入ってからであったと思う。
 花登氏のドラマ作品は、70年代が最も隆盛を極めていたと思うが、そのシナリオは、果たして書籍化されていただろうか。
 新珠三千代さんの『細うで繁盛記』であれば、クレジットに「『銭の花』より」と表示されていたのを覚えているから、これは、先に原作小説があったことが判るのだが、『ぼてじゃこ物語』の場合は、同名の原作小説が先にあったのか、ドラマが先に放映されてから小説化されたものか、ちょっと記憶が曖昧である。
 映像でも活字でも構わない。もう一度「雪っ子はん」や「お千代さん」や「錦織のおっちゃん」に会いたい――そう切望されてならないこの頃である。

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2009年5月16日 (土)

「琵琶湖慕情」と○○年ぶりに再会すること

 長い間、探し続けていたシングルレコードがあった。
 曲名は「琵琶湖慕情」。子どもの頃に伯母と見た、民放の連続ドラマ『ぼてじゃこ物語』の主題歌である。歌っているのは、主人公の雪子を演じた三田佳子さん。作詞は脚本担当の花登筐氏であった。
 私にとっては、実に様々な意味から思い出深い一曲であり、また、ドラマで聞いて覚えている歌詞の一部に、どうしても意味不明の箇所があって、長い年月「ちゃんと歌詞カードを見て確認したい」と、ずっと思い続けて来た。
 以来、中古レコード市でもかなり探したし、CDが出始めた頃からは、ドラマ主題歌のアルバムなどに収録されないかと、虱つぶしに当たったし、通信カラオケが流行り始めてからは、どこかのカラオケで歌えないものか(=歌詞を確認出来ないものか)と結構調べた。
 インターネットが使えるようになってからも、随分と手を尽くして探して来たのであるが、運良く中古レコード店のサイトで見つかっても、問い合わせてみると既に品切れであったり、途方もない高値が付いていたりして、手に入れることが出来ず、そうこうするうち、レコードプレーヤーが故障してしまい、ここ何年かは半ば諦め気分で過ごしていた。
 そうして、去年辺りから、再び無性に「聞きたいなぁ……」と思われてならなくなって来たのであるが、矢張り状況は何ら変わらなかった。
 その「琵琶湖慕情」のシングルの記事を、つい最近、大阪の中古レコード屋さんのブログの中で見つけた。その時点で既に3ヶ月前に書かれた記事であったが、ともかく問い合わせをしてみると、何と、まだ在庫があり、取り置きも可能であると言う。しかも、お店は大阪市内にあるので、直接買いに行くことも出来る。
 これは――もう「ご縁がある!」と思うしかない。
 かくして、今日、浪速区難波中にある「レコードショップナカ2号店」さんへと足を運び、長年の願いであった「琵琶湖慕情」を無事手にすることが出来た。
 即、再生することの出来ないもどかしさはあるものの、まずは、歌詞の確認が叶った。
 意味が解らなったのは、一番の四節目に出て来る「♪ひとよでにいごっる。」と聞こえる部分であったが、歌詞カードを見て疑問は氷解した。「一夜で濁る」であった……。
 ○○年ぶりの快挙である。
 この上は、少しも早くプレーヤーを修理し、懐かしいあの三田さんの歌声をじっくり聞き直したいものである……。

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2009年3月17日 (火)

目下、結構気に入っていた新番組(ドラマ)のこと

 つい先日、この雑記で褒めたばかりのドラマが、何と、来週で早くも最終回を迎えると言う。
 まさか、たった三ヶ月で打ち切りなのか!? と、次週予告を見るなり、暫し茫然となってしまった。折角、久々に我家好みぽいドラマを見つけたのに、余りに惜しい。あの『サラリーマンNEO』も、1シーズンが半年であるから、まず半年は続くだろうと、勝手に想像していたのである。レギュラー出演陣の顔と役柄が、やっとひと通り一致したばかりだと言うのに……。
 大体が、主人公たちは、まだ法医学ゼミに入ったばかりで、卒業もしていない。レギュラー陣の人間関係も、全て描かれ終えていないように思うし(二度ほど見逃したので、その回で触れられたのかも知れないが……)、第一、主人公の家庭状況や過去などが殆ど語られていないから(もしや、最終回は、それ一本で通すのだろうか?)、まだまだ続くのだろうと安心し切っていた。以前は「1クール(13回)打ち切り」なんて、滅多になかったのに……。
 思わず、知人にメールして訴えた所、意外な事実を教えて貰った。
 最近の帯ドラマは、3ヶ月1クールで終了するそうで、しかも、きちんと全12話(最近は13話ではないらしい)が制作されることなど滅多になく、「10回終了」が多いのだそうである。更に、放映終了後すぐ、DVD-BOXが「べらぼーな値段」で発売され、中には更に高価で特典映像満載の「コレクターズ・エディション」などもあり、しかも、本当の結末は映画に委ねる――何て、不親切極まる形式の「後始末」も普通らしい……。
 素人なりに想像するに――もしかすると、そういう方式で「小刻み&総合的」なドラマ制作をする方が、成功・不成功の見通しがつけ易く、例え失敗しても傷が比較的浅く済み、企画が通り易いのではないだろうか。
 要するに、今はDVD販売や映画化までを視野に入れた、小ぶりで安全性のそこそこ高いドラマ企画が、主流になって来ているのかも知れない。視聴者の反応を見ながら、より良く息の長いドラマ制作を続けて行く――といった作り方は、もう贅沢過ぎるのだろうか。
 それはそれで良いのかも知れないが、そのような中から、半年、一年、或いは数年に渡り「惰性以上の何か」をもって見続けて貰える伝説的な帯ドラマが誕生することなど、滅多に起こらないのではないか……という気がする。制作側の都合が最優先なのだろうが、何だか寂しい。

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2009年3月 4日 (水)

サスペンス・ドラマの絡みで、ちょっと思い出したこと

 ある人物の言によると、推理小説ファンにとって、2時間物サスペンス・ドラマほど許せないものはないのだそうである。その人物には、絶対に譲れない大問題であったらしく、随分と熱弁をふるわれた記憶があるが、細かいことは忘れた。
 こういうことは、好みの問題と言うか、人それぞれなのではないかと思うが、私など、かの『赤髪組合』でさえ、結末を忘れ果てた状態でカセットブックを聞いて、「有名な推理小説を二度楽しめて、返って得したみたい」だと単純に喜んだような人間であるから、決して偉そうなことは言えない。
 けれど、犯罪物の2時間ドラマは、結構好きな方である。物語自体の面白さは勿論、実は、出演しておられる俳優さんの「格」と言うか――概そのキャリアやイメージ等から、ある程度の「真犯人予測」をつけたりするのも、原作付き作品の映像化を見る際の「配役想像の楽しみ」の延長みたいな感じで、楽しみの一つとなっている。
 例えば、ここまでの展開で一番怪しそうなのはAだが、それだと、わざわざBの役でこのレベルの俳優さんを起用した意味がなさそうだから、きっと真犯人はB!!――何て、物語を外れた明後日の方向で、推理ならぬ推測を巡らせるのが結構面白い。
 また、推理のド素人である故に、下手な推測をして外れた時の「落差を楽しむ」――何て、ひねくれた楽しみ方も捨て難い。
 もう随分前になるが、財前直見さんがスチュワーデス役で主演しておられた2時間物ドラマで、殺人に使われた凶器がメス様の刃物であることから、まず、医師役の石黒賢さんが疑われ、また、名ソムリエ役の一路真輝さんにも疑惑が向く……みたいな筋のものがあった。
 この時、私は素人なりに、まず石黒さんと一路さんは無実だろう……と推測した。板前さんが魂たる包丁で他者を殺傷するようなことは絶対にないだろうし、プロであればある程、誇りの象徴とも言うべき商売道具を穢すようなことは、まず考えられない。ならば、医師がメス、ソムリエがソムリエナイフを凶器に使うこともない筈だから、これは、石黒さんか一路さんを犯人だと見せ掛けておいて、実は他に、十徳ナイフでも巧みに使った真犯人が必ずいる筈……。
 そうして、この私の素人予測は見事に外れた。(再放送があるかも知れないので、どう外れたかは書かないでおく)
 こんな楽しみ方をするのは私だけかも知れないが……そこはそれ、人それぞれで良いのだと思う。

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2009年3月 3日 (火)

目下、結構気に入っている新番組(ドラマ)のこと・後

 作品そのものに関して、強いて難を挙げるならば……二つ、あるだろうか。
 一つは、主人公たちの交わすマシンガンのような日常会話が、どうしても聞き取り切れなかったり、意味がよく判らなかったりすること。
 若者特有の言い回しもあろうが、ぽんぽんと息も切らさず、まるで激しく口論でもしているかのような台詞の応酬(日常会話の一部である)は、余りに目まぐるしく進められてしまうので、私などにはとてもではないが付いて行けない感がある。
 しかも、その会話の中に、問題解決に繋がる重要な事項が、ぽろり、と飛び出すことも多いので、ぼーっと聞き流す訳にも行かず、何とも困ってしまう。若い視聴者には、あのテンポでないと、返って現実味が感じられなくなるのかも知れないが……。
 もう一つは、素人目にも、こじつけ・不自然・強引……と映る要素が散見されること。「ん?」「あれ?」と思った途端に、ドラマの世界に浸っていた意識が、ぱっと現実に引き戻されてしまうので、これが何とも惜しまれる。
 具体的には……例えば、鶴田真由さんがゲストの回で、路上で卵を持って感電死した故人(鶴田さんの夫)が、死の直前に結婚指輪を外して家を出た、その本当の理由に、主人公が気づくきっかけとなる場面。
 未亡人となった鶴田さんは、その直前に夫を傷つけるような言葉を浴びせてしまっていたことから「結婚指輪を置いて出て行った」=「夫に愛想を尽かされた」――のだと思い込み、激しい自責の念に駆られている。しかし、主人公は「指輪を外した」=「妻の為に慣れない料理を作ろうとした」――のではないかと思い当たり、それを見事に証明する。
 この展開のきっかけとなるのが、主人公たちの溜り場の一つである沖縄料理店で、店主が洗い物をする為に指輪を外す場面なのである。
 調理も給仕も客捌きもこなす店主が、指輪をはめて店に出ていたり、水仕事の度に指輪を外して作業を始めるというのは……効率面からも衛生面からも、どう考えても不自然である。
 せめて、余りの繁盛ぶりに、お節介な常連客の一人が「洗い場を手伝う」と申し出て、そこで指輪を外すのを目にした主人公が、ぱっと閃くものを感じるとか……そういった場面であったならば、まだ自然に感じられて、引っ掛かることもなかったのではと思うのだが……。
 ともあれ、何やかや言いつつ、結局は見続けている、最近お気に入りのドラマである。

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2009年3月 2日 (月)

目下、結構気に入っている新番組(ドラマ)のこと・前

 珍しく、続けて見ている民放のドラマがある。医大の法医学ゼミが舞台のお話で、これが毎回なかなか「我家好み」の展開を見せてくれるので、妙に気に入っている。
 法医学と言っても、たまに再放送で見る名取裕子さん主演の2時間ドラマ(あれも結構好きであるが)とは異なり――勿論、ドラマは毎回、変死体の司法解剖から始まる訳で、死因究明など「謎解き」の面白さは重要な要素になっているのであるが――基本的にはサスペンス・ドラマではなく、ヒューマン・ドラマとして仕上げられている所が面白い。
 医大での司法解剖によって死因が判明した時点で、警察は「解決」とし、法医学ゼミの役目もそこで終わる。しかし、このドラマの主人公ら――法医学者の卵であるゼミ生らは、それだけでは足りない「何か」を感じ、自主的に解剖データの再分析・再検証を丹念に重ね、遺族を訪ねて故人に関する話を聞き、実際に現場に出向いて観察し、推理し……そうして新しく得た様々なデータや手掛かりを、豊かな想像力によって組み合わせ繋ぎ合わせ、意外な鍵を見い出して、本来ならば決して明らかにはならなかったであろう「真相」に迫って行く。
 死因の確定だけでは到底納得出来ない遺族の思い、通り一遍の捜査や検死や解剖だけでは、誤解されたまま終わっていたであろう故人の真実の思い、思いもよらぬ死に至るまでの経緯、等々――恐らくは、遺族が一番知りたく思うであろうこと、故人が一番伝えたく思っていたであろうことを、まだ学生である彼らが、自分たちの意志で次第に明らかにして行く過程が、見ていて非常に心地良く、終幕には思わず、遺族や故人に代わって彼らにお礼を言いたくなってしまうような……そんなドラマである。
 主役は『篤姫』で小松帯刀を演じていた瑛太氏。脇で久々に名高達郎さんや時任三郎さんの顔も見た。毎回のゲスト陣も演技派の俳優さんが多く、安心して見ていられる。
 ただ……白状すると、恥ずかしながら(いや、いつものことだが)、主役以外のゼミ生4名(男子3名、女子1名)を演じている若い俳優さんらは、3~4回見て人物関係がある程度明らかになるまで、なかなか顔を覚えられなかった。特に、女子のゼミ生と女性助教授が殆ど見分けられなかったのは――助教授役の女優さんがかなり若く見えることもあったとは思うのだが――何より情けなく、改めて己が「人物識別能力」の低さを思い知らされた気がした。

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2009年2月22日 (日)

絵空事の世界に現実味の裏打ちを切望したこと

 先週のとある平日の夜、ウイルス検索に時間が掛かってパソコンが触れなくなり、待っている間に民放の番組をぼーっと見ていた所、意外な所でひつじのアルバイトを見つけた。実写のドラマの所々に、小さいアニメ(CG?)のひつじ(但し、サフォーク。変装してまでバイトする奴…!?)が突然おじゃま虫して、じたばたしたり嫌々したり泣いたり……なかなか可愛い。少し前に、知人から「OPや前回のあらすじのひつじアニメが可愛いドラマがある」と教えて貰ったのだが、どうやらそれであったらしい。
 で、そのドラマというのが、何やら風変わりな設定の学園物で……何故か、学園生活を送る生徒一人ずつに執事が付くという、相当に現実離れしたお嬢様学校が舞台で、校舎などまるで領主館か宮殿である。
 その回は、年齢にばらつきのある生徒たちが集うサロンのような部屋と、主人公の女の子の寮室と、やたら薔薇の多い校庭などが中心の展開であったので、具体的な授業の内容や様子、教師陣の顔ぶれ等までは判らなかったのだが、お話自体は、まぁ、少女漫画っぽいファンタジーの世界、という感じであるように――原作があるならば、恐らくは少女漫画であろう――思われた。
 が、しかし……ここで妙に違和感を覚えてしまったのが、生徒らの制服のスカートが極端に短か過ぎることであった。現代の普通の中学高校が舞台で、一部生徒のスカートが短い程度であれば、まだ最近の流行かと柔軟に理解も受容も出来たと思う。だが、伝統ある典型的私立女子校どころか、途方もない名門私立全寮制女子校らしき設定で、レディ育成が至上目的だの、卒業生は殆どが家の為に政略結婚するだの言いながら、肝心の生徒らの制服が全て、太もも丸出しに近い……というのが、何とも嘘っぽく思われてならず、瞬時に現実に引き戻されてしまった。しかも、その太もも丸出しの制服で、社交ダンスの稽古をする場面まであって……もう、優雅だの高貴だの気品だの言っていられる段階ではない感じであった。
 高額の授業料を納めて愛娘に最高級の淑女教育を受けさせようとする、旧家や富豪の当主でもあろうかと想像されるその保護者らが、果たしてあんな制服を認めるだろうか。第一、冷えは則ち将来的に不妊の遠因=継承者問題にも直結しかねない。
 つくづく、絵空事の世界は、もっと徹底して絵空事らしく、根も葉もある嘘を綿密に重ねて構築して欲しいなぁ……と、思った次第であった。

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2008年3月 4日 (火)

今週の「週刊 昭和タイムズ」の記事に思うこと・第22号

 ぼーっと流し読みして楽しむ程度の動機から購読し始めた「週刊 昭和タイムズ」であるが、どうも先週辺りから、記事を辿る目が小姑モードに入ったままらしく、今週もまた、ざーっと気軽に読み飛ばしていれば良いものを、思わず「ん?」と小首を傾げてしまう記事に気がついてしまった。
 今週発売の第22号(1976年)24ページに、この年の10月に公開された洋画『オーメン』に絡む記事が掲載されているのだが、その中に「その赤ん坊ダミアンは、ヨハネの黙示録で獣の数字とされる「666」のアザを額に持っており、徐々に悪魔と化し、周囲の人間を恐怖のどん底に陥れるのである。」という一文があったのである。
 グレゴリー・ペック主演の『オーメン(The Omen)』(1976・米)は、私の苦手な部類の怪奇物(オカルトやホラーの類)ではあるが、TV初放映の際に見て以来、その筋立ては勿論、複雑に関連し合う謎・現象・象徴など、様々な素材の巧みで無駄のない用い方に、恐さよりもむしろ面白さを覚えて妙に引かれ、再放送の度に見直して来た。一昨年、TV放映時の日本語吹替音声を収録したDVD「製作30周年記念コレクターズ・エディション」が発売された時には、思い切って購入してしまったのだが、残念ながら、まだ落ち着いて見る時間がない。しかし、改めて見直すまでもなく、その場面は今でもはっきりと思い出すことが出来る。
 終幕近く、ペック演じるソーン大使が、悪魔祓い師のブーゲンハーゲンに教えられて、ダミアンの髪に隠れている「666」の数字を確かめるべく、眠っている息子の髪を掻き分け、それらしい部位の髪を鋏で切り取って行く場面――ソーン大使が最後の最後までよもやと繋いでいた細い希望の糸が、無惨に断ち切られるその瞬間の、凍りつくような衝撃、名優ペックのあの表情……決して忘れられない印象深い場面である。
 もしもこれが――「666」の印が、記事にあるようにダミアンの額に付いていたとしたら……物語は始まった途端に終わってしまうだろう。額の真ん中に堂々と悪魔の印を付けた嬰児を、亡くなったばかりのわが子の身代わりとして養子に貰い受けるキリスト教徒が、果たして現実に存在するだろうか……。
 これについても、既にどなたたが編集部に指摘しておられることとは思うが……とりあえずは今回も、ここにも書いておくことにした。

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2008年2月25日 (月)

市川崑監督作品に思うこと

 今月13日、市川崑監督が亡くなった。訃報を知ったのは翌日の朝刊の一面であった。
 市川作品を一番最初に見たのは、多分、TV放映された『ビルマの竪琴(旧作)』であったと思うが、監督の名前を初めて意識して見たのは、矢張り『犬神家の一族』だろう。『悪魔の手毬唄』と『獄門島』と『女王蜂』、そして新作の『犬神家の一族』も見ている。ほか、ぱっと思い浮かぶのは『細雪』『ビルマの竪琴(新作)』『竹取物語』『天河伝説殺人事件』『四十七人の刺客』『どら平太』などである。劇場で見たものもTV放映分やDVDで見たものもあるが、特に印象深いのは金田一耕助シリーズと『細雪』と『竹取物語』だろうか。また、一度は見てみたいのに機会がなくてまだ見ていないのは『東京オリンピック』と『火の鳥』と『つる』と『映画女優』である。
 「監督独特の個性や表現手法の特徴といったものは、素人の目にもはっきりと判るもの」であるということを、ちょっと変わった形で痛感したのは『天河伝説殺人事件』を劇場で見た時であった。監督にも原作者にも出演者の方々に対しても非常に失礼なお話かも知れないのだが、物語が随分と進むまで、私は何だか、無意識のうちに「金田一耕助シリーズ」を見ているような錯覚に陥り続けており、浅見光彦の兄役で石坂浩二さんが登場した瞬間、漸く「あ!!」と気づいたのである。作品全体から醸し出される雰囲気、カットバックやモンタージュの手法などから、いつの間にか完璧にそう錯覚してしまっていたらしい。思い出すだに、何とも面白い経験であった。
 不謹慎な話ではあるが、熊井啓監督が亡くなった時、思わず「『黒部の太陽』が追悼番組で放映されるか、DVD発売されないだろうか」と考えてしまったことがある。今回もまた然りで、常々切望している『火の鳥』のTV放映或いはDVD化が実現しないだろうか……と、痛切に思った。この作品は、公開当時(1978)にTVでCMを何度か見ただけであるが、後に映画パンフレットだけは入手出来、配役やスタッフの豪華さに改めて驚き、是非とも見てみたいと思い続けて今日まで来ている。原作はまだまともに読んでいないが、青二プロ十五周年記念公演の『Symphonic Drama 火の鳥 黎明編』(1983)をビデオで何度も見ているから、大凡の物語は知っている。絶対に見てみたい。ただ、BOX仕様となるととても手が出ないので、これは単品発売でお願い出来れば……と思う。

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2008年2月24日 (日)

『サラリーマンNEO Season-3』放映決定の報を聞いて

 あの『サラリーマンNEO』の第3シリーズが4月から始まる――との情報を知ったのは、先月25日のことであった。一昨年の再放送以来、妙にはまり続けた作品であっただけに嬉しい限りである。
 しかし、今回、非常に腑に落ちない気がしてならないことが一つある。放送曜日の変更である。これまでのシリーズは、火曜日の午後11時から放映されていた。それが、新シリーズは日曜日の午後11時からになると言う。何故、同じ火曜日の放映ではいけないのだろうか。敢えて日曜日の夜に放映することに、一体どのような効果を期待しての変更なのだろうか。
 前回のシリーズが最終回を迎えた翌週、知人との間では「NEOのない火曜日――クリ○プを入れないコーヒー」「NEOのない火曜日――ひつじ化しない男神」……何てメールをやり取りした位であったが、それはさて置き、この番組は「火曜日の夜に放映されること」自体にも、大きな意味があったのではないかと思えるのである。つまり、週始めに当たる月曜日の夜でもなく、週末である金曜土曜の夜でもなく、週半ばと言っても良い「火曜日」(厳密に“週半ば”と言えば水曜日になるのだろうが)の夜に放映されるからこそ、週始めから既に丸2日間働いて相応の疲労を溜めているサラリーマン諸兄・OL諸姉の共感を、より強くより効果的に呼ぶことが出来た部分もあるのではないだろうか。少なくとも私は「あー、2日間よう働いたなー。NEO見て笑ろて、また明日からも頑張ろかー」「まー、多少は寝んのが遅そなっても良えか。面白いもんなー☆」と、火曜日の夜のこの30分は、どんなに疲れていても必ずテレビの前に座って来た。
 それが、多くの勤め人にとっては貴重な休日に当たる「日曜日」の午後11時からの放送になったのでは、随分と意味あいが変わって来る。これは丁度、週末・休日を思い思いに過ごして「あー、明日からまた仕事やー」と思いつつ、そろそろ寝支度に掛かる頃合いである。そのような時間帯に放映することに、果たして如何なる「新しい計算」があるのだろうか……。
 NHK年鑑の口絵にカラー写真も掲載され、国際エミー賞にさえノミネートされた程の番組であるのに、何故また新シリーズがこのような素人目にも不可解と映る扱いを受けるのか……非常に疑問である。
 まぁ、何やかや言いつつも、放映が始まればまた毎週見てしまい、DVDも買ってしまうことになるのであろうが……。

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2007年12月22日 (土)

TVドラマで見た、物凄く粋な一瞬の動作(演技)のこと

 少し前の土曜か日曜の午後、部屋の片づけをしながらたまたま見た民放の2時間ドラマの中で、久々に「物凄く自然で格好の良い粋な動作(演技)」を目にした。
 サスペンス物の再放送で、局名や題名や原作者名などは忘れてしまったが、主役は水谷豊さんで、妙に警察に顔のきく探偵の役であった。助手役に山村紅葉さんと戸田恵子さん、警察側に布施博さんと西田健さん、被害者役の一人に春田純一さん、女性写真家役に村上里佳子さん、大物写真家役に津川雅彦さん――らの顔があったことは覚えている。(つまり……知っている顔しか覚えていない訳である……)
 細かな筋立てや設定などは別にして(何しろ、究極の「ながら鑑賞」で、ぼーっと見流していたもので……)、この作品の中で最も印象に残ったのは、ある場面――と言うより、ある場面の中のある「一瞬の動作」であった。
 ドラマの内容としては、中盤を越えた辺りだったと思う。謎に満ちた連続殺人事件を追う中、過去の事件に関わる一眼レフカメラを手に入れた水谷さんが、写真界の大御所である津川さんの自宅兼スタジオを訪ねる場面があるのだが、そこで、庭の写真を一人で気ままに撮影していた津川さんが、水谷さんの手にしているカメラに目を留めて「ちょっと拝見」と借りる。手慣れた様子でひと通り触ってみて、最後に裏蓋を開けてちらっと中を確かめ、「少し手入れが悪いねぇ」と言って水谷さんに返す……。この場面で、津川さんが「空けた裏蓋を閉める動作」が、もう、余りに粋で格好よく、しかもごく自然に決まっていて、思わず息を飲んだ。それは、片手でレンズ部分をしっかり支え持った状態で、ごく僅かにカメラを左右に揺らし、その微かな反動を利用して一瞬で裏蓋を閉める――という動きであった。
 津川さんが、写真に趣味を持っておられるのかどうかは知らない。もしかしたら、役作りの段階で専門の写真家さんにでも伝授された動きであったのかも知れないし、普段からカメラを扱い慣れておられるからこその動きであったのかも知れない。しかし、いずれにしても、あの役柄には余りにもぴったりと似合う動きであり、その動きだけを切り離して捉えるだけでも、ちょっと特別な憧れに似た思いを覚えてしまった。
 こういった動作(演技)というものには、なかなかお目に掛かれるものではない。出来ることなら、再々放送があれば、あの一瞬の動きだけでも、もう一度見てみたいものである。

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2007年7月 8日 (日)

『犬神家の一族』を見て・追記

 妹が『犬神家の一族』のDVD-BOXを買って来た。前作・新作・特典の3枚から成る「完全版」というセットである。一瞬、前作は既にあるのに……と思ったのだが、実際に見てみると、オープニングを始めとする十数場面で新旧の映像を比較出来る機能が加わっており、これがなかなかに面白い。例えば、おはるさんが金田一さんに道を聞かれる場面など、同じ台詞で案内する十数秒ほどのカットの間に、坂口さんがどれだけ自然な動きで常に役柄の性格を表現していたか、今回はどうであるかを比べ見ることが出来たりして、とても興味深く楽しめる。特典ディスクには、更に詳しい撮影の裏話や映像作りの過程、特報や予告編などが収録されていて、これも非常に楽しかった。(特に、初めて目にしたクリスマスバージョンやお正月バージョンのスケキヨくんには、思い切り受けてしまった)
 所で、前作には一ヶ所だけ、私のような素人の耳にも「あれ?」と引っ掛かってしまった台詞があった。それは、古館弁護士が菊乃の消息を語る場面で、事件後、富山市の親戚を頼って行った菊乃が「空襲の際に死亡」した……というもので、これは、その後、静馬が「九つの時」に母が死んだと言う台詞と矛盾してしまう。静馬が九つの時に富山市に空襲があったということになり、どう考えてもおかしい。新作では、これは「病で死亡」した……と変えられていたので、あ、うまく処理されたな……と思っていたのだが、今回、DVDで新作を見直してみて、別な所で一ヶ所、新たに引っ掛かってしまった台詞があった。劇場で見た時には聞き逃していたらしいのだが、逮捕された佐清くんに金田一さんが言う、若林さんが殺されたのは「四月十九日」だった……というもので、前作では「九月十九日」だった……となっていたので、何の疑問も感じなかったのだが、観客は、菊の花や菊人形などの鮮烈な印象もあって、明らかに秋の季節に起こっている事件だという認識で見ているので、ここでいきなり「四月十九日」と言われると、思わず「あれ?」と思ってしまう。念の為に、付録の決定稿シナリオを見てみると、既にシナリオ自体が、新作では「四月十九日」と印刷されていた。このことに、石坂さんも監督もスタッフ諸氏も誰一人気づかないまま、公開にまで至ってしまったらしい。有名な推理物であっても、どうしてもこういった“盲点”は生まれてしまうようである。そこがまた、面白く思われる。

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2007年7月 5日 (木)

『犬神家の一族』を見て・番外 キャラクターグッズ評

 今回、何に驚いたと言って、これほど驚き、かつ楽しませて貰ったものはない。それは「スケキヨくん」である。名前の通り、白い仮面を被った佐清をモデルにした二頭身キャラクターなのであるが、これがもう……何とも言えず可愛い。本来、おどろおどろの横溝作品に登場するキャラクターを「可愛い」などと呼んでは、原作者に叱られるかも知れないのだが……しかし、可愛いのは事実なのである。
 作品中に登場する訳でもなければ、アニメーションが作られている訳でもない。単に、映画パンフレット類と一緒に売られている、キーホルダーやクリアリーフなどの映画関連商品の中に描かれていたり、劇場内のポップアップ広告に顔を出したりしているだけである。それなのに、妙に印象強いキャラクターとして、かなり多くの心を掴んでいる。(因みに、私が見に行った時点で、彼のキーホルダーは全て売り切れであった……) インターネット上には、「スケキヨくんドットコム」と銘打った、彼が主役のサイトまでちゃんと用意されている。
 私が買った(!)のは、クリアリーフなのだが、そこでは、二頭身のスケキヨくんと二頭身の金田一くんが、互いに可愛いさを競っている感じの9コマずつのカットと、アップが一つずつ、加えて、有名な「静馬の足が湖から出ている場面」が描かれている。焦っているスケキヨくん、泣いているスケキヨくん、にっこり笑っているスケキヨくん、生真面目な顔のスケキヨくん……どれも、実際の悲劇の主人公・佐清くんからは想像もつかない姿である。金田一くんも可愛いのは確かなのだが、矢張り、この「ギャップが生み出す面白さ」という点では、どう見てもスケキヨくんの勝ちである。(蛇足ながら付け加えると……そのスケキヨくんよりも更に可愛く見えるのが、実は「静馬の足」のカットなのである。私はこれを勝手に「逆立ちあんよの刑」と命名させて戴いている)
 横溝作品の登場人物を二頭身化し、その作品世界からはちょっと想像出来ないような「可愛さ」という武器を全面に押し出したキャラクターとして、作品の宣伝に最大限利用する――こういった売り方は、流石の春樹氏も思いつかなかったであろう。
 今回のリメイクで、一番印象に残ったキャラクターが、実はこの「スケキヨくん」だと言ったら……原作者や監督を始め、出演者・スタッフの皆さんに叱られるだろうか?

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2007年7月 4日 (水)

『犬神家の一族』を見て・4 配役評

 今回の配役は、前作と同じ人物を演じておられた石坂浩二さん・加藤武さん・大滝秀治さんらに関しては、素直に「もしもそれぞれの人物が、相応の年齢を経た上で、この事件に遭遇していたとしたら、きっとこんな感じになっただろうな」と思えて、全く期待通りのものであった。
 ほか、前回は素人の春樹氏が演じていた刑事の役も、本職の俳優さんが務めておられたので安心して見ていられたし、小道具の項でも触れたが、白い仮面を被る佐清役に白塗り姿も有名な菊之助さんを配したのも成功であったと思う。(母親の松子夫人役が富司純子さんであるから、もしも、亡父の写真が小道具で出て来たりして、それが菊五郎さんだったら面白かったかもなぁ……何て勝手な想像を楽しんだりも出来た)
 配役関係で一番残念に感じたのは、登場する若い三人の女性たち――珠世・小夜子・はる――が、ともすれば、イメージ的には入れ替わっても余り大差なくはないか……と思われてしまった所であった。無論、それぞれに顔立ちも体格も個性も魅力も異なる女優さんたちなのであるが、何と言えば良いか……要するに「タイプの似通った美人さん」ばかりであるように思われた所が惜しまれるように感じたのである。誰が珠世を演じても小夜子を演じてもはるを演じても、恐らくはそれぞれに納得出来そうな雰囲気、とでも言うか……。前回、珠世役の島田陽子さんは、怜悧さと美貌を兼ね備えた神々しいまでの雰囲気を湛える深窓の令嬢という感じであったし、小夜子役の川口晶さんは、苦労知らずで多少浅慮な雰囲気のある金持ちの我儘娘、おはるさんの坂口良子さんは、決して垢抜けているとは言えないが明るく素直で可愛いらしい働き者の別嬪さん……と、それぞれ明らかに色合いが異なっていて、そこがまた面白かったのである。今回は、その辺り、どのような計算がなされた上で、あのような配役に決められたものか、市川監督に伺ってみたい気がする。
 あと、琴の師匠役の草笛光子さんは、前回の岸田今日子さんとはまた違う雰囲気で演じておられたのだが、その登場場面で、ふっと「原作通りの設定を感じさせる」ような気配が一瞬感じられたように思ったのは、もしかすると、菊之助さんの立ち居振る舞いの美しさに幻惑された結果であろうか。それとも、単なる深読みのし過ぎであろうか……。

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2007年7月 3日 (火)

『犬神家の一族』を見て・3 音楽・映像・小道具評など

 音楽に関しては、あの大野雄二さんのメインテーマが、妙に新しいアレンジを加えたりすることなく効果的に使われていて、別段に不満は感じなかった。強いて言うならば……全体的に、大人しい雰囲気に統一されていたように感じたのは、気のせいだろうか。
 映像では、何よりも金田一さんの登場場面である。前作と同じ場所・同じ角度からの撮影であるだけでも嬉しいのに、更に最新のデジタル処理技術によって、不必要な電線が消されたりして、舞台となっている昭和22年当時の風景により一層近いものかも知れない……と思われる仕上がりになっていた所に、不思議な感激を覚えた。
 小道具では、金田一さんの旅行鞄が「前作と同じもの」だと聞いて、非常に期待していたのだが、これが実に期待以上のものであった。よくぞ30年もの間、大切に保存されていたものである。来歴を知らずにいきなり見ても、そこにあるだけで「如何にも」といった雰囲気を湛えて見える小道具など、そう滅多とお目に掛かれるものではないと思う。
 最も「お!」と印象深く感じたのは、松子夫人が生母からお金をせびられる場面に登場した印伝の財布である。これは、今回、最も印象に残った小道具である。甲州もほど近い土地に住む裕福な婦人であれば、戦後間もないこの時期であっても持っていて不自然ではない。ほんの一瞬しか画面に登場しない小道具一つから、その裏側に設定されているであろう作り手側の細かな計算が強烈に窺い知れる気がして、特に印象に残った。
 それから、佐清の被る白い仮面。これが「脱ぎ捨てられてもちゃんと佐清の顔に見える」所にも、思わず注目してしまった。前回の仮面もよく出来てはいたのだが、被っている時は確かにあおい輝彦さんの顔なのに、脱ぎ捨てられた後は単なる白いゴムの仮面になってしまっていた感じがあった。今回は、技術的な進歩に加えて、普段から白塗り姿を見慣れられている尾上菊之助さんを佐清役に起用したことも成功したのだろうと思われる。
 もう一つ、これは、最後に流れるクレジット・タイトルに関してなのだが、それが全て「役名と俳優名の併記」の形であったことには、少々疑問を覚えた。特に、他の人たちは別にしても、菊之助さんが二役であることをクレジットで明かしてしまっては、全てを見終えている観客の目にも、どこか鼻白んでしまうものがあったのだが……どうして、俳優名だけではいけなかったのだろうか。

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2007年7月 2日 (月)

『犬神家の一族』を見て・2 脚本評

 今回のシナリオは、ほぼ前作に近い流れと骨組みをしっかりと残した上で、何場面かをばっさりと割愛し、代わりに幾つかの新たな場面を追加した、といった趣であった。この、場面の割愛と追加に関する私見を、ごく粗っぽく簡単に表現するならば……「割愛された場面には、矢張りあった方が良いのに……と思えてしまうものがあり、増やされた場面には、別に無くても良いのに……と思えてしまうものがあった」という感じであろうか。
 特に残念であったのは、佐清の被る白い仮面の製造過程を描いた場面が全て割愛されていたことであった。あの場面が醸し出していた、一種独特の奇怪とも凄絶ともつかない濃密なおどろおどろしさ溢れる雰囲気は、如何にも映像化された横溝作品に相応しく思えるものであったのだが、一体、どのような演出上の計算があって割愛されたものであろうか。ちょっと合点が行かない気がする。雰囲気と言えば、犬神奉公会の代表らしき黒眼鏡の人物も、独特の雰囲気を添えて印象に残る存在であったのだが、どういう計算からなのか、この人も今回は登場しない。
 ほか、冒頭場面で真っ先に「犬神」家の表札が捉えられる所や、正気を失った小夜子が湖の水の中に平気でずぶずぶと入って行く所などは、今回追加された中で特に「良かった」と思われたし、前作やその後のこのシリーズで多用されていた、回想場面が「反転させたモノクロ映像のような雰囲気」で処理されていた所が、反転させない素直なモノクロ映像になっていたのは、画面の見やすさという点からも良かったと思う。
 今回、最大の変更である、前作とは全く異なる幕切れの場面については……無理矢理にでも前とは違うものにしなければならないという制作側の妙に頑なな思い込みがまずあって、そこから「ともかくも作られた」ものなのではないだろうか、という感が強かった。全く不自然という訳でもないのだが、矢張りどこか取って付けたような印象が拭えない感じ、とでも言おうか……。前作の、あの、時代の雰囲気をたっぷりと詰め込みつつ、心地良くも物悲しい余韻の残る幕切れが非常に気に入っていただけに、「どうして、前作と同じ幕切れではいけないのだろう?」という疑問が、今も残る。見送る側の人々を、割合に安易な感じの寄せ玉手法で集めた所も、余り自然な感じがせず、好きになれなかった。

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2007年7月 1日 (日)

『犬神家の一族』を見て・1 総合評

 本当に久し振りに劇場まで足を運んで鑑賞した映画であるから、これは気を入れて感想を書こうと思いながら、何やかやあって延ばし延ばしにしているうちに、既に五ヶ月以上が経過してしまった。今月6日にはDVD-BOXも発売されるということなので、何とかその前に書き上げてしまおう……と、相当に焦りつつ、やや薄れつつある当時の印象を思い起こしてみると……。
 まず、全体としては「ほぼ、期待通りの仕上がり」であったと言える。同じ監督・同じ脚本家・同じ主題曲・同じ配役……等々から、必ずや生まれるに違いないと期待していた「映像の魔術」には、殆ど完璧に応えて貰えたと言っても良い。また、同様に期待していた「前作と比較する楽しさ」も十分に味わうことが出来た。一言で言って「劇場まで行って見ても損はない仕上がり」の作品であった、と思う。
 ただ、脚本や映像や配役その他から受けた印象など、前作とあれこれ比較してみた結果を、仕上がり度や満足度といった辺りから総合して考えてみると、私は矢張り、前作の方に軍配を上げてしまう。もしも仮に、前作の評価を100点満点で120点、と評価するならば、今回は80点位かな……という感じであった。「リメイク作品というものが、様々な意味に於いて旧作と同等或いはそれ以上の迫力・魅力を備えることは極めて難しく、かつ、どうあっても旧作と比較されてしまう宿命からは逃れられない」というのは、私の勝手な持論の一つであるが、今回も、それは当てはまるように思える。
 それから、今回行ったのは所謂シネマ・コンプレックスと呼ばれる総合上映施設の中の一館であったのだが、スクリーンが妙に小さく、客席数も少なく、良くも悪くも小ぢんまりとした雰囲気の中での上映となり、残念ながらこれまでの経験から抱いている「劇場の大画面で映画を見ている」という感覚を全身で味わう、ということが出来なかった。昨今の流れであることは重々承知している筈ではあるのだが、これは何とも惜しい気がする。せっかく、その一作を見るという目的だけの為に、時間と費用と気力を使って気合いを入れて映画館まで行く訳であるので、そこはどうしても、無意識のうちにかなり我儘に求めてしまうものがあるようである。

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2007年4月10日 (火)

十五年目にして初めて知った『ブラックホール』と『紅の豚』の接点

 先日、教員希望で納品された『紅の豚』のサウンドトラックCDの装備が完了したので、ちょうど蔵書点検期間で閉館中でもあるし、カウンター内のステレオコンポで視聴しながら作業しようということになり、劇場公開から実に十五年目にして、初めてその音楽世界に触れる機会を得たのであるが……ここで、思わぬ発見(?)があったので、少し書いてみる。(因みに、開館時には常に、このコンポでクラシック曲を掛けることになっている。無論、カウンター周辺にそれとなく広がる程度の音量で、である)
 私が「妙な臍曲げ」をして、宮崎作品から遠ざかることになったのは、ちょうどこの『紅の豚』の制作発表があった翌月であったから、その作品絡みの音楽を聞くのは、実に『魔女の宅急便』以来のことになる。所が、この音盤をほぼ半分以上聞き進めた時、突然、余りにも聞き覚えのある曲が流れ始めたので、思わず仕事の手を止めてしまった。
 それは、かつてNHK-FMで放送されていた『ブラックホール』というラジオドラマで、毎回エンディング・クレジットの背景に流れていた曲であった。慌ててジャケットを確認してみると、トラック14番の「狂気―飛翔―」という曲である。実際の作品の中でも使われた曲であるかどうかまではまだ調べていないのだが、これには本当に驚いた。
 『ブラックホール』は、ラジオドラマ枠「特集・ダミーヘッドの青春アドベンチャー」の中で2週に渡って放送された短編のオリジナルドラマ(脚本担当は宮崎由香さんと綾瀬麦彦さん)で、現代社会や未来社会を舞台に繰り広げられる独特の恐怖の世界が15分ずつ全10編の作品にまとめられており、そのうちの4編に塩沢さんが出ておられたので、苦手な部類の作品ではあったが欠かさず録音して聞いていたのである。
 『紅の豚』の劇場封切日は1992年7月18日土曜日、『ブラックホール』の放送は1992年7月6日~7月17日の月曜日~金曜日であったから……つまり、この「狂気―飛翔―」という曲だけは、『紅の豚』の公開よりも「ほんの一足だけ先」に、公の電波に乗って世間に流れていたことになる。
 既に周知の事実であったことに、今頃になって初めて気づいて一人で驚いているだけの話ではあろうが……自分でもそれと知らずに耳にして記憶していた音楽の、その意外な来歴を思わぬ形で知ることになって、少なからず面白い気分が味わえた出来事であった。

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2007年3月14日 (水)

久し振りにはまっているドラマのこと・続

 この、土曜ドラマ『ハゲタカ』で、一つだけ無性に気になっていることがある。
 それは、外資系ファンド日本法人のオフィスの場面で、オフィス内の書架にぎっしりと並ぶ、恐らくは原語の専門辞書や百科事典類であろうかと思しき書籍群のその中に、一箇所だけ、妙に見覚えのある背表紙の一群があったことである。
 樺色の背に紺色の四角を上部に一つ下部に二つ置き、書名や巻次が金文字で押された全20巻ほどの書籍で、残念ながら書名までを確認することは出来なかったのだが、それは、我家にもある "THE NEW BOOK OF KNOWLEDGE" という英語の百科事典と瓜二つに見えたのであった。無論、よく似た装丁の経済専門書が実在するのかも知れないのだが、もしも、あの百科事典をオフィスのあの場所に並べている外資系ファンドがあったとしたら……それは、余りに微笑まし過ぎて、少々そぐわない光景に思われてしまう。何となれば、この百科事典の副書名は "THE CHILDREN'S ENCYCLOPEDIA" ――子ども向けの百科事典なのである。
 我家にあるのは Grolier Inc. から1966年・1967年に刊行された全20巻のセットで、父が「仕事先で色々な物事を出来るだけ易しく説明する為の参考として重宝する」と買ったものである。子ども向けの事典であるからきれいな色刷りの挿絵も多く、「この本は触っても良い」と言われていたので、単に挿絵を見るのが楽しくて、英語など読みも書きも出来ない頃から結構広げて見ていたものである。後から思えば、童話や国旗などのページを一番良く見て(読んで、では決してない)遊んだように思う。
 そのような訳で、日常的にこの百科事典の背を長年見慣れて来た私には、一見して余りによく似たその背表紙の一群が、書架の中で妙に周囲の蔵書から浮いて見え、「あれっ?」と、思わず作品世界から現実へと不意に引き戻されてしまったのである。
 あれがもし、本当に "THE NEW BOOK OF KOWLEDGE" の Vol.1~Vol.20であったならば……これは、少しばかり、あのオフィスには不似合いな蔵書であるとは言えないだろうか。
 あれだけ力を入れて作られている作品であるから、かなり細部まで綿密な考証が行われた上で、配架する書籍の種類が指定されている筈だし、恐らくは偶然に似た背表紙の本があっただけのことだろうと思われるのだが……。
 最近になく夢中で見ているドラマの中で、唯一、気になった点なので、ちょっと取り上げてみた。

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2007年3月11日 (日)

久し振りにはまっているドラマのこと

 二月の放映開始から、毎週欠かさず見ているTVドラマがある。NHK総合で土曜の夜に放映している、土曜ドラマ『ハゲタカ』である。
 たまたま予告編を半分ほど目にして、「何か、良さそうやな」と思い、第一話から見始めたのだが、これが実に骨太で面白い作品なのである。原作はまだ読んでいないのだが、ドラマは構成に無駄がなくテンポの良い展開で、余り馴染みのない専門用語の処理も巧みで、運命的な絡み合い方をして行く人物図もすんなりと頭に入って来て、とにかく、中だるみや飽きを感じることなく夢中で引き込まれ、瞬く間に一時間が経過してしまう。
 物語は、大手銀行の営業担当であった先輩と後輩を中心に、貸し渋りによる顧客の倒産や不良債権処理を巡る軋轢を機にそれぞれ辞職した二人が、やがて、片や企業再建の旗手として、方や外資系ファンドの日本法人代表として、最前線で火花を散らし合う……というもので、これに、貸し渋りが原因で工場経営者の父を自殺に追い込まれたTV局の放送記者や、外資系ファンドに乗っ取られた老舗旅館の跡取り息子らが絡んで展開して行く。
 第一話の冒頭場面は、実に衝撃的なものであった。捕虫網を持った子どもたちが、プールに浮いた夥しい一万円札を我先に掬い上げては虫籠に詰め、玩具店に押し寄せてプラモデルやゲームを嬉々として買い漁る。そのプールには、男性の死体が浮かんでいると言うのに……。全6回の放送だが、3月24日の最終回まで、ちょっと目が離せない感じである。
 出演陣も若手・中堅・ベテラン、それぞれに演技派揃いの顔ぶれで、じっくりと「見せて」くれる。若手、と言うとファンの方に叱られるかも知れないが(何せ、私には、『ザ・ロック』の素人評で「若手のニコラス・ケイジも」と書いて、知人に叱られた過去がある。ショーン・コネリーやエド・ハリスに比べて若手の……と言う意味あいで使ったつもりだったのだが、知人の指摘は「アカデミー賞まで受賞している男優に失礼」だというものであった)、つい先頃、邦画DVDの発注入力時に初めて名前を覚えたばかりの方々の力演を実際に目にして「お、巧い!」と思わず唸らされ、勿論、中堅・ベテラン陣には存在感溢れる好演・名演を見せて貰え、安心して見ていられる分、作品そのものに集中出来て満足度も非常に高い。
 あと二回で終わりだが、まだご覧でない方は是非見て戴きたい。最近「一押し」の秀作ドラマである。

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2006年12月10日 (日)

久々に見に行きたいかも知れない邦画のこと

 この「見に行きたいかも知れない」といったような表現は、ここ数年来、結構耳にするようになったが、しかし、考えてみれば何とも奇妙な言い回しである。自分自身の意志を言い表わす目的で口にするにも関わらず、どこか、その自分の気持ちを人ごとのように類推して、自分に対する責任さえ傍観者的な曖昧さで捉えて言っているような雰囲気がある。
 まあ、今回の場合は「他の作品に比べれば、どちらかと言えば見たいとは思うけれども、さりとて劇場まで足を運ぶだけの気力が今の自分にあるかどうか、現時点でははっきりと断言出来ない」――といった意味あいを持たせて使ってみたつもりなのだが……。
 ともあれ、こうした気持ちになったのは、本当に久し振りである。公開の情報を知って、良さそうだなと思う映画は今年も幾つかあったのだが、この作品に対する期待は少し違う。今週末から公開される、市川崑監督の『犬神家の一族』――三十年ぶりのリメイクである。
 何より、最初に配役を聞いて「ほ…!」と思わず唸ってしまった。石坂浩二さん、大滝秀治さん、加藤武さん、のお三方が前回と同じ役柄で出ておられるほか、草笛光子さんと三條美紀さんも別の役で出演。他の顔ぶれも、富司純子さん、松坂慶子さん、萬田久子さん、仲代達矢さん、中村敦夫さん、中村玉緒さんなど、いずれも演技派揃いで安心出来そうである。しかも、テーマ曲は大野雄二さんであるから、あの有名な旋律が随所に登場する筈であるし、脚本も前作に関わっておられた方々ばかりなので、途方もなく色あいの異なる別作品になってしまうことだけは、まずあるまい。
 今、私が一番期待するのは、特撮やCGで見せられるものとはまた別な意味での“映像の魔術”である。長い時を経て、同じ配役、同じ音楽、同じ脚本で再構築される映像世界の中に、必ずや生まれるであろう「前作と無意識に重なる部分」から、どの程度「現実世界を離れたもの狂おしい錯覚」が導かれ、その錯覚にどこまで無心に浸ることが出来るだろうか……という、所謂フォト・ジェニーとは少し異なる類の魔術に心地良く惑わされることへの期待である。
 市川監督は、かつて『ビルマの竪琴』のリメイク時にも、前作と同じ和田夏十さんのシナリオを用い、また北林谷栄さんを同じ役で起用して、同様の魔術を見せて下さったので、その意味からも随分と心引かれるものが、今回もあるのである。

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2006年11月30日 (木)

『芋たこなんきん』に密かに期待していること・3

 三つめに期待していることは、これまたお聖さんの半生(いや、人生と作品)を語る時、決して忘れてはならない「“お料理”や“小物”や“人形”を、どこまで描いて見せて貰えるのかなぁ……?」ということである。お料理の方は、切れ切れに見ることが出来た何話かの中でも既に予想以上の登場場面があって、この分であれば今後も随分と期待出来そうだと安堵しているのだが、問題は小物と人形である。
 お聖さんが収集して来られた数々の小物は、『手づくり夢絵本』で紹介された範囲から推察するだけでも、もう相当なものがある。陶磁器の器類、お猪口、箸枕を始め、ガラスの小瓶、ドールハウス、ポプリ、レースペーパー、アンティークのバッグ、果ては千代紙や包装紙に至るまで……そのいずれもが、「お聖さんワールド」を構成するになくてはならない大切な品々なのである。また人形は、スヌーらぬいぐるみを筆頭に、市松人形、フランス人形、アンティーク人形など……その全てが、田辺家の大切な構成員=家族なのである。
 これらを、是が非でもドラマの画面に登場させて戴きたい……と切望するのは、余りにも我儘であろうか。確かに、種類も種類、数も数である上に、随分と繊細な壊れ物が多い訳であるから、こんな小道具さん泣かせの演出は、企画の最初の段階から論外だと却下されている可能性もありそうではあるのだが……。それでも依然、果敢ない望みをしつこく抱き続けている私である。
 所で、去る11月7日の「徹子の部屋」にスヌー連れで出演された時には、市松さんらを始め、ドレスや帽子、バッグ、果てはアンティーク人形とその着せ替え衣装までがスタジオに持ち込まれていて、駆け足ながら見せて戴くことが出来、感激も一入であったのだが、その時、それらを一堂に集めた「田辺聖子の世界展」と銘打つ展示会が、翌週の14日から東京の三越本店で開催されるという告知があった。東京だけなのだろうか、何とか大阪でもやって下さらないだろうか……と、以来ずっと祈るような思いでいた所、遂に、大阪での開催日程を掴むことが出来た――何のことはない、放送開始から2ヶ月近く悩んだ挙句、やっと決心して購入したドラマ・ガイドにちゃんと載っていたのである……。
 会場は心斎橋のそごう本店で、会期は1月2日から15日までとのこと。これは……帰りに必ず長崎堂さんに寄れとの“ひつじの声”であろうか……?

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2006年11月29日 (水)

『ER』にはまり直しそうな「危険な予感」のこと・後

 実は、私がこのドラマを見始めたのはかなり遅く、地上波で放送された第3シリーズの途中から(カウンティに幽霊が出るという噂が飛び交う話が最初)であった。その後、夕方の再放送で第1シリーズを飛び飛びに見て、ここ数年はNHK総合での夜遅くからの本放送を、これも飛び飛びにアンソニー・エドワーズの降板まで見た程度である。作品そのものには非常に魅かれて高い評価を送っていながら、こういう見方になってしまった大きな原因は、放送開始時間の遅さと、塩沢さんの出演が無かったこと――この二つにあるように思われる。前者はともかく、後者は……その現金さに自分でも流石だと呆れてしまう。
 この作品の特徴や魅力は、今更改めて言うまでもないだろうが、矢張り、他に類を見ない臨場感・緊迫感・スピード感に溢れる展開を見せる斬新な形の医療ドラマであることと、個性的で魅力に溢れる多彩な登場人物たちが、それこそ秒刻みで繰り広げる極めて濃密な人間ドラマの味わい深さ――この二点に尽きるのではないかと思われる。ただ、こうした特徴はまた好みの分かれる所でもあるようで、父などは、作品の内容自体については極めて高く評価していたにも関わらず、展開の余りの目まぐるしさに「こっちまで(体の)具合が悪くなって来そう」だと、余り熱心に見ないように努めていたものである。
 所で、何が「はまり直しそうな危険な予感」なのかと言うと……実は現在、1クール分のDVDセットが2615円という廉価で期間限定発売されているのである。1シリーズが2セットで揃い、仮に第10シリーズまで集めたとしても5万円ちょっと……。あの役所広司さんの『宮本武蔵』のDVD-BOXが、第1集と第2集を合わせて全45話分で6万円近くしたことを思うと、これには激しい誘惑を覚えてしまう。一枚500円の名作映画DVDには「作品に対する冒涜にさえ思える」などと、偉そうにも複雑な思いを抱いている癖して、ことドラマのセットとなると、また価値観が変わって来るらしい。困ったものである……。
 所で、件のレファレンス結果であるが、本日、来館された先生にビデオをご覧戴いた所、間違いなく第1シリーズの第1話であったことが判明。現在、次回発注分に組み込むべく作業を開始している。発注するのは勿論、上記の廉価版DVDである。上司の英断で第1シリーズ全話の購入ということになった。利用者の反応が今から楽しみである。

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2006年11月28日 (火)

『ER』にはまり直しそうな「危険な予感」のこと・前

 事の発端は、講師の先生からのレファレンス依頼であった。主旨は「『ER』の、女ったらしの小児科の先生が、ERに来た赤ちゃんの虐待に気づいて母親とやり合う話を授業で取り上げたい。ついては、DVDが発売されているようなら学生にも見て貰いたいので、図書館で探して購入して欲しい」――といったものであった。
 既に十年以上も続いている『ER緊急救命室』のシリーズには、子どもの虐待に絡む話題が結構頻繁に出て来る。恋多き小児科医・ロス先生役のジョージ・クルーニーは第5シリーズで降板しているが、それでも優に100話以上の確認が必要な筈……一瞬、気が遠くなりそうになった。
 ただ、シリーズ初期の頃の挿話に、ベビーシッターがカウンティに連れて来た赤ちゃんの全身に痣や火傷の痕を確認したロス先生が、母親を呼んで「児童家庭局に訴える!」と物凄い剣幕で怒鳴りつけ、その母親が実は弁護士で……というものがあったことは覚えていたので、もしかしたら……とお話すると、先生も「それかも知れない」と仰言り、更なる確認を取った上で改めてお返事を差し上げる次第となった。
 かくして、まずは同様のエピソードを含む話数を、ある程度ネット検索で絞り込むことになったのだが……これが全く思うように進まない。限られたキーワードにヒットするページが多過ぎるのである。しかしそのうち、「ER」「クルーニー」「虐待」「赤ちゃん」で検索していた時、個人開設らしいページで、クルーニーのオーディションは「赤ちゃん虐待の母親弁護士を怒鳴るシーンだったそうです」という一文を見つけ、ふっと「オーディションで使われた位なら、ひょっとしたら第1話とか第2話に出て来るエピソードだったのかも……」と思い当たった。幸い、8年ほど前に1本200円のレンタル落ちビデオを見つけ、母に頼まれて4巻まで買っていたので、帰宅後、それを引っ張り出して第1話から見始めてみると……開始から1時間14分位の所で赤ちゃんがERに連れて来られ、更に、10分ちょっと後には母親の弁護士がロス先生に怒鳴られる場面を確認することが出来た。
 これが本当に件の依頼の標的であったならば……あの、当初の苦労は一体何だったのかと思われて来る位の呆気なさである。まさか、第1シリーズの第1話だったとは……。
 かくして、目下は依頼者ご本人に確認をお願いすべく、来館を待つ毎日が続いている。

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2006年10月31日 (火)

『芋たこなんきん』に密かに期待していること・2

 二つめに期待していることは、これもお聖さんの半生(いや、人生と作品)を語る時、絶対に欠かすことの出来ないもの――「“宝塚”が、どの位まで描いて貰えるのかなぁ……?」ということである。
 淡島千景さんが曾祖母役で出演しておられるのは、もう感涙もので見たのだが、他に、宝塚の卒業生がどれだけ出演して下さるだろうか、という期待もある。或いは、宝塚で舞台化された田辺作品の数々が――そう、あの『隼別王子の叛乱』に『舞え舞え蝸牛』に『新源氏物語』!!――どの程度取り上げられるのか、どういった形で取り上げられるのか、という期待もある。伊丹のお宅を実際に訪ねられたスターさんも少なくはない筈であるし、お聖さんが稽古場や楽屋を表敬訪問されたことも決して一度や二度ではないだろう。必ずや何らかの形で取り上げられるに違いあるまい。もう、想像するだにわくわくどきどきしてしまう。あわよくば、当時の舞台の映像が効果的に挿入されたりすることも……何て、本当に身勝手極まる希望までがどんどん膨らんで行く。この手の想像には際限もなく貪欲な私である。
 以前から、よく伯母と「お聖さんは、『ベルばら』(注・我々の間では、昭和50年7月の花組による再演の分を差す)は観やはったんかなぁ? 観てはったら、どんな感想持ってくれはったやろなぁ?」と、しみじみ語り合ったものであるが、殊に『夢の菓子をたべて―わが愛の宝塚』を読んでからは「お聖さんて、ほんまに我々と同んなじような心(思い)で宝塚を見てはるから、余計にあの『ベルばら』をどんな風に観はったか、知りたいなぁ……」と思うようになった。あの当時は、中学生の娘さんたちを観劇に誘ってみても、好みが異なっていて……ということであったが、それでも、多忙なお仕事の合間をみて関西テレビやNHKの劇場中継くらいはご覧になったのではないかと思う。長谷川先生の演出や植田先生の脚本を、そして花組の生徒さん方の熱演を、お聖さんがどのようにご覧になられたのか、どんな感想をお持ちになられたのか、本当に知りたい。
 それはともかくとして、まずは、『芋たこなんきん』に於ける“宝塚”の「殊更に特別な」扱いを、必要以上の期待を抱きつつ待ち続けたいと思う。

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2006年10月29日 (日)

『芋たこなんきん』初の「3日分連続鑑賞」達成!!

 先週は、「駄目もと」で予約録画を続けていたDVDに、火・水・木の3日分が何とか連続して録画されていた。駄目だった月・金の分は諦めるしかないが、昨日の土曜日はお休みだったので、朝から火~木の分を連続で見て、更に続けて昼の再放送をリアルタイムで見ることが出来た。この約一ヶ月、何度再挑戦を繰り返しても「ほんま、わて(P社製デッキ)、こいつ(M社製ディスク)とは馬が合わしまへんのやわ」とばかりに、全く切れ切れにしか作動してくれず、知人から送って貰う予定の録画ディスクを心待ちにするしかない状態が続いていただけに、妙に嬉しい。
 物語は、これは多分、おっちゃんと結婚後、異人館で週末だけ一緒に住んでおられた頃の挿話ではないかと思うのだが、風邪で倒れたおっちゃん一家の看病で、先方宅に泊まり込んだお聖さん(ここでの役名は町子だが)が、皆の回復を見届けてほっとした後、そのままおっちゃんと飲み始め喋り始め、幼い頃の話に思わず花が咲いて尽きず、気が付くと夜が明けてしまっていた……というお話で、サブタイトルもずばり「しゃべる、しゃべる」――座卓を挟んでお酒を注ぎ合い、ごく自然な雰囲気で喋り合う直美さんと國村さん、その会話に導かれて回想場面が手際良く挿入されて行く繰り返しは、如何にも「連続テレビ小説」らしい手法だなと思われるが、これは、出演者が余程に演技力の確かな人でなければ、変に間延びして観客を飽きさせてしまう危険性も併せ持つと聞いたことがある。しかし、流石はこのお二人だけあって、こちらまで時間の経つのも忘れて一気に見てしまった。
 そうしてふっと、父がよく「今でも物凄く印象に残っているドラマ」だと絶賛する、ある作品が浮かんだ。何でもそれは、伊志井寛さんと相手役の女優さん(どうも、杉村春子さんであったらしい)が、たった二人、炬燵で向かい合ってお酒を酌み交わしながら、延々と語り続ける――という構成のドラマで、それだけを聞くと非常に退屈な作品であるかのように思われるのだが、これが「名優二人の見事な演技で、見る者を最後までぐいぐいと引っ張り続けた」ドラマとして、見てから何十年が経っても鮮やかに記憶されているのだと言う。今回の直美さんと國村さんの姿は、それにより近いものなのではないだろうか。
 矢張り、続けてずっと見たい……地団駄踏む思いで、DVDデッキを睨む私である。

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2006年10月28日 (土)

『芋たこなんきん』に密かに期待していること・1

 新聞の記事で、この番組の制作を知った時から、心密かに期待していることが三つある。
 その一つが「スヌーは出るのかなぁ……?」という、恐らくはとことん制作者泣かせとなるかも知れない一方的かつ身勝手な期待である。
 お聖さんの半生(いや、人生と作品)を語る時、スヌーやオジンやアマエタといった、ぬいぐるみや人形たちの存在を抜きにすることは出来ないと思うし、特にスヌーは田辺家の歴とした養子であり長男であり、自筆年譜にさえきちんと書き留められている程の大切な存在であるから、絶対に登場させて戴きたいものなのではあるが……。
 他の人形たちならいざ知らず、殊にアンリ・ド・スヌーには「世界一大きなスヌーピーのぬいぐるみ」であるという、極めて動かし難い大条件がある。他の適当なオリジナルのぬいぐるみで代用することなど想像もつかない。その存在は作品中だけに留まらず、現実社会に於いても、お聖さんと共に阪神淡路大震災のチャリティー講演会に堂々と出演して、自ら被災ペットの救済を訴え、その人徳ならぬ“ぬいぐるみ徳”でもって見事に十六万五千百八十五円もの寄付を集めることに成功した程である。以前、お聖さんがNHKのバラエティ番組に出演され、スヌーピーのぬいぐるみが好きだと仰言った時、見ていた父が畏れ多くも「この人(お聖さん)が、スヌーピーの人形抱いてはる姿て、想像つかんなぁ」と漏らしたもので、私はすかさず「お聖さんとこのスヌーは、抱っこ出来るような代物と違うわっ!!」と、『手づくり夢絵本』を引っ張り出して来て、“親子”で並んでお庭でランチタイムを楽しんでおられる写真を見せると……黙った。(参ったかっ!?)
 けれど――専門的なことは全く判らないのだが、恐らく、第一に漫画原作者の著作権継承者から許可を取る必要があるだろうし、第二に商品化権の使用許諾を受けてぬいぐるみを制作している会社の了解も必要となって来るものと思われる。ややこしそうである。
 それでも、ここは是非とも頑張って戴きたいものである。間に合わなければ、『芋たこなんきん2 スヌー物語』何て特別番組を今から企画して戴きたい。決してCGなどを使うことなく、藤山直美さんのあの演技と巨大スヌーピーの圧倒的な存在感とをもって、見事なドラマを作って戴きたい。画面を想像するだに、既にわくわくしてしまうものがある。

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2006年10月 4日 (水)

『芋たこなんきん』をめぐる一人どたばたのこと

 今週から始まったNHKの朝の連続テレビ小説は、『芋たこなんきん』――本当に久々に、放送前から「これは見たい!!」と楽しみにしていたドラマである。何せ、田辺聖子さんの半生記であり、しかも主演があの藤山直美さんと来れば、もう見逃す手はない。
 とは言え、今もって地上波しか受信出来ない我家。朝の本放送とお昼の再放送だけでは、リアルタイムでの視聴など到底不可能である。しからばと、早くからDVDデッキで月-土の週間予約を設定し、更に放送開始当日の一昨日2日には、早朝から三度も「録画予約セット完了」状態を確認して、準備は万全と期待満杯で出勤したのであるが……。
 帰宅するやテレビ前へと直行した私の目に飛び込んで来たのは、タイマー予約が解除された状態で無情に停止しているDVDデッキの姿であった。本当なら、翌日も続いて行われる録画予約セットの完了を示す、赤い「時計」のマークが正面窓の左端に表示されていなければならないのに、単に電源が入っただけの状態で止まっている。録画開始直後に何らかのエラーが起こったらしく、ディスク残量は「6時間」のままである……。
 あれだけ期待して待っていたドラマの、それも記念すべき第一回が「何も録れていない……!!」 ショックの余り、衛星放送も受信出来る知人(彼女も、今回は録画すると言っていた)にメールで泣きついた所、折り返し「なんぼでも録るから……(;-_-+」とのお返事が届き、ひとまずは「ほっ」と胸を撫で下ろす。たかだか新番組の録画に失敗した位で……と、自分でも情けない限りではあるが、これも、ここまで「見たい!!」と視聴意欲をかき立てられるドラマは実に久し振りであったことの証明であろう。
 気を取り直して失敗の原因を調べてみると、どうやらデッキとディスクの相性の問題らしい。実は、純正のディスクを使用しないと不具合が生じる場合がある――と取説にあったので、購入当初からずっとデッキと同じP社製の純正ディスクを使って来たのだが、最寄りの家電量販店が閉店して極めて入手困難となった為、最近は以前からカセットテープやビデオテープの品質で信用しているM社のものを使用している。それが、少し前ではうまく録画出来ていたのに、今回はたまたま運悪く相性が合わなかったもののようである。
 ともあれ、放送は遂に始まった。これから半年、ゆっくりと楽しませて戴こうと思う。

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2006年8月20日 (日)

所謂「韓流ブーム」に関する私見など

 かなり前、知人から「最近の韓流ブームをどう思う?」との質問を受けた。芸能界に疎い上に一時期創作ものの見聞から遠ざかっていた私の感覚から言うと、これに関しては「何か、ぴんと来ない……」といった表現しか思い浮かばない。
 ファンの方には叱られるかも知れないのだが、例えば、有名なペ・ヨンジュン氏など、チョコレートか栄養ドリンクのテレビCMを初めて見た時に「何や、孝夫(現:我当)さんと玉三郎さんと足して二で割ったみたいな大人しそうな兄ちゃんやなぁ……」と感じた程度であった。ある時、父に「『冬のソナタ』が余りに生徒さんの話題に上るから、一回見てみたい」と言われ、何話か録画して一緒に見てみたのだが、ドラマ自体の筋立てや俳優さんらの演技を見る以前に、日本語吹替が余りに不慣れな感じがして(恐らく、話題性のある顔出しの俳優さんでも起用していたのではないかと想像する)見続けることが出来ず、早々に挫折してしまった。また、確か土曜日の夜だったか、手紙を書きながらぼんやりニュースを聞いていると、番組がいつの間にか劇映画らしきものに変わっていたのだが、何とも妙な違和感が感じられてならない。擬音が殆ど入らず、BGMも流れず、台詞のやり取りもどこかぎこちないのである。「何やろ、これ?」と思って目を上げて見ると、それは紅白歌合戦で見たイ・ビョンホン氏が出ておられるドラマであった。これもまた、最後まで見ずにチャンネルを変えてしまったように記憶している。因みに私は、連続ドラマを途中から見た場合、一回見て余り良くなければもう次からは見ないし、気に入ってしまえばそのまま最終回まで欠かさず見て、その後、局に宛てて「再放送希望」の手紙(最近はメール)を送るような人間である。
 素人の想像に過ぎないが、このブームは、昨今とんと制作されなくなった「純愛物」のドラマを無意識に渇望していた層が――例えば、かつて友和・百恵コンビの映像作品を夢中で見ていた世代などが、国産の純愛ドラマを待つことに見切りをつけ、折良く輸入された韓国製の作品に飛びついた結果に過ぎないのでは……という気がする。そう言えば、作品群や俳優陣に対する評価はともかく、ブーム自体は一部の人々によって故意に作られた現象のように思える――という意見を耳にした記憶があるが、それも何だか本当のように思われてならない。

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2006年5月29日 (月)

何故だか見逃せない『謎のホームページ サラリーマンNEO』

 これまた久々に、先月から毎週欠かさず見ているドラマ番組が――それも、深夜の30分番組という、私にとっては非常に「見にくい」枠の番組であるにも関わらず、第一回から見逃すことなく見続けている番組が――ある。NHKで火曜日の23時から放映している『謎のホームページ サラリーマンNEO』である。一言で言えば、サラリーマンを主題にした様々なコント集なのだが、これが非常に面白い。シナリオも良いし、俳優さんも巧いし、特集も興味深いし、変にふざけ過ぎたり毒が強過ぎたりすることもなく、テンポ良く密度濃く質の高いコントの数々が、30分の枠内にびっしりと詰め込まれている。
 元々は、今年のお正月休みに編物をしながら深夜までテレビをつけっ放しにしていた時、たまたま再放送を目にして、余りの面白さに少なからず驚くと同時に妙に気に入ってしまい、もう一度再放送がないものだろうか……と待っていた所、この4月から毎週放映のレギュラー番組となって登場したのである。
 出演者の中で、辛うじて知っている(顔と名前が一致する)俳優さんは、宝田明さん、野川由美子さん、田口浩正さん、生瀬勝久さん、沢村一樹さん、温水洋一さん、平泉成さん、位なのであるが、他の出演陣(多分、私が知らないだけで、世間では相当に有名な方々なのだろうが……)も、本当に誰もが芸達者で、真剣でありながら何だか楽しげで、僅かな間合いも決して無駄にせず、それこそ秒単位で目一杯に演じておられる感がある。
 殆どのコントで中心的存在として活躍しておられる生瀬氏は、今年になってから『功名が辻』でやっとお名前を覚えた俳優さんなのだが、この『サラリーマン…』を見るまでは、ずっと「いくせ・かつひさ」さんと読むのだろうと想像していた。正しくは「なませ・かつひさ」であることが、劇中でのご本人へのインタビュー場面でやっと判った。この辺りからも、私の芸能界知識の乏しさの程が伺える。因みに、温水氏は以前から「声だけ」は知っていた俳優さんである。ラジオドラマ『ホワイトアウト』で、塩沢さんと共演しておられたからである。そう言えば、平泉氏もラジオドラマ『サラマンダー殲滅』で共演しておられる。この辺りからは、私の芸能界知識の偏りの程が伺える。
 平日深夜からの放映ではあるが、一度、試しにご覧になってみて戴きたい。実に面白い番組である。

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2006年5月 4日 (木)

大河ドラマ『功名が辻』の私的配役考など……

 本当に久々に、NHKの大河ドラマをほぼ毎週欠かさず見ている。思えば、一昨々年の『武蔵』は余りの凄まじさに早々と挫折、一昨年の『新選組!』は土方歳三の写真を目にするのが恐くて近寄らず、昨年の『義経』は諸事情+αで飛び飛びにしか見ていなかったから……随分とご無沙汰していたものである。
 司馬さんの原作は、もうかなり長い間読み返していないので、偉そうなことは言えないのだが、大石静氏の脚本は、戦国時代が舞台の大河ドラマ作品の中では、かなり軽めの感じがする。しかし、今回、何が嬉しいと言って、如何にも適役揃いの配役と、実力演技派俳優諸氏の惜しみない起用――何しろ、一豊が上川隆也さん、六兵太が香川照之さん、山内家の二重臣が前田吟さんと武田鉄矢さん、千代の伯父夫妻が津川雅彦さんと多岐川裕美さん、一豊の母が佐久間良子さん、秀吉が柄本明さん、寧々が浅野ゆう子さん、家康が西田敏行さん、竹中半兵衛が筒井道隆さん、浅井久政・長政父子が山本圭さんと榎木孝明さん、柴田勝家が勝野洋さん、林通勝が苅谷俊介さん、丹羽長秀が名高達男さん、濃姫が和久井映見さん、桶狭間ですぐ死んでしまう今川義元でさえ江守徹さんであった。少し心配していた信長の舘ひろしさんも見事なはまり役ぶりである。大政所のなか役で菅井きんさんが登場した時には、余りの適役実現に思わず涙が零れてしまった。光秀の坂東三津五郎さんや旭の松本明子さんなど、普段は余り好きな俳優さんではないのだが、それぞれにイメージがよく合っていて唸らされている。
 褒めてばかりでも何なので、少し批判めいたことも書いてみると、千代役の仲間由紀恵さんは、大河のヒロインとしてはまだ少し軽めの演じ方のような気がするが、これは今後、物語が進むに連れて次第に貫禄を加えて来て貰えるものと思われる。小りん役の長澤まさみという若い女優さんは、決して下手ではないけれど少し印象が弱い気がする。前回から登場した玉役の長谷川京子という女優さんも、同様の印象があった。ほか、足利義昭の三谷幸喜氏がやや浮いていた感があったのと、お市の大地真央さんが少々イメージと違っていた他は、私の採点ではほぼ満点に近い配役である。
 こうなって来ると、果たして淀君は誰だろう、とか、秀次は、三成は……と、そういった「わくわく待つ」楽しみがまた増えて来る。大河ドラマは、矢張りこうであって欲しい。

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2006年3月 5日 (日)

祝!『オリエント急行殺人事件』初DVD化!!

 去る2月24日、『オリエント急行殺人事件』(1974・イギリス)のDVDがやっと発売された。昨年12月にDVD化情報を知ってから二ヶ月余り。あの『宮本武蔵 完全版DVD-BOX』以来、久々に「発売日を待ちわびる思い」を味わうことの出来たソフトである。理由は幾つかあるのだが、一つには作品自体が非常に気に入っていること、また一つには「TV放映時の日本語吹替音声」の収録を巡る、ある思い入れが挙げられる。
 当初、音声は「英語」のみが収録されると報じられていた。これは、私にとってはすこぶる残念なことであった。公開当時に見に行けなかったこともあり、後に「日曜洋画劇場」枠で放映された際に初めてこの作品を見たのだが、その時の日本語吹替がまた見事だったのである。アルバート・フィニーの田中明夫さんを筆頭に、今思えば実に錚々たる顔ぶれが並び、特にジョン・ギールガットを吹き替えておられた塩見竜介さんの声とお名前は、多分この時初めて覚えたように記憶している。それぞれが実に「これ以外に考えられない」と思えるほどの適役揃いで、若山弦蔵さんの吹替で聞き慣れたショーン・コネリーを、顔出しの俳優さんである近藤洋介さんが演じておられても、何の違和感も感じなかった。
 折角のDVD化なのに、あの日本語吹替音声が収録されないのは余りに勿体ない――思い余って、発売・販売元であるパラマウントホームエンタテインメントジャパンのホームページに宛てて「TV放映時の日本語吹替音声収録の希望」をメールし、テクニカルサポート担当部署から「現在のところ音声は英語のみの予定となっております。しかしながら、お客様のご意見、ご要望は、担当部署に申し伝え、検討させていただきたく存じます」との返信があったのが12月26日、更に同部署から「日本語吹替え音声が収録される事となりましたので、簡単ではございますが、改めてご報告させて頂きます」とのメールが届いたのが1月17日のことである。
 そうして、待ちに待った発売日。蓋を開けてみると、音源の無い部分と(恐らく)音源の劣化部分が新規録音されて、所謂「完全版」となっており、これには微妙な思いを抱いてしまったものの、矢張り、待ち焦がれた初DVD化に加えて、ひょっとしたら自分の意見も多少は影響したかも知れない……と思える日本語吹替音声の収録に、心躍る思いは抑え切れない。本当に、久々の嬉しい出来事であった。

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2005年5月20日 (金)

仮想世界はあくまでも絵空事ぽくあれかしと思う

 昨朝のニュースで、米国で開催されているゲーム関係の見本市の様子が流れていた。その中で、最も話題になっていると言うマイクロソフト社のゲーム画面が数秒間映ったが――正直、余り好きになれないなぁ……といった感想を持った。この手の技術の凄まじい進歩にはただただ驚かされるばかりで、「もう良えわ、取り残されたかて。見ても聞いても疲れるだけやし。好きな人は勝手にやってて」等と、つい投げやりな思いになってしまう。
 こういう時に、いつも否応なしに思い出してしまうのは、もう20年も前に、つくば科学万博の会場で見たハイビジョン映像に感じた何とも言えない嫌な感覚である。当時の技術であるから、映像の鮮明さから言えば、劇場の大画面でTV画面を見ているような程度のものであったが、それでも「鮮やか過ぎて気味が悪い」……というのが正直な感想であった。野球好きの少年と一体のロボットとの出会いと交流を中心にした数分間の映画だったと記憶している。少年が受け損ねた真っ白いボールが、客席(=カメラ側)に向かってころころ……と転がって来る、そのボールが余りにも鮮明過ぎて、今にも画面から飛び出して自分の膝の上に転げ落ちて来そうな感覚を覚えたのだが、それがどこか「ぞっ」とするような、そら恐ろしいとも不気味とも不快ともつかない感覚であったのである。「凄い」とか「面白い」とかいう感覚では決してなかった。(蛇足ではあるが「野球選手になるのが夢」だと言う少年に対し、「君が科学技術の道に進んでくれるのを期待して待っている」といった発言をするロボットも、余り好きになれなかった。)
 ともあれ、私はどうも、仮想世界は仮想世界らしく、あくまで絵空事然としていてくれる方が、より安心して接することが出来るらしい。ハイビジョンテレビの、あの鮮やか過ぎて目が痛くなる位の画面よりも、劇場で見る昔の映画の、あの全体的に粗めにぼかしたような柔らかな感じの画面の方が、或いは、鋭利とさえ思える程に鮮やかなCGアニメの絵よりも、そこそこ雑な印象はあっても不思議と温かみを覚えるセルアニメの絵の方が、何だかほっとする感じがして、ゆったりと落ち着いて作品そのもの・ドラマそのものに浸り切ることが出来る。こうした感覚は人それぞれであろうが、少なくとも私は、夢と現実との境界がはっきりとしていればいる程、安心して夢幻世界に遊ぶことが出来る人種であるようである。

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2005年5月 7日 (土)

『ウエスト・サイド物語』のDVDに言いたいこと

 先月22日、DVD『ウエスト・サイド物語 スペシャル・エディション』(GXBGA-15930/2,500円)が発売された。一昨年7月に出た『ウエスト・サイド物語 コレクターズ・エディション』(GXBE-15930/5,985円)を、相当に苦労して入手しているし、紀伊國屋書店やAmazonのHPで検索して確認してみても、音声仕様は「英語」とだけしか掲載されていなかったので、ひとまずは安心していたのだが、何だか妙に――ひつじが知らせてくれたものか――気になるものがあって、ともかくも店頭まで確認しに行くと……ジャケットに「日本語吹替音声は現存するテレビ放送当時のものを…云々」と、ある……。
 先に買った『コレクターズ・エディション』は、「本編ディスク+特典ディスク+愛蔵版ブックレット」という内容であったが、何よりの価値は日本語吹替音声の初収録で、しかもそれが「TV放映時のもの」であることであった。元々、この物語は余り好きな方ではない。しかし、ダンス場面の比類ない迫力と、ラス・タンブリンの出演、加えて彼の演じるリフ役を塩沢さんが吹き替えておられたことが、私にとっては最大の魅力であった。(因みに、それ以前に発売されていた廉価版の定価は2,070円だった。)
 その日はそのまま帰ったが、どうにも「もやもや」して辛抱出来ず、昨日、思い切って『スペシャル・エディション』も買いに走ってしまった。帰宅後、落ち着いてジャケット表記をよく確認し直してみると、「日本語吹替音声は現存するテレビ放送当時のものをそのまま収録しております」「ディスク仕様(音声/映像/特典等)は既発売商品(GXBE-15930)と同内容・同仕様です」――と、ある。つまり、『コレクターズ・エディション』との違いは「愛蔵版ブックレット」の有る無しだけ。差額の3,485円が、あのブックレットのお値段と言うことになる。「愛蔵版ブックレット」は、19㎝×14㎝の大きさで厚みは優に1㎝程。映画パンフの復刻版や復元シナリオ等がびっしりと収録されているが、中身は全て英語で私にはとても読み下せない。それよりも、この差額で十分、別のDVDがもう一枚買えるかも……そんないじましいことを、つい考えてしまう。幾ら商売とは言え、こういうやり方は余り歓迎したくない。
 ともあれ、日本語音声さえ手元に確保出来れば満足な私のような者にとっては、このDVDは『スペシャル・エディション』で十分だった訳である。

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2005年4月 6日 (水)

街角のポスターで気になったもの

 電車の中吊りや駅構内の掲示板など、街のあちこちで否応なく目に飛び込んで来るポスターの中にも、気になる……と言うより、どうにも好きになれないものがある。
 総じて私は、その目的が何であっても、ポスター上の人物が「睨み顔」「怒り顔」「陰気な感じ」「不潔な感じ」「人を小馬鹿にした感じ」……といったものが苦手である。犯罪防止や公衆衛生などを呼び掛ける目的のものでも、そのものずばりを「ばーん!!」と主張するだけでなく、ある程度はじっくりと正視出来て、何を言わんとするポスターなのかを確かめられる程度の、一種の余裕のような雰囲気を持たせて欲しい気がする。
 いつであったか(昨秋ぐらいだったか)、どこで目にしたのか(駅の構内だったかも知れない)は忘れてしまったが、久し振りに外出した先で、何とも気持ちの悪いポスターを見てしまい、一日中嫌な気分が付きまとって仕方がなかったことがある。若い女の子の顔の正面からのアップなのだが、頬や顎や鼻の頭にまで赤い苺ジャムをべたべたとなすり付け、更にベロリと出した舌の上にも苺ジャム……。決して、愛らしいとか面白いとか、そんな印象は全く感じられず、ただ、お行儀が悪い、ふざけ過ぎ、汚ならしい、ジャムが勿体ない、気分が悪くなりそう……一目見た瞬間に、そんな「嫌な衝撃」だけが全身を走った。それは、例え似たような図であっても、幼児が口の回りをジャムだらけにして夢中でジャムパンを食べている姿から受ける微笑ましい印象とは全く異質のものであった。その後、暫くはトーストにジャムやママレードをつけて食べることが本当に出来なくなり、そのポスターに対して抱いた嫌な気分は、ある種の腹立たしさにまで変化してしまった。
 あれは一体、何のポスターだったのだろう。ただ、その「絵」から受けた不快さだけが強烈に残り、最も大切な「何のポスターだったのか」ということを全く覚えていない。一目で「ぎゃっ」と感じて目を逸らせてしまったからだろうが、これでは、どんなに強いインパクトを持ったポスターであっても、返って逆効果である。
 視覚のみに訴えるポスターの場合、まず人目を引くことが第一条件であるとは言え、公衆の面前に一定期間晒されるからには、自ずと限度というものがあると思う。例え公序良俗には反していなくても、「限度以前の問題」を孕んだポスターには、何とも首を傾げたくなるばかりである。

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2005年4月 5日 (火)

幼児を起用したCMで気になっているもの

 気になっている……と言うより、どうにも好きになれないCMの中に、幼児の出演するものがある。
 TVでは、外資系の保険会社が、お遊戯歌を思わせる曲調で幼児らに「お金は大事だよ」と歌わせているもの。確かに、お金は大事なものである。それはまた、幼児期から教えて行くべき大切なことでもある。しかし、それを「幼児から教えられるような形」で主張されると、何だかこちらが小馬鹿にされているようで、面白いと思うよりも先に鼻白んでしまい、何とも言えない気分悪さを感じてしまう。幼児を出演させて保険商品の宣伝を図るなら、もっと効果的で好感の持てる上手な「使いよう」もある筈である。
 ラジオでは、地球温暖化防止をPRする公共広告機構の「幼児のしりとり風」CM。「りんご」→「ごりら」→「らっぱ」→「ぱんだ」→「だっぴ」→「ぴんち」……と、ここら辺りまではまだ普通の単語しりとりなのだが、そこから更に→「ちきゅうおんだんか」→「かいめんじょうしょう」→「うだるようなあつさ」→「さばくか」→「かんばつ」→「つづくいじょうきしょう」→「うつるとこわいでんせんびょう」→「うるとらなしょくりょうぶそく」→「くずれるせいたいけい」→「いきもののぜつめつ」と、全て男児・女児の声で続き、最後に「つ、つ、つ、つまり、これが温暖化の連鎖反応」……と、大人の声で締められ、「ストップ・温暖化」を呼び掛けて終わる。「ちきゅうおんだんか」辺りから、何だか幼児には不似合いな雰囲気になって来る。如何にも大人の指示で無理に「言わされている」ような不自然さが出て来て、「本当に意味が判って口にしているとは思えない」感じがし、幼児の無邪気さが返ってブラック・ユーモア的な雰囲気を醸し出しているようで、「どうも好かんなぁ……」という気分になってしまう。無論、それが狙いなのかも知れないし、早急に多数の人間に危機を訴え関心を持たせるように工夫を尽くした結果であるのかも知れない。アイデアとしては良いようにも思うのだが、それでも、耳にする度に何とも言えない不快さが残る。
 大切なメッセージを伝える為に、敢えて変化球で攻めるにしても、幼児を起用するならば、もっと幼児ならではの魅力を生かした好感の持てる印象深いCMを目指せないものなのだろうか。

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2005年2月10日 (木)

この冬、何だか気になっているCMのこと

 例によって、テレビCMというものは大抵ぼーっと見流し聞き流しっ放しの私であるが、この冬、妙に気になってならないCMが二つある。気になる、と言っても、非常な興味を引かれて目が離せない、というのではなく、放っとけば良いのに何とも引っ掛かって仕方がない――という類の「気になり方」であるのだが……。
 一つはチョーヤ「梅酒」のCMである。風情ある和風家屋の一間で、黒木瞳さんが梅酒のお湯割りを飲みつつ、雪化粧した夜の中庭を眺めつつ、湯気に曇った硝子戸に指先で落書きする……というもので、如何にも暖かそうで感じの良いCMなのに、その都度ふっと「真冬の晩に雨戸も立てなんだら、外の寒気が入って来て余計に冷え込むがな。せめてカーテンなと引いたら良えのに……」何て突っ込みを入れたくなってしまう。
 もう一つはサントリー「生茶」のCMである。洒落た洋風のマンションぽい一室の窓辺で、松嶋菜々子さんが温かいペットボトルの緑茶を飲みつつ、寒そうに足先を摺り合わせつつ、窓外の景色を見ている……というもので、バックに流れるわらべ唄風の曲も日本茶の宣伝に相応しく思えて、こちらもなかなか感じの良いCMなのだが、見る度に「そもそも、板の間に素足でいてるのがいかん。早よ毛糸のタイツはいて、上からムートンの部屋履きでも履かんと風邪ひくがな……」と、これまた突っ込みたくなってしまう。
 制作コンセプトを素直に推し量るならば、「ホット梅酒を飲めば、折角の雪景色を雨戸で遮って諦めることもなく、楽しく暖かく冬の夜を過ごせるよ」「ホット生茶を飲めば、例え板の間に裸足でいても厳しい寒さを忘れて快適にいられるよ」といったイメージを伝えようとするものであろうから、おかしな突っ込みを入れてしまう度、非常に申し訳なく思われてならない。まぁ、受け手側の意識がどうあれ、最終的にはその商品に興味を持たせ、良い印象を与え、記憶に残すことさえ出来れば、CMとしては成功なのだろうが……。
 いずれにせよ、結構感じの良い両CMに対して、こんな妙な引っ掛かりを覚えてしまうのは、今だかつて、市販の梅酒やペットボトルの日本茶で、自分の口に合う(=美味しいと思う)ものに巡り会った試しがない、という変な恨みが根底にあるからかも知れない。結局は自分の「嗜好」が第一の基準になってしまうのだろうか。
 つくづく……視聴者・消費者というのは我儘なものである。

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2004年12月11日 (土)

『宮本武蔵』完全版DVD発売!!

 今日、NHKソフトウェアから新しいカタログ「ビデオライブラリー スペシャルカタログ ~2004-2005~」が届いた。開封して真っ先に目に飛び込んで来た裏表紙の広告を見て、一瞬……文字通り息を呑んだ。『宮本武蔵 完全版』DVDが、新商品として記載されている。第一集は第一回~第二十四回までを収録。第二集は第二十五回~最終回までを収録し、来年二月発売予定――夢のようである。嬉しさに、思わず涙が出てしまった。
 役所広司さん主演の『宮本武蔵』は、昭和五十九年にNHKで放映された作品であるが、その全話DVD・ビデオ化は、長年多くのファンから切望されながら、なかなか実現せず、僅かに総集編として放映された分だけが、やっと一昨年の十二月に発売されたのみであった。有名なHP「たのみこむ」にも全話DVD化の発案があり、見つけた時には迷わず賛同票を投じた。因みに今日、早速この情報を書き込みに行くと、既に二名の方が同内容の書き込みを済ませておられた。
 この作品の素晴らしさを語ると非常に長くなってしまうのだが、強いてポイントを二つ挙げるならば、何よりもまず、「脚本」(杉山義法氏)が素晴らしかったこと。吉川英治の原作が持つ魅力を最大限に活かし再現しつつ、創作部分に於いても原作の持つ香気を決して損なうことのない仕上がりは、見事と言うよりほかなかった。また、よくぞあれだけ全てに於いてミス・キャスト無く実現したものだと、今なお感心されてならない「配役」の完璧さ。殊に、原作者の面差しにもどこか似ておられ、まるで武蔵を演じる為に生まれて来た人のようだと家族中で絶賛した役所広司さん。あれほど原作のイメージにぴったりの武蔵は、恐らく他にあるまい。中康次さんの小次郎は長身と美貌を生かしてこれまたはまり役であったし、配役を知った当初は「少し可愛いらし過ぎないだろうか?」と僅かに心配であった古手川祐子さんのお通さんも、内なる情熱の激しさと芯の強さをしっかりと演じ切っておられて、こちらの杞憂はたちまち消し飛んだ。本当に思い出深い名作である。
 昨年の大河ドラマで、物干竿に背負われた小次郎やサバイバルお通や悲壮感の無い朱実や……とにかく、ドラマを構成する諸々なものから受けた多大な衝撃から、今だに立ち直れないままであった私にとって、これ以上の朗報はない。明日は、早速CD店に行くつもりである。

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