2009年11月30日 (月)

アロマテラピーの教室に参加して思ったことなど

 アロマテラピーの教室で教えて戴く内容は、いつも「成程……」と思わず納得してしまうものばかりであるのだが、その中で、これまで何やかやと読み散らして来た浅い知識に特に符合したり、目から鱗の思いがしたものが二つあった。
 一つは、ハーブティーに絡むお話の中で、サプリメントの恐さに関して「人の体には、化学物質を排出しようとする働きがあるので、化学物質であるサプリメントを服むと、腎臓や肝臓が無理をして働き、負担が掛かってしまう」――というもの。思わず、リカ・ザライの『私の自然食』を思い出して、深く納得してしまった。同書で読んだ、精製糖が体に良くないのは、純粋な化学物質だから――という話や、どんなにカルシウム剤を打っても骨化しなかった脊椎の骨が、卵の殻を浸出させたレモン汁と粘度湿布の力で見事に甦った――という話に、そのまま通じるものがある。
 有効成分を安全に効率よく摂取したいなら、サプリメントよりハーブティー――これは、鉄則のようである。
 もう一つは、手作りクリームや乳液に絡むお話の中で、「肌に直接塗るものの基材には、例えばオリーブ油にしても、必ず化粧品品質=コスメチック・グレードのものを使うようにして欲しい」――というもの。これは、一瞬、ちょっと意外に感じてしまった。『あぶない化粧品』シリーズなどでかじった知識で、合成洗剤などは誤飲も恐いが、それ以上に皮膚から浸透して肝臓などに影響を与えることの方が遙かに恐い、と知ってはいるものの、どうしても「口に入るものの方が安全性が高い」ような漠然とした誤解が確かにあったし、皮膚は外部からの刺激(紫外線など)から身を守り、汗や皮脂などの老廃物を排出する為の器官だから、栄養分などが「吸収され浸透することに期待は出来ない」ような誤解も抱いていた。(よく考えてみれば、皮膚に塗る(=経皮吸収されることが前提)かゆみ止め、痛み止め、湿布薬といった外用薬は、経皮吸収が期待出来なければ、何の意味もない訳であるのに……)。
 アロマテラピーにちょっぴり触れる機会を得て、こうした長年の誤解に気づくことが出来たのは、何より有難いことであると思う。
 こうなって来ると、過去に読んだ本も、今の目でもう一度、読み直してみる必要がありそうであるし、アロマテラピー関係の本も、もっと色々と読んで行きたい。
 ここに来てまた一つ、本当に素晴らしいものに巡り逢うことが出来た思いで一杯である。

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2009年11月29日 (日)

クラフト尽くしの心豊かな休日を過ごすこと

 昨日は、私には非常に珍しい「クラフト尽くし」の一日であった。
 朝からは、やのともこ先生の展示会でパステルによるカードづくりを体験し、お昼からは、中島悠月先生のアロマ教室で様々なアロマグッズを作り――製作総数何と8点。
 やの先生の作品には、以前、あべの近鉄百貨店での展示会で偶然遭遇し、その柔らかく明るく優しいパステル画の世界に一目で魅かれてしまった。(可愛い動物のイラストも多い中、ひつじの絵がまだないことだけが、多少寂しいが……)
 今回は、クリスマスカード製作のイベントも同時開催されており、生まれて初めてパステルに触れる機会を得た。柔らかなパステルを指先にこすりつけ、更にそれを使って画用紙に彩色して行く作業は、実に心楽しく、ついつい夢中になり無言になり……先生の可愛い下絵イラストに助けられつつ、この絵心皆無の私が、何とかカードらしき作品を仕上げることが出来た。パステルと定着スプレーを買い込む日も近いような気が……する。
 中島先生には、既に9月の美容院での教室で、ルームスプレーと万能クリームの作り方を教わっているが、今回は月間テーマ「薔薇づくし講座」のローズ・コーディアル、ローズ・ボディーオイルに加えて、オプションでうがい薬、化粧水、乳液、リップクリーム、そして石けんまで作らせて戴いた。
 薔薇の精油は高価なことで知られているが、その香りには、心を満たし恐怖や不安を慰め癒すと共に、それらを乗り越える力を呼び覚ましてくれる(まるで、MIQさんの歌のような)力があるそうである。
 今回のローズ・コーディアルは、たっぷりの薔薇・ローズヒップ・ハイビスカスのドライハーブを使って作るもので、特に炭酸水割りが美味しい。ローズ・ボディーオイルも、ローズウォーターを加えた非常に香り高い素敵な品。うがい薬は、エキナセア・カモミール・エルダーフラワーの成分をウォッカで抽出させて作る。化粧水や乳液作りでは、またもや精油選びに「悩む楽しさ」が再燃。何より驚いたのは、リップクリームと石けんが、余りにも簡単に作れてしまったことである。こちらも、週明けに材料を買いに走ってしまいそうな気がしてならない……。
 かくして、秋の終わりの非常に実りある「クラフト尽くし」の一日は、無事終了した。
     やの先生のブログ:http://blog.murablo.jp/yanotomoko/
     中島先生のブログ:http://ameblo.jp/aromayuduki/

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2009年10月 7日 (水)

ご当地キャラクターの存在条件について思うことなど

 〈るるぶ情報版〉の「城崎 天橋立 北近畿 '10」が納品された。
 最近、この手の旅行書を見る度に、つくづく「ご当地キャラクターは、まず可愛いさが第一条件やなぁ……」と痛感させられること頻りであったが、ここへ来てもう一つ、大切な条件の存在を感じるに至った。
 それは、「城崎泉隊オンセンジャー」なるご当地戦隊キャラクターの存在を知ったことによる。
 バックナンバーを確認してみると、既に '09版の同誌で登場している('08版にはまだ記事がない)から、誕生は昨年頃なのであろうか。「戦隊」が「泉隊」になっている辺りも更に楽しい。
 ふと、遙か昔に『まほろば戦隊コトレンジャー』何ていうのを考えたことがあるのを思い出した。
 今は観光名所として知られる県下の各地に、過去の時代の愛憎を背負って出現する種々の敵キャラに、あらゆる宗教を超越し天の星々に守られた彼らが立ち向かい、救いを与えて行く……。
 色はやっぱり、基本の赤青黄桃緑かなぁ、とか、変身前の名前は、春日、飛鳥、当麻、吉野、初瀬、何て感じが良いかなぁ、とか、適当に空想しては楽しんでいたのだが、しかし、活躍の場が奈良大和路とその周辺に限定されるとなると、巨大メカ戦に突入しても、電線のない平城宮跡で埋蔵物に細心の注意を払いつつドンパチ……では、無理があり過ぎる。何やら随分と地味な戦隊になりそうで、そのままネタが冬眠に入っていた……。(あ、敵ごと異次元の時空に場を移して戦えば良いのか!!)
 と、話を戻して。
 そんなこんなで、何だか急に、城崎に行きたくなって来てしまった。元々、勝沼や高山と並ぶ大好きな土地ではあるのだが、このいきなりの城崎熱は、明らかにオンセンジャーに触発されて出たものである。
 こうした「思わず行きたくなる気持ち」を心地良くかつ強烈に刺激し、重い腰を上げさせて、その土地まで呼び寄せるだけの「力(パワー)」を、どこまで備えているか――という辺りもまた、ご当地キャラクターの重要な存在条件として必要なようである。
 蛇足ながら、来年の遷都祭には、結局3体のキャラクターが揃い踏みすることになったようだが、結束力の点からしても、到底「戦隊」にはなり得まいと、素人目にも容易に想像がついてしまう。長年の観光行政の弱点が見事に体現されている気もして、ある種の感慨を覚えなくもないのだが……。
 とにかく、今、無性に――城崎に行きたい……。

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2009年9月20日 (日)

アロマテラピーの講座に参加すること

 連休初日の昨日、行きつけの美容院の企画で、アロマテラピーアイテムの手作り教室に参加して来た。
 アロマテラピーについては、ポプリや香水と同様、簡単な本で読んだ程度の知識しかないし、特に精油に関しては、佐光紀子さんの本で読んでティーツリーの精油や局方のハッカ油を適当に使っているのと、友人に貰ったアロマライトに付属していたブレンド済みオイルで芳香浴した経験くらいしかなく(因みに、このオイルを使い切った時点で蒸発皿を洗おうとして割ってしまい、ライトはしまい込んだままである)、きちんと教わって接するのは初めてである。
 講師は中島悠月さんと仰言る若い先生で、ご自宅でもアロマテラピーの教室を開いておられるとのこと。
 まずは、ローズヒップの炭酸水割りを戴いて、かつて余りの酸っぱさに敬遠していたローズヒップ・ティーも「炭酸で割れば良かったんや!!」と、今更ながらに開眼した思い。
 次に、アロマテラピーの概要や精油を扱う際の注意点などをざっと教わったのだが、この療法発祥の挿話(創始者がラベンダーの精油のお蔭で大火傷から回復した話)以上に驚いたのが、中島先生ご自身のごく最近の実話であった。先月下旬(ブログで見ると24日)、左手の指先を鋏でざっくりと切ってしまい、整形外科の先生に「回復には今年一杯は掛かる」と言われておられたその傷に、通院が終わってからラベンダー精油のクリームを毎日塗っておられた所、怪我から一ヶ月経たない昨日の時点で既に、抉れていた肉がきれいに盛り上がって完治の状態にまで回復――これには本当に驚いた。
 今回作ったのは、ルームスプレーと万能クリーム。好きな香りの組み合わせを選ぶのが「結構難しくて迷いまくるのが楽しい」ことを実感すると同時に、『あぶない化粧品』シリーズを読んで以来、手づくり化粧品がもっと一般化しないかなぁ……と思い続けていた私には、ここに来てやっと、アロマテラピーという強力な助っ人が現われたような気がして、非常に心強く思われた。様々な形で「香り」と付き合うことの楽しさについても、この教室で再認識出来た思いである。
 ダンデリオン・レシピ・ティーと手づくりの林檎のケーキまでご馳走になり、実に充実した気分で会場を後にした。
 連休明けに『ガットフォセのアロマテラピー』(フレグランスジャーナル社刊)でも発注してしまいそうな……既に「はまりつつある気配」が漂っている私である……。

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2009年6月 7日 (日)

初夏の名刹にて~茶道部の同窓会に出席すること

 初夏の陽ざしも爽やかな今日、学生時代に所属していた茶道部の同窓会に出席して来た。
 ここの所は毎年、市内にあるうどんすき店での開催が恒例となっていたが、今年は先生と茶道を通じて長く親交をお持ちであられる古刹の御前様のご好意により、特別にお寺に拝観して精進料理を戴く趣向の会となった。
 もう随分と陽ざしも強くなった境内には、日曜日ということもあってか、遠来の参拝者と思われる年配のご夫婦連れや、散歩途中に立ち寄ったらしき人々、普段からよく遊びに来ているらしい子どもたちの姿も結構あった。
 九世紀末の創建と伝えられる尼寺で、御前様は十七才でこのお寺に入られて、今年八十八になられるそうである。我々のお茶の先生はこの八月で九十四歳――ますますもってお元気なそのお姿を拝見していると、返ってこちらが力を与えられるような気がして来る。お二方とも、足腰や内臓が弱ったと口になさりはするものの、あの気力、心の張り、ユーモアのセンス、お話の所々にさりげなくもぴしりと見え隠れする深い教養と鋭い洞察――見習うべきものが多過ぎる……。
 さて、我々四十数名の同窓生一同、まずは本堂のご本尊・十一面観世音菩薩像を拝観し、若い尼僧さんの読経に唱和(我家と同じ真言宗だが、矢張り微妙に異なる部分もある。しかし、般若心経を声に出して唱和していたのは私だけで……多少、恥ずかしかったりもした……)の後、同寺の縁起やご本尊の由来などを易しくご説明戴く。
 続いて、庫裡の広間へと通され、ここで会食。御前様が前日より手ずから調えて下さったお精進は、茄子・椎茸・筍・高野豆腐・麩・里芋・蕨の炊き合わせ、胡麻豆腐、揚生麩の酢味噌がけ、蕨の落花生合え、蓮根と海苔の揚げ物(鱧揚げの見立て料理)、菊花の酢の物、蓴菜のにゅうめん、梅ごはん、お漬物――いずれも上品にして個性豊かな味わいの品々ばかり。味付の秘密は日本酒であると、後から教えて戴いた。
 食後には、同寺に由来のお菓子と薄茶までご馳走になって後、更に、広間の奥にあるお茶室ほかを拝見させて戴く。
 拭き清められた畳の間を通り抜けて行く、自然の風の涼やかさに改めて驚き、吹き硝子を張った硝子障子越しに拝見する中庭の景色に、どこか異世界めいた雰囲気さえ覚えつつ……瞬く間に過ぎてしまった二時間余りであった。時には、こういった時間を持つことも必要だなぁ……と、今更のようにしみじみ感じた次第である。

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2008年9月23日 (火)

憧れの“一人旅”実現に向けて!?・下

 かくして、喫茶店、レストラン、和食のお店……と、少しずつ「入れるお店」を開拓して行った訳なのであるが、その間に新たに気づいたことを少し挙げてみると……。
  まず、一度入ったことのあるお店には(余程印象が良くなかった等の場合を除けば)、次に入る時も、より入りやすい、ということである。店内の雰囲気や店員さんの接遇の様子がある程度把握出来ていて、不安が少ないからだろうか。
  次に、喫茶店の場合、例え一人席に座ったとしても、軽食や喫茶以外の目的(本や雑誌を読むとか)に時間を使おうとすると、途端に何とも落ち着かない精神状態に陥ってしまうことである。特に、新しく人の動きがあると、その度に何だかそわそわしてならず、おちおち頁も繰っていられなくなる。これが、友人知人との会話であれば、周囲に何の気兼ねもなく楽しめるのであるが……。(その点、食事という目的を終えればすっと立てば良いレストランや和食堂などの方が、まだ気楽に思えてしまう)
  更に、非常に驚いたのは、それほどに自意識過剰な人間(=私)であっても、喫茶店で「携帯電話を使ってメールチェックやブログ閲覧をする」ことだけは、相手のあるお喋りに似て、さほど周囲に気を使うということがない――という点である。これには、本当に驚いた。二人席に座っていても、新しく入って来たお客が空席を探して背後をうろうろしたり、店員さんが脇を通って行ったりしても、大して動揺することもなく作業を続けることが出来るのである。これが、本や雑誌を読んでいた場合であれば、周囲で人の動き(出入り)がある度に「もう、ぼちぼち出た方が良えのかなぁ……」「待ってはる人に迷惑掛けてるのと違うやろか?」――何て考えて気もそぞろになり、とても読み続けるどころではなくなってしまうのに……。
 携帯電話を相手にしたメールチェックやブログ閲覧には、ある意味「相手のある会話に近い」雰囲気があって、良く言えば「一人でいることの不安や緊張を無理なく忘れていられる程に、私的な寛ぎ感・安心感をもたらしてくれる」ような、少し悪く言えば「無意識のうちに周囲の存在を遮断し、容易に自分(たち)だけの世界に没頭出来る」ような、そんな特性があるのかも知れない。
  普段から普通に一人でお店に入れる方々には、「当たり前のことを、大袈裟な!」と呆れられそうなことどもであろうが、これらは、私にとっては非常に新鮮な発見であった。

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2008年9月21日 (日)

憧れの“一人旅”実現に向けて!?・中

 しかし、兎にも角にもこれを乗り越えない限り、前に進むことは出来ないのであるから、何としてでも克服するしかない。
 そこで、ふっと思いついたのが、「いつもとは少し違う恰好をして外出する」――という方法である。
 よく、学校で「形から入る躾」ということが言われるように、服装が変わるだけで、随分と気持ちや気構えにも影響が現われるもので、殊に、私のような単純な人間には、これが結構効く。受験生の頃、「自宅や塾で勉強する時にも、学校の制服に着替えると気持ちが引き締まって能率が上がる」という体験談をよく聞いたが、謂わば、その応用のようなものである。
 服装のTPOは「周囲に対する礼儀・心くばり」の為のものとして言われることが多いが、この場合は「自分の意識・心構え」を切り替える一助とする為に服装を変えてみる――変装とまでは行かないまでも、要は「今日は、いつもと違う恰好の自分なのだから、いつもは出来ないことでも出来る筈」だと、自分に暗示を掛ける効果を期待する訳である。
 で、極力、普段は余り装ったことのないような服装や髪型で試してみることにした。まぁ、通勤用のシャツブラウスを、よそ行き用のブラウスに変えたり、通勤時は大概ズボン一辺倒であるのを、久々にスカートを引っ張り出して穿いたり、常はウォーキングシューズばかりの所を、少し踵の高い(と言っても3センチ程度だが)パンプスにしたり、引っ詰めてネットに放り込んでいる髪を、ポニーテールに結ってみたり、普段使いのサングラスの代わりに、奮発して買った少し洒落た形のものを掛けたり……といった程度のことであったのだが――これが、成功であった。お店の前に立ち、ドアを開けて入って行き、店員さんの「いらっしゃいませ!」の挨拶を受け、席に着いて注文を決めて伝える……まず、そこまでの行動が、思いの外すんなりと運んだのである。
 次なる関門はと言うと、一人で店内で過ごす時間の「手持ち無沙汰&精神的右往左往状態」を如何にして克服するか――である。
 取り敢えずは、友人知人の助言により、「文庫本を持参する」「店内の雑誌を利用する」「携帯電話でメールチェックやブログ閲覧をする」――といった方策を試して行くことにした。そうして、最初に試した「携帯電話」が、これまた思いの外の効果を上げてくれて、半時間くらいの時間を無事に一人で過ごすことが出来たのであった。

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2008年9月20日 (土)

憧れの“一人旅”実現に向けて!?・上

  思い切って、少し前から「一人で食べ物屋さんに入る稽古」を始めている。
 以前にも書いたが、私は本当に昔から、どうしても一人で喫茶店やレストランに入れない人間であった。それが、何故また一念発起したかと言うと……いつか、憧れの「一人旅」を実現する為の準備と言うか、練習と言うか、そういったものをそろそろ始めておこうかなぁ……と思い立ったことが、一番の理由である。
 今の状態では、仮に一人でも参加出来る二食付きのパック旅行を利用するにしても、到着早々に挫折してしまう可能性大である。何と言っても、目的地に着いてすぐ、お昼ごはんは現地のどこかで食べなければならない訳であるのだから……。
 それに、どうせ旅行に行くのであれば、その土地の名物を現地で味わう楽しみを諦めたくはない。せっかくの旅行先で、コンビニおにぎりを買い込んでお部屋で食べるというのも虚しい気がする……。(そうして、あの“奴さん”が、そもそも満足はすまい……)
 で、遅まきながらの訓練開始を決めた訳である。具体的に言うと――最初は、友人らと行ったことのあるお店から始めて、例えば、待ち合わせよりもずっと早めに到着するように出て、一人で喫茶店に入ってお茶を飲んで約束の時間までを過ごすとか、或いは、土曜出勤の帰りに一人でお昼ごはんを食べて帰るとか、そういう辺りから少しずつ馴らして行き、更に、勤務でない土曜日などに、朝から一人で出掛けて、喫茶店で朝ごはんを食べ、和食のお店でお昼ごはんを食べ、岩盤浴や書店巡りで贅沢に時間を使い、シアトル系の喫茶でお茶を飲んで、洋食のお店で晩ごはんを食べて帰るとか――と、要するに「そこそこの長い時間を一人で外で過ごす練習」を重ねて行く訳である。
 そうして、いずれはシティホテルかビジネスホテルのレディースプランでも利用して、一人で泊まって食事して、ラウンジでワインでも飲めるようになってから、いよいよ、近場への一泊旅行に挑戦……と、計画だけは無謀にも立てている、のではあるが……。
 まず、最大の関門となるのは、とにかく「一人でお店の中に入ること」――である。入らないことには、何も始まらない。しかし、私のような人間には、これが一番難しいのである。意を決してお店の前まで行ったとしても、いざとなると、どうしても足が止まってしまう。長年の性分のようなものでもあるから、まぁ、おいそれとは治らないのである。

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2008年4月26日 (土)

「一人でお店(飲食店)に入れない症候群」のこと

 私が「一人でお店に入れない」理由は、単に「あかんたれ」だからである。また、生来の自意識過剰も少なからず関わっているものと思われる。強いて言うならば、子どもの頃から家族で外食をする機会が余り無かったことの影響もあるかも知れない。我家では昔から、外で食事をする、お茶を飲む、といった行為は、基本的に「特別なもの」「贅沢なもの」と位置づけられており、そんな「滅多にないこと」を一人で実行に移すことに対して、強烈に抵抗を覚えてしまう性格に育ってしまったらしい。何せ、友人と喫茶店で待ち合わせても、自分の方が早く着いてしまったら相手が到着するまで必ずお店の前で待っている奴なのである。
 余程のお店でない限り(例えば、本町の「わいん家」さんや、友人がピアノ演奏をしている時間帯の「スイスホテル」のラウンジなど)、一人で入って食べたり飲んだりすることは出来ない。一~二度、頑張って挑戦してみたことはあるのだが(因みに、マクドナルドとカウンター式の洋食屋さんであった)、もう、落ち着かない上に物凄く手持ち無沙汰で、せっかく注文した品々もおちおち味わっていられない状態になってしまった。テーブル席を一人で占拠する心苦しさのようなものと、自分の中で「間が持たない」ような感じとが、終始つきまとうのである。
 例えば、運ばれて来たお料理を口に運んで、咀嚼する――その、飲み下して次の一口を口に運ぶまでの時間が、ひどく手持ち無沙汰に感じられてならない。その間、どこを見れば良いのか、どんな表情をすれば良いのか、手の持って行き場はどうすれば良いのか……全く見当もつかず、そわそわと落ち着かない「心理的右往左往状態」に陥ってしまう。また、注文した品が運ばれて来るまでの時間も、恐ろしく手持ち無沙汰で耐え難いものがある。良い年をして情けない限りではあるのだが……。
 このような状態であるから、まず「一人旅」というものは、憧れこそすれ限りなく無理があると思われる。あの八年前の上京時にも、過去に宿泊経験のある「お茶の水イン」に投宿し、一階にあるコンビニエンスストアで夕食や朝食(と言っても、辛うじて喉を通りそうなもの……と考えて、お蕎麦とゼリー飲料のみであったが)を調達して、客室で食べた位なのである。
 何とかせんならんなぁ……とは思い続けているのだが、こればかりは矢張り、どうしようもない「性分」というものであるようである……。

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2008年3月 2日 (日)

「京都万華鏡ミュージアム」を訪ねて・後

 万華鏡を覗きながら、そこに広がる無限とも言うべき独特の模様世界を、殊更に何も考えることなくただぼーっと眺めていると、いつの間にやら想像以上に時間が経っていて、我ながら驚いてしまうことがある。そうして、ひとしきり見終わって覗き穴から目を離し、現実の世界に立ち戻った後に、言い知れぬ「和み」のような、そこはかとない「充足」のような、ほのやかな「高揚」のような……そんな気分を、ふと覚えてしまうことがある。
 ちょうど、夏の夜空にぱあっと花咲いては消えて行く、あの打ち上げ花火を見ている時の感覚に似ている気がする。そう言えば、花火を見ている間は、誰もが一瞬、或いは数瞬、或いは連続して打ち上げられているその間中、心の中にある嫌なことも煩わしいことも何もかも忘れ果てて、ただただ無心に夜空を見上げる――その「心を空っぽにする瞬間」を無意識のうちに作ることが、人の精神にとっては、想像以上のリフレッシュ効果やリラックス効果をもたらす……と、どこかで読んだ覚えがある。それで言うなら、万華鏡はさしずめ、掌の中のごく静かな花火大会――とでも呼べそうである。
 とりどりの花々が開いては散り開いては散りする様子を低速度撮影した映像を見るような、あの万華鏡独特の模様が次々と形作られては姿を変えて消え、また現われては形を解いて消える……その繰り返しは、一見すると単純そうに思われながら、その実、今、目にしているものと全く同じ模様が再び現われることは決してない。言わば一期一会の美の世界が次から次へと果てしもなく繰り広げられて行く訳である。大まかな仕組みも仕掛けも把握した上で、似たような模様の繰り返しをただ眺めるだけのことでありながら、決して飽くことがない。考えてみれば、何だか不思議なものである。
 所で、今回は、テレイドスコープと呼ばれるものも初めて手に取って見て……これにも、はまってしまった。テレスコープとカレードスコープが合わさった呼称だそうで、覗いてみると、先端に付いた水晶玉を通して、周囲の風景がたちどころに「万華鏡化」する。カレードスコープに入れるビーズやスパンコールの代わりに、本棚やお花畑や町並みや……果てはTVの画面に至るまで、あらゆる景色が素材となる訳である。これも素晴らしい。思わず、ペンダント式の品を一つ、お土産に買ってしまった。
 最早……万華鏡の虜となりつつあるのは明白な私である。

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