2007年12月 5日 (水)

久々の入稿をめぐる直前修羅場一人どたばたのこと

 諸事情により、長い間「制作のずれ込み」が続いていた本誌「星の実」及び増刊号「すたあ☆ぽおむ」の最新号を、昨日、郵送にて印刷所に入稿し、本日、到着確認の電話連絡を貰った。仕上がりは2週間後の予定である。
 ここ何年もの間、ずれ込み続ける制作予定を何とか軌道修正しなければと焦りあがき続けて来たが、編集の側にも会員諸姉の側にも、それぞれに様々な事情が次々と発生し、なかなか思うように活動を進めることが出来なかった。今回の本誌・増刊同時発行が弾みとなって、来年からは再び「細く長く、より実のある活動」を続けて行くことが出来るよう、努力して行きたい。
 それにしても、本当に久々の入稿である。その為もあって、最終の確認作業は文字通りの修羅場と化した。勝手知ったる作業である筈が、ページ数調整、目次作成、編集後記作成、表紙ロゴ作成、ノンブル打ち、発注書記入、割付票記入――どうにも勘が戻らず、時間ばかり掛かってしまう。おまけに、これまで増刊号の表紙で号数用に使用して来たフォント(FA丸ゴシックM)が、現在使用している WindowsXP 機には入っていないことがぎりぎりになって判明。何とか Windows95 機から移動させられないか、色々と試してみたのだが全て駄目で、仕方なく、別のフォント(HG丸ゴシックM-PRO)を使うことにした。
 更に、入稿前夜、ノンブル位置の確認を中心とする最後のチェックを行っている最中に、増刊号の原稿の一部に考えられないような重複(ワープロ原稿作成の際に、削除した筈の部分が残ったままになっていたらしい……)が見つかり、これを調整すると、どうしても2頁もの空白が出来てしまうことが判明した。当然、目次もノンブル打ちもやり直しとなり、下手をすると寝る時間さえ無くなってしまう……。既にぼーっとなりかけている頭で悩んだ挙句、何とか最小限度の労力で誤魔化せるように、急拵えのページを水増しすることにした。勘の良い方には判ってしまうかも知れないのだが、とりあえずは事なきを得た……と思う。(発行後、もしもお気づきになられた場合は……どうぞ、そっとしておいてやって下さい……)
 ともあれ、入稿は完了した。後は発送準備(送付用封筒の用意、送り状の作成、会計報告の作成、etc.)をしながら、仕上がった本が届くのを待つばかりである。

| | コメント (0)

2007年3月 6日 (火)

『RPGツクール2000』をめぐる一人どたばたのこと・続

 一昨日の雑記に、このソフトを使って初めて作成したパソコンゲーム『Four Rings(仮題)』のことを、「いつか、機会があればHP上で配布出来れば……」等と書いてアップした直後、どういう訳か急にエンジンが掛かってしまい、久し振りにHP作成ソフトを立ち上げて、ダウンロード用のページを拵えたり、これまで解凍にしか使ったことのなかった圧縮・解凍ソフト(+Lhaca)でゲームディスクを圧縮したり……と、自分でも信じられないような勢いで配布準備を進め、昨夜のうちにアップロードの準備を殆ど整えてしまった……。
 そうして本日、ちょうど啓蟄だし大安だし……と、何やかや理由を付けて思い切ってアップロード――こういうものにも、時の勢いと言うか、踏ん切りを付けるきっかけというものは必要らしい。
 ともあれ、晴れてWeb上に公開出来た『Four Rings(仮題)』、試しに自分のXP機にダウンロードしてみると、僅か4分44秒でダウンロード完了。RTP(ランタイム・パッケージ)が既に入っているせいもあるだろうが、その速さにちょっと驚いてしまった。矢張り、このようなものを漸くアップする気になれたのも、ADSLに変えたお蔭なのだろうか……。
 それにしても、RTPを抜いても軽く4MB強はあったファイルが、僅か4KB弱にまで圧縮出来るとは……。つくづく、圧縮・解凍ソフトというものの便利さを痛感すると共に、これだけのソフト(+Lhaca)をフリーソフトとして配布しておられる、制作者の村山富男氏に対しても、改めて感謝と尊敬の念を強くしてしまったことであった。
 因みに、このゲームをダウンロード出来るページのURLは以下の通りである。もし、ご興味をお持ちの方がおられたら、良ろしければ試しに遊んでみて戴ければ……と思う。
   http://homepage3.nifty.com/dike/hoshizawa/fourrings.htm
(注:このゲームを遊ぶ為には、RTP(ランタイム・パッケージ)が必要です。これは「デジタルファミ通ホームページ」からダウンロード出来ます。同サイトへは、上記URLのページからリンクを張ってあります。)

| | コメント (2)

2007年3月 4日 (日)

『RPGツクール2000』をめぐる一人どたばたのこと

 『アンジェリーク Special』をめぐる一人どたばたを書いた以上、矢張りこれも書いておくべきかも知れない。パソコンゲーム作成ソフト『RPGツクール2000』のインストール時に経験した一人騒動のことである。
 この『RPGツクール2000』は、2000年4月5日に発売された、パソコン用のロール・プレイング・ゲームを簡単に作ることが出来るソフトである。遙か昔に購入した『RPGツクールDANTE98』が格段に進化した姿――とでも言おうか、何しろ、背景チップやキャラクターチップは勿論、何と本職の声優さんによる台詞の「音声ファイル」まで入っているのである。実はこれが、迷い多き私に購入を即決意させた最大の魅力であった。
 所が、この『RPGツクール2000』、フルインストールしようとすると、とてもではないがハードディスクの空き容量が足りない。大体が、当時はWindows95機の僅か3GBしかないハードディスクを、家族で取り合いながら使っていたのである。かくして、せっかく奮発して購入はしたものの、これまた宝の持ちぐされ状態。音声ファイルを外して部分インストールに切り替えれば、何とか入ることは判ったのだが、そこで、はたと気づいた私。「声が聞けなければ、このソフトを買った意味が殆ど無くなってしまうようなもの!!」けれど、入らないものは仕方がない。結局、音声ファイルを一つずつ開いて塩沢さんの台詞を再生する――と言う、非常に侘びしい楽しみ方をするしかなかったのであった。
 2001年12月末、やっとWindowsXP搭載のパソコンを買い、これにうまくフルインストール出来たお蔭で、購入から1年8ヶ月以上を経て、漸くこのソフト付属のサンプルゲーム「花嫁の冠」のプレイに漕ぎつける所まで成功。更に2002年2月、せっかく買ったのだから、何か一つくらいはゲームを作ってみよう……と、 ゲーム関係にとことん疎いことなど棚に上げ、あれやこれやと無い知恵絞って約七ヶ月。漸く「それっぽい」ものを一つ仕上げ、傍迷惑も顧みず友人知人にテストプレイを依頼。結果、「ゲームをしていると言うより、小説を読んでいる感じ」等々の批評を戴くことが出来た。これが『Four Rings(仮題)』である。いつか、機会があればHP上で配布出来れば……等と、身の程も弁えずに密かな野望だけは抱いているのだが、さて、どうなることであろうか……。

| | コメント (0)

2007年3月 3日 (土)

桃の節句に寄せて

 三月三日である。雛まつりである。女の子のお祭りである。幾つになっても何故だか妙に心ときめきする嬉しい日である。
 しかし、例によって、今年もあれやこれやの忙しさに甘えて雛飾りを出すことが出来なかった。うちは元々、前日か当日にやっと飾って旧暦の三月三日まで飾りっ放し……という横着な家なので、別にこれから出して飾っても支障はないのであるが……。
 まぁ、来年こそは絶対に飾りますから……と、箱の中のお雛さんらに心の中でお詫びしつつ、せめてもの罪滅ぼし(?)に、知人から戴いたミニチュアの吊り雛や、雛まつり模様のガラスの箸枕などを飾り、長崎堂さんの「ひなまつりカステラ」(細身のカステラの表面に桃の花とお雛さまの絵と「ひなまつり」の仮名文字が描かれていて非常に可愛い)と、ピーチ・リキュールの小瓶と、早くから確保しておいた雛あられや雛菓子の袋と、菱餅代わりのお花見団子なんぞを供える。こういう、ちょっぴり趣向を変えた雛まつりもまた、なかなか心楽しいものである。
 とは言え、これだけでは余りにお雛さんらに申し訳ないので、随分と昔、「星の実」第十四号に寄せた雛まつり絡みの読み込み詩もどきなどを引っ張り出して、この雑記に添えてみることにする。

       雛の宵
   ものゆかしかる やよひのこのひ
   もものひとえだ かざりなすよひ
   のどけきほかげ ゑむだいりびな
   はつのせちより くるはるごとの
   ならひとなりて はやはいくとせ
   さてもかはらぬ ゑみをめでつつ
   くちびるさみし かひのべにひく

 因みに、この詩には次のようなオチがつく。

   さんじゅーふりそで それがどーした

 ――失礼致しました。

| | コメント (2)

2005年12月 3日 (土)

「歌光画集」さぼり続けて一年半……挽回目指しデジカメ頼み?

 十月中旬に思い切って購入していながら、一度も使用していなかったデジタルカメラを、やっと「初使い」して阿倍野HOOPの「イルミネーションゲート」を何枚か撮影してみた。因みに、Canonの「IXY DIGITAL L2」の「MIDNIGHT BLUE」という紺色の機種である。後継の「L3」であれば「MORPHO VIOLET」という紫色のものもあるし、元々欲しかった色は既に持っているAPSカメラと同じ「シルバー」だったのだが、接写能力の高さと価格とに負けて「L2」のこの色を買ってしまった。まあ、ひつじに言わせれば「わ~い☆ クレア☆のお目々の色だ~☆」ということらしいのだが……。
 さて、初使いからいきなり夜景を撮ると言う暴挙にも関わらず、そこそこうまく写ってくれたのに気をよくして、ほぼ一年半ぶりにHPの「歌光画集」にアップしてみることにした。前回と前々回の更新の間が丸々二年も開いたことに比べれば、まだ「まし」ではないか……などと都合よく言い訳しながら、久し振りに Adobe Photoshop で画像解像度を変えてみたり、Microsoft Frontpage でファイル挿入をやってみたりする。手順など、すこーんと忘れ果てている部分も多々あったが、そこはそれ、何度かやっているうちに色々と思い出して来て、何とか作業を進めて行くことが出来た。「昔取った杵柄」「習うより慣れろ」「トライ&エラー」といった、パソコン関連でよく言われる常套句が、相応の実感を伴って浮かんで来る。
 それより何より、デジタルカメラで撮影した写真と言うものは、一枚ずつフィルムスキャナで読み込んで行く手間が無い分、作業時間が節約出来て非常に手軽である。もしかしたら、これである程度は弾みがついて、地を這い続けている更新頻度にも多少の変化が見られるかも――などと、勝手な希望的観測だけは一人前に持ってしまう。
 しかし、アップするからには、例によって写真の不出来をごまかす為の腰折れをでっち上げなければならない。これに費やす労力と時間がまた半端ではないので、この時点で挫折してしまうことが結構多いのも、更新間隔が開きに開く原因の一つである。今回もまた然りであったのだが、何とか無理矢理それらしい代物を捻り出し、無事アップにまで漕ぎつけることが出来た。結果については……実際のページをご覧下さった方からのご批評を待つほかはないが、ともあれ、久々の更新を果たせた満足感は大きい。

| | コメント (11)

2005年11月17日 (木)

晩秋に裸足で板間にいるものは…?・補足――或いは、漠然とした短歌考

 俵万智さんの流れを汲む新しい感覚の短歌は、用語的には一見平易明解に見えるが、解釈は返って難しいものだということが、今回改めて解った気がする。淡々と描かれた情景ほど、奥に潜むものが見つけにくいようなものだろうか。或いは、和歌や近代短歌を読み聞きする場合に比べると、受け手の心構えの方も微妙に異なって来るからだろうか。
 使われる言葉が平易であればある程、その歌の持つ本当の意味あいが容易に理解出来る、という訳ではなさそうである。かと言って、難解な言葉を用いる程に具体性が増して良い短歌が出来る、という訳でもないと思われる。平易過ぎず難解過ぎず、作り手の意図する心象や映像が、可能な限り正確に受け手へと伝わるような短歌――それが理想ではないかと思うのだが……。自らの意図したものに「より近い意味あい」を第三者に伝える為には、言葉が平易過ぎる故に誤った受け取られ方をしてしまう危険を冒すより、多少は曖昧で難解と思われる言葉であっても敢えて選んで使って行く方が良いのだろうか。
「受け手が受け取ったままに解釈するもの」という考え方には、どうも心底から馴染めないものを感じる。作り手側の感性や感覚は一つでも、受け手側のそれは千差万別であるし、殊に短歌は音数が限定される形式の文芸であるだけに、場合によっては(今回の私の迷解釈のように)途方もなく本来の意味あいとはかけ離れた解釈がなされてしまう危険性も考えられるからである。
 作り手は、自らの感動を出来得る限り正しく伝える為に、言葉を選び、研ぎ澄まし、磨き上げつつ、一首の短歌を完成させるべく呻吟を繰り返す。それだから、受け手は、まず作り手の意図を様々な角度から探り、考え、調べ、作り手の伝えんとする感動をより原形に近い形で追体験出来る体勢を調えた上で、鑑賞に入るのが理想ではないかと思う。
 所で、「聞く短歌」であるか「読む短歌」であるかによっても、言葉の選び方は変わって来る筈だが、今回の場合は、聞き取ったままを文字に置き換えて読み直してみても、まず頭に浮かんで来るのは、矢張り最初に耳で聞いた時と同様に「幼児か飼犬か飼猫」(但し「晩秋の冷え込む板間に猫はいない」ということなのだが)の映像であった……。己が想像力の貧困さと融通の利かなさは、この際棚に上げておいて――つくづく、平易明解な新感覚短歌の世界は難しいものだと思う。

| | コメント (2)

2005年11月14日 (月)

晩秋に裸足で板間にいるものは…?~音だけで聞いた短歌の迷解釈~

 確か、金曜か土曜の夜だったと思う。お風呂に入ってラジオをつけると、何やら短歌関連の番組らしきものが流れて来た。出演者はカトウチエとカワシマアイと言う若い女性二人と、キムラさんと言うやや年配と思われる男性一人(注:正しい漢字名が判らないので、聞いたままの音を片仮名で書かせて戴く)で、どうやらカトウチエと言う人は歌人らしい。(因みに、このラジオは父が阪神戦を聞く為に買ったシャワーラジオ。日本シリーズも終わったので、現在はNHK第一の周波数に合わせている)
 聞き始めてすぐ、そのカトウチエさんの自作が一首発表されたのだが、それは、
   はだしから/フローリングの/つめたさが/つたわってくる/だきしめられる
 と、いうものであった。(注:正しい漢字混じりの表記が判らないので、聞いたままの音を平仮名と片仮名で書かせて戴く)
 記憶力のとんと鈍い私でも、聞いてすぐに覚えられる位に平易で明解な歌であったのだが、ここで私は、「はだしから」という歌い出しから、歌の主人公を幼児か飼犬か飼猫――と限定して思い浮かべてしまった。晩秋のこの時期、板間に裸足でいるものはと言えば、お母さんの言うことを聞かないで靴下を履かずに走り回る幼児か、屋内で飼われている犬猫の類しか想像出来なかったのである。抱きしめたのは、幼児が主人公であれば母親、犬猫であれば飼主であろう――そんなことを考えていると、スタジオのキムラ氏も「これはワンちゃんの歌だね」といった解釈を述べられた。所が、カトウチエさんは「短歌は、その人が受け取ったままに解釈して戴くものと考えていますので……」といったような意味あいのことを仰言ったので、あ、違うんだ……と、気がついた。もしかすると、カトウ氏はちょっぴり茶化した解釈を示して「受け」を狙われただけかも知れない。
 これがもし、「素足から」と始まっていたならば、主人公は若い女性(作者?)で、抱きしめたのはその夫か恋人であろうかと、もう少し艶めいた場面を想像出来たかも知れないのだが、「はだしから」と始まっていると、しかもそれを音で聞いてしまうと、どうも私の頭の中では、活動的で健康的な印象の方が優先されてしまい、幼児や犬や猫が浮かんで来たらしい。つくづく、自分の想像力の貧困さと融通の利かなさを思い知り、「また、ちょっと、頑張らなあかんなぁ……」と、ぼんやり考えたことであった。

| | コメント (8)