最近流行の名前の読みについて思うこと・追記3
外国人名に漢字を当てた名前でも、芸名や筆名などの中には、心ひかれる例が色々とある。「蔵人知有」さん、「春遍雀來」さん、「ラモス瑠偉」さんなどは、そのお名前から、日本や日本語に対する深い理解や親愛の情が自然と窺える気がして、見ただけで心地良い。昨日挙げた「江戸川乱歩」にしても、或いは「益田喜頓」さんなども、本当に「うまく付けてあるなぁ……」と感心してしまう。素直に読めて、記憶にも残りやすく、とても良い命名であると思う。
反対に、平仮名の名前であっても、読み方を悩んでしまう場合もある。「わかぎゑふ」さんなど、お名前を「ヨウ」と読むのか「エフ」と読むのか、恥ずかしながら随分長い間、秘かに悩み続けていた。旧仮名を含むお名前をどう発音するのが正しいのか、字を見ただけではすぐに判断出来なかったからである。(最近、『小説リトル・チャロ』の発注入力時に確認する機会があり、やっと「エフ」であることを知った)
所で、一昨年くらいにDVDが納品された原作付きの邦画で、主人公の名前を「月」と書いて「らいと」と読ませているものがあった。これなど、それこそ「知らなければ絶対に正しく読めそうにない名前」である。創作世界の登場人物であるから、それはそれで魅力になるのかも知れないし、礼人や頼登や来斗では駄目な何らかの理由があっての命名でもあろうが、しかし、果たして現実社会に於いても、そうした命名(読ませ方)が通用するものであろうか。
普通、「月」と言う漢字を見て、まず浮かぶ読み方は、「つき」「げつ」「がつ」などであるだろうし、それが人名である場合には、「“つき”ちゃん、かな?」位に想像するのが自然ではないだろうか。これに外国語を当てて「むーん」「るな」「せれね」「ゆえ」のように読ませるのも相当に無理があるが、増して「らいと」となると――「光」や「明」や「軽」を「らいと」と読ませるよりも、遙かに難しいことになるだろう。そのような読み方を強いられた相手が、果たして、何のストレスも引っ掛かりも抱くことなく、その名前を受け入れることが出来るものだろうか……。
我が子の名前は、深い愛情や祈りを込めて、考え抜き選び抜いて当然であると思うが、それに加えて「その名前を一生背負って生きて行く我が子」の姿をじっくりと思い描き、その上で、字も響きも意味あいも素晴らしい「良い名前」を付けることが、矢張り大切なのではないだろうか。
| 固定リンク






















コメント