「恐い映画」について思うこと・番外編その2
ここの所、毎晩、一話か二話ずつ「怪談」シリーズと「怪奇十三夜」のDVDを見ているのだが、古い記憶に残る場面をそこここに見い出して「ほっ」とする思いを覚えたり、名優と呼ばれる人々の演技――特に、ちょっとした仕草や目の動き、全身から滲むように感じ取れる特別な雰囲気など……そういったものから、今どきのドラマを見るよりも遥かに濃密で満足度の高い時間を過ごした気分になったり、非常に楽しい。
そんな中で、昨夜見た「怪談」シリーズの『地獄へつづく甲州路』は、放映当時に見逃していたものらしく、筋立ても出演者も記憶にない作品であったのだが、これが物凄く恐かった――と言うより、恐くて悲しくて余りに哀れで、思わず涙してしまった。
一言で言えば「渡世人が亡霊にとり殺される話」なのだが、人斬り稼業の渡世人が亡霊に悩まされる、という設定からして恐いのに、その渡世人・政吉役が成田三樹夫さん、政吉に殺されて化けて出る土地の侠客・信次郎役が寺田農さん……その迫力たるや、推して知るべしと言おうか……。
かつて、甲州・若神子村で、一宿一飯の恩義から、信次郎とその子分らを斬殺し、街道筋では「五人斬りの政」と呼ばれる政吉が、三年の後に再び甲州路へ足を踏み入れるや、付かず離れず纏わり付き始める信次郎らの亡霊――年貢の取り立てに苦しむ百姓衆の為に、命を張って代官所へ強訴に赴く途上で殺された彼らの怨みは深く、信次郎の後を追って首を吊った母親も亡霊となり、藁人形に五寸釘を打って政吉を呪う。
人の命など露とも思わぬ、凡そ恐怖という感覚から最も縁遠そうな政吉が、じわじわと亡霊らに追い詰められるうち、恐怖を覚え始めると共に、皮肉にも、人間らしい心が次第に戻り掛け、図らずも助けた娘・おせんに慕われ、両目に傷を負ってその世話になるうち、やっと「人斬りは今日限りやめる」決意をするが、その直後、逃れ得ない状況に追い込まれ……結末は本当に、恐いと言うより哀れ極まりない。特に原作はないらしいが、脚本の担当は、竹内勇太郎さんという方である。
因縁話には違いないが、必要以上に作り過ぎず、巧みな展開と演技陣の鬼気迫る熱演に、単なる怪談話に留まらないものを感じて、ついつい引き込まれるように一気に見てしまった。
劇中で、政吉が自らの因果な運命を返り見て呟く「こいつはうまく出来てやがる」という台詞そのままの、非常に巧く作られたドラマであった。






















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