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2009年7月31日 (金)

34回目の『ベルばら』記念日

 知る人ぞ知る、いや、知る人のみぞ知る、いや、本人のみぞ知る標題を、またもや性懲りもなく付けてしまった。「知る人」は、さぞかし「ああ、まだ騒いどるな」と、殆ど諦めの境地でご覧下さることかと思う。
 今年は金曜日である。3年前にも、同様の標題で書かせて戴いた通り、生まれて初めて宝塚歌劇の舞台を見た日が今日である。「人生で大切なことは全て宝塚の舞台で学んだ」ようなものである私にとって、これほど特別な日は他にない。
 とは言え、今年もまた、普通に起床し、普通に身繕いし、普通に食事し、普通に出勤し、普通に走り回り、普通に退出し、普通に帰宅し、普通に一太郎に向かってこの稿を打ち――ただ“バラ・ベルサイユ”の香りだけは絶やさず纏い続けただけの一日であった。強いて言うなら、頭の中で一日中「哀戦士」と「愛の怯え」がランダムに回り続けると言う、多少は例年と異なる現象は経験したが……。
 先日読んだ本(『和歌とは何か(岩波新書 1198)』渡部泰明/著)の中で、歌集『サラダ記念日』の題名の元となった有名な短歌の、その素材となった実際の経験では、料理は「サラダ」ではなく「カレー味の唐揚げ」で、日付も「七月六日」ではなく「六月七日」であったと、俵万智さんご自身が明かしておられた(『短歌をよむ(岩波新書 304)』俵万智/著)――ということを、恥ずかしながら初めて知った。メニューも日付も異なるけれども、その時の自分の思いをより正確な形で第三者に伝える為には、敢えてそのような形に置き換える必要があったということらしい。こういう呻吟は、短歌を生業とするプロの歌人なればこそのものであろう。
 私の場合は、単なる日記代わりに(しかも無理矢理背伸びして)腰折れをでっち上げ詠み散らしている程度のものであるから、そこに作品の質を高める為の創作を盛り込むような余裕も実力もなく、従って、大抵の場合は事実そのものを三十一文字の中に詰め込むだけである。(たまに、想像(妄想?)の世界に遊んだままを詠むこともあるのだが……)
 そんな人間が、取り敢えず今日の日を詠むならば……こんな感じであろうか。

   哀しくも美しきかのとりどりの薔薇らに逢ひし文月晦日
   文月の晦日にのみは甦る少女(をとめ)の日なる形見の薔薇は
   今もなほ夏来るごとに慕はしき文月晦日――「ばらの記念日」

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2009年7月30日 (木)

MIQさんの新譜『哀 戦士 トリビュート』を聞いて・後

 MIQさんがひとたび歌われた歌は、まず漏れなくMIQさん色に染め変えられる――とは、かねがね感じていることである。ただ、歌の「染まり変わり方」にも色々ある。
 少々偉そうなことを書くが、MIQさんがこれまでに歌われた「元々は他の人が歌っていた曲」の中にも、元の歌を遙かに飛び越えて、完全にMIQさんバージョンとして完成されているものもあれば、その曲の持つ雰囲気には、元の歌手の歌い方の方がより似合っているように思われてしまうものもある。また、これはもしかしたら、無意識に「元の歌を越えてはいけない」という遠慮のような気持ちが多少入ってしまわれたのではないだろうか……と感じられる気がしたようなものもある。聞く側の私が、元の歌を知っている場合も、そうでない場合も、同様である。
 例えとして適当かどうかは判らないが、塩沢さんは、一つの作品の中で脇の役柄を演じる時、常に「演るからには、主役を越えてやろう」という意識を持って演じている――と、言っておられた。そのような演じ方が、主役を始めとする周囲の演技をも良い意味で刺激し、作品の質をより高めていた場合もあるし、逆に、悪い意味で主役を食ってしまい、作品自体の仕上がりが歪なものになってしまっていた場合もある。尤も、それは大凡、主役以下の共演陣の顔ぶれによって異なって来ていたようにも感じられるのであるが……。
 MIQさんは、大抵の場合、お一人で歌っておられるので、カバー曲の仕上がりが様々に感じられるのも、その曲をMIQさんご自身の感性で深く解釈し、熟考を重ね、全力で表現された結果、そうした仕上がりに行きついたもの――と考えて間違いないだろう。
 そうしたことも思い合わせて、この「哀戦士」を聞いてみても――これはもう、完璧に「MIQ版・哀戦士」として完成されていると言っても過言ではないだろうと思われる。
 以前にも書いたが、オリジナルの歌唱を知っていてなお、同等或いはそれ以上の仕上がりであると認められるカバー曲というものには、なかなかお目に掛かれない。「オリジナル歌唱のみの持つ力強さ」を越え、別作品として完成された曲となる為には、歌い手に「相当の実力+α」がなければ、極めて難しいものであると思う。
 MIQさんの「哀戦士」は、数少ないそうした一曲であると断言して良いだろう。本当に素晴らしい「哀戦士」である。是非、一人でも多くの方に聞いて戴きたい。

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2009年7月29日 (水)

MIQさんの新譜『哀 戦士 トリビュート』を聞いて・前

 去る22日、CD「GUNDAM 30th ANNIVERSARY I, Senshi ~哀 戦士 トリビュート」が発売された。劇場版第2作『機動戦士ガンダム2 哀戦士』(1981.7.11.公開)の主題歌「哀戦士」を、6人の歌手がそれぞれに歌う全6曲を収録したアルバムである。
 このアルバムで、MIQさんが文字通り紅一点で「哀戦士」を歌っておられる。“MIQueen”Vol.3 のステージで告知して下さって以来、期待一杯に待ち焦がれていただけに、漸く入手して聞くことが出来る嬉しさには、もう一入のものがある。劇場版第2作の『ガンダム』と言えば、有名な「マ」事件も含めて塩沢さんに関わり深い作品でもあり、その主題歌をあのMIQさんが歌われると知って、どれほど感激したことか知れない。
 実は、劇場版3部作の主題歌のうち、「砂の十字架」と「めぐりあい」の2曲は、公開当時にラジオ番組で流れた際、他のアニメソング同様にカセットテープに録って聞いて覚えたのだが、この「哀戦士」だけは何故か録り損ない、長い間、どんな曲なのかも知らなかった。本編が深夜にTV放映された際に、初めて聞いて「何や、早口言葉みたいな歌やなぁ……」と感じた記憶が唯一ある程度である。また、9年前に出た劇場版の「特別版」DVDは、アフレコが新録されたと聞いて臍を曲げて見なかったし、一昨年やっと発売されたオリジナル音声のDVD「劇場版メモリアルボックス」は、思い切って購入したものの、クレジットの確認等で部分的に再生した程度で、この「哀戦士」が流れる場面まではまだ見ていなかった。
 そのような――殆ど「初めて聞くのと変わらない状態」で、聞いてみたMIQさんの「哀戦士」は……如何なる贔屓目を抜きにしても、もう「素晴らしい」の一言に尽きる仕上がりであった。
 とにかく凄い迫力である。歌い始めから歌い終わりに至るまで、疲れを知らずフルパワーで駆け抜けるような、しかし、一節ごとに深い情感をじっくりと滲ませながら、歌詞にある全ての言葉の持つ心を丁寧に引き出しつつ、更なる魅力さえ増し加えて全力で歌い上げる――今の斯界に於いて、こんな歌い方が出来る人は、まずMIQさんの他にあるまい。元々の歌詞自体、男性が歌っても女性が歌っても違和感のないものであるように思うが、しかし、余程の実力を持つ人でなければ、曲自体の持つパワーに負けてしまいそうな曲であるから、これは何ともぴったりの人選であると言えるだろう。

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2009年7月28日 (火)

浴衣に寄せる思い・その5

 お正月や成人式の振袖に関しては「着物に着られている」という感じの子も多く見受けられるが、昨今目にする浴衣に関しては「着る」「着こなす」以前の問題があるように思われてならない。
 例えば、昔ながらの白地や紺地の浴衣の良さもちゃんと把握した上で、「でも、今風の素材や色や柄行きの浴衣も私好みだから」とか「夏だし、たまには冒険して、大胆な色柄に挑戦してみようかと思って」とか、そういった理由で、ああいったカラフル浴衣を選ぶのであれば、まだ理解は出来る。或いは、何万も何十万もする有名な木綿生地で仕立てた国産の手縫い浴衣でなければ「そんなもの、浴衣とは言えない」何て、冷たい目で見下ろすような底意地悪い輩に、ひどく嫌な思いをさせられたことに対する反抗からでもあると言うのであれば、これも解る。(似たような思いを、私もさせられたことがある……)
 しかし、もしも、テレビや雑誌で見たままを「あんなのも“あり”なんだ」と思い込んだり、それが当たり前の着方であるように誤解したまま、何も考えずに真似て着て満足していたり、「気軽に着るものだと言うんだから、好きに着て何が悪い」と開き直ったり――まさか、そんな安易なことはしていないだろうが――もしも、そうなのであったら……何とも寂しいことである。
 装いにも、それ相応の「自分なりの美意識」を持つことは大切だと思う。そうして、洋装にしても和装にしても、基本を知り、特徴を把握し、節度を弁え、TPOを心得た上で、初めてそれぞれの個性を加えて自由に楽しむことが出来るのではないだろうか。特に、お祭の日の浴衣のような、普段とは違う「特別な装い」であれば、尚更なのではないだろうか。
 また、夏の装いの場合は、「素敵に着こなす」「格好良く着る」といった意識に加えて、「自分も涼しく、傍目にも涼しげに映るように着る」――そんな心配りが出来てこそ、初めて周囲の人々に「良いなぁ」「素敵だなぁ」「真似してみたいなぁ」……と、好もしく心地良く感じて貰えるのではないかという気がするし、自分さえ良ければいい――とばかりに、その姿を見た人が「ただでさえ暑いのに、余計に暑苦しい気分になった」と感じてしまうような着方をしてしまっては、折角の浴衣が可哀想に思われる。
 同じ「今風のカラフル浴衣」であっても、もっと「さらり」と「きりり」と「すっきり」と着こなす術は、幾らでもある筈だと思うのであるが……。

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2009年7月27日 (月)

浴衣に寄せる思い・その4

 浴衣の「着方」という面から少し書き足したいことがある。足(足首から先)と、手(手首から先)と、顔(首から上)以外の部分の露出についてである。
 天神祭に向かう女の子らが、まるで幼児のように、膝近くまで裾をたくし上げ、両足をにょきっと出して「つんつるてん」に着ていたのは、歩き易さや涼しさを期待してのことなのだろうか。そう指南する人でもいるのだろうか。
 通常の丈に着ていても、歩く度に裾から風が入るから十分に涼しいし、翻った裾からちらりと覗く素足は、同性から見てもどきっとする位に艶めいて素敵であるが、最近の子らは、そういう魅力に対しては、余り関心を向けないのであろうか。
 また、団扇を片手に持ってばたばた扇ぎつつ、もう片手の袖を肘の上までたくし上げてバッグを掛けている――という子が結構多かったが、着物を着て肘を出すのはお行儀が悪い、と、誰も教えてくれなかったのだろうか。
 半袖のブラウスから覗く肘と、着物の袖をまくって見える肘とでは、同じ肘でも全く印象が異なる。着物の場合は、まるで喧嘩を売っているように見えてしまうのである。そのようなことは、想像したこともないのだろうか。
 露出という点では、膝や肘ばかりではない。両肩がはみ出そうな位に浴衣の衿を思い切り広げて着た二人組を見た時には、もう「助けて~」と叫びたくなった。着崩れて胸元が開いて来たのではなく、明らかに最初からそういう着方で出て来ているのである。
 大概のイブニング・ドレスは、どんなに肩が大きく開いていても、まず下品に見えることはないように思う。しかし、これが振袖や浴衣となると……。
 一昨年度の卒業式に、濃色地の振袖を、まるで花魁さんのように、胸元を広げ肩が見えそうな程に衣紋を抜いて着て来た卒業生があった。花魁さんの衣装でも、相応の女優さんが装えば品よく華やいで映えるものであるが、その卒業生の場合は、着慣れていないこともあったのだろうが、余りに浮き上がって場にそぐわず、品のないことこの上なく、痛々しい位に悪目立ちしていた。若い同僚は、事も無げに「『さくらん』の真似してるんですよ」と言ったが、私には「錯乱してるんやないか?」としか思えなかった。今回の子らは、浴衣版『さくらん』をでも気取っていたものだろうか。
 矢張り、浴衣と言えども“和装”する以上は、最低限の決まりごと程度は知って守って着て、それから楽しんで欲しいものである。

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2009年7月26日 (日)

浴衣に寄せる思い・その3

 昨日、25日の天神祭当日――土曜出勤の後、発泡ワインのセミナーに滑り込み参加して、昼日中から実にふわふわと心地良い気分で心斎橋筋をそぞろ歩くうち……擦れ違う「カラフル浴衣姿」、いや、どちらかと言えば「カラフル浴衣もどきファッション」とでも呼べそうな姿の女の子たちを見るにつけ、段階的に酔いが醒めて行ってしまった……。
 今年もまた「つんつるてん」のオンパレードに加え、玉蜀黍の毛のような色の髪を洋装時と変わらない派手な形に作り、目の回りを異常なまでにくっきりと描く最近流行の濃化粧、更には実に暑苦しげな装飾過剰の帯、異様に大きな花などの髪飾り、そしてビーチサンダル……といった姿が多く見られた。戎橋筋を越えて難波に至るまで、遂に「涼しげな浴衣姿」には全く出会うことがなかった。
 あの、作り帯の上に、更にシフォン地の兵児帯を重ねて大きく結び、まるで七五三用の作り帯をもっとごてごて飾り立てたように仕上げる帯結びは、一体、誰の発案から始まったものであろうか。はっきり言って……見ていて暑苦しいことこの上ない。加えて、アーケードの吊り広告のモデルさんが、浴衣に赤い伊達衿を付けているのを見た時には、「最近の夏の装いから“涼しげ”という概念は駆逐されてしまったのだろうか……」と、悲しくなって来た。
 今年は流石に、厚底ブーツの子は見なかったが、裾がマーメイド・ドレスとフラメンコの衣装を足したような形状になっている浴衣を見た時には、もう「素直にサマー・ドレスを着て欲しい……」と切実に思った。洋服地で仕立てた着物にも素敵なものがあるし、着物地や帯地を巧みに使ったドレスには今も憧れる。しかし、余りにちぐはぐ過ぎるアレンジは、単なる奇衒いで終わってしまいそうな気がする。
 帰りの車内で、中年のご夫婦連れを見かけた。奥様の方が浴衣姿で、茶色っぽい地に渋めの臙脂や紫で大きめの花模様を描いた、ちょっとモダンな雰囲気の品であった。帯は落ち着いた感じのピンク。髪は簡単なアップ、美装しない素足に雪駄、手には薄茶色の奈良うちわ、和柄の巾着は手先に持って――なかなかに好感の持てる姿であった。帯結びは、ごく普通のリボン結びであったが、座席の背でぺちゃんこに潰れていたことだけが、少々残念であった。
 浴衣ぐらい、「さらり」と「きりり」と「すっきり」と着て欲しい――毎夏、偉そうにもそんな風に感じてしまう「天神さん」の宵である……。

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2009年7月25日 (土)

記憶の中の映画との再会・その1 『緯度0大作戦』

 幼い頃に家族と一緒にテレビで見た映画やドラマの中には、題名も出演者も殆ど覚えていないが、ある場面だけは妙に鮮明に記憶している――というものが割合にある。
 そうした中の一作――その映画に関しては、漠然と「SF」で「洋画」であったこと、「人間と動物を組み合わせて怪物を創る科学者が、実験台にした仲間に裏切られて最期を迎える」場面があったこと、その怪物がキマイラのようなグリフォンのような「複数の動物を寄せ集めた姿」をしていたこと、位を覚えているのみであった。出来ればもう一度ちゃんと見てみたいと、ずっと思い続けて来たが、それらしい映画の再放送がなかなかなく、レンタル店で洋画のSF作品の棚を丹念に見てみても「これかも?」という作品に行き当たることがないまま、随分と長い月日が過ぎてしまった。ある時、ふっと『ドクター・モローの島』だったかも……と思い当たり、DVDを見て確認してみたが、これは残念ながら違っていた。
 さて、一昨年辺りから、遅まきながら『ゴジラ』に編入(新入学という訳ではないので、この表現が一番近いだろう)して以来、『ゴジラ』シリーズのみに留まらず、最近は、かねてから題名だけ聞いて一度見てみたいと切望していた東宝特撮映画も何作品か見ている。尤も、最寄りのレンタル店で扱われているものばかりなので、『美女と液体人間』(1958)、『大怪獣バラン』(1958)、『ガス人間第1号』(1960)、『電送人間』(1960)、『マタンゴ』(1963)、『宇宙怪獣ドゴラ』(1964)、位ではあるのだが、いずれも、初めて見る作品ばかりであった。
 しかし、先週借りて来た『緯度0大作戦』(1969)は、見始めてすぐ、何となく見たことがあるような思いに捉われ始めた。黄色い球形の海底探査艇、海底火山の爆発、楽園のような海底都市……。出演者も外国人俳優が多く、ぼーっと見ていると洋画のようにも思えて来る。更に、免疫風呂だの特殊な武器を仕込んだ手袋だの、記憶にある場面や小道具が次々と登場し、遂に、敵側の女艦長が改造される場面まで来て、はっきりと確信した。あの映画である。やっと、再会出来たのである……。
 こういう場合に感じる、言い知れぬ昂揚と安堵感のようなものが、何とも言えず好きである。過去の記憶の確認による穏やかなカタルシス、とでも言えば良いだろうか。
 かくして、○○年ぶりにして漸く再会叶ったあの映画は――純粋な洋画ではなく、日米合作映画であった。

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2009年7月24日 (金)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・21

 何故、今、“ぼてじゃこ”なのか――
 勿論、随分長い間、もう一度見たいと思い続けていたドラマでもあり、主題歌の歌詞を再確認したいと切望していたこともある。
 この五月、半ば諦めかけていた主題歌レコードをやっと手にすることが叶い、更に小説版も入手することが出来て、一気に勢いづいてしまったこともある。
 友人知人らに、このドラマの話をしてみた所、世代的なものも多分にあろうが、「知らない」「題名だけは知っている」「題名は覚えているが見たことはない」――といった答えが多く返って来て、是非とも「こんなお話やってん!」と、詳しく話してみたい衝動に駆られてしまったこともある。
 更に言えば、伯母と一緒に見ていた思い出深いドラマであること。放映された年の夏休み、その伯母に連れられて琵琶湖畔にある今津の国民宿舎に一泊する小旅行に行ったこと。そうして、やがて大津の建築会社社長に嫁いだ伯母が、僅か5年の後には他界し、やや遠く琵琶湖を望む墓地に眠っていること――そうしたことも全て含めて、私にとって、妙に「縁のある」特別な作品であるということもある。(奇しくも、今津の国民宿舎は、伯母の夫となった人の会社が設計したものであった……)
 この一年は、ある意味に於いては、私にとって精神的に正に激動の一年であった。塩沢さんがいらっしゃらなくなって以来、涙を流すことが出来なくなってしまっていた私が、去年の五月、MIQさんのソロ・ライブ“MIQueen”に参加したことで、八年ぶりに再び涙を取り戻すことが出来た。
 本当にかけがえのない、素晴らしい人物に巡り会うことが出来て、一年――様々な意味で、生まれ変わることが出来たような気さえするこの一年を経て、不意と「雪っ子はん」や「お千代さん」に会いたくてならなくなった。
 思えば――TVドラマに絡む記憶の中で、最も初期の頃に巡り逢った幾人かの「自立した女性像」の中に、雪子がおり、千代がいた。はなのやのてまり姐さんや、常磐津の文字京ことお京さんや、スチュワーデスの美咲洋子なども、憧れの「働く女性」ではあったけれども、特に、関西弁で喋る雪子や千代に対しては、より親近感を抱いたように思う。
 ここに来て、ふっと無意識に自らの来し方を振り返り見て、その中に佇む雪子や千代の姿に懐かしさ以上のものを感じ、もう一度親しく語り合いたい――そんな思いを抱いたことが、最大の理由なのかも知れない。

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2009年7月23日 (木)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・20

 小説版を読んで、最も疑問に感じたのは、時の流れが多少判りにくい所であった。特に、時間の計算が合わない箇所が散見されるのが結構気になった。
 例えば、物語が始まるのは「昭和三十一年三月十二日」、雪子の結婚式当日の夜である。結納は前年の「十二月十日」で、それは牧田との不本意なただ一度の過ちがあった「二ヶ月後」――とあるから、妊娠は十月十日頃という設定である筈である。そうなると、雪子は結婚式の時点で既に五ヶ月の身重ということになり、更に、千代と会って商売を教わり、上京しておにぎり屋を成功させ、出産……。一体、千代の元で商売を学んだ期間、上京して成功するまでに費やした期間は、何ヶ月位だったのだろうか。
 宗六との結婚を承諾した後、雪子は医師に「三ヶ月」だと言われるのだが、これでは計算が合わない。妊娠三ヶ月に相当する一月頃には、雪子はまだ結婚式も挙げていないし、千代や宗六にも会っていない。挙式の時点で妊娠五ヶ月であったのであれば、それから千代の元で暮らして、やがて悪阻による悪心を初めて覚えた時、雪子は妊娠何ヶ月だったのだろう。
 また、医者に妊娠を告げられる場面には「凍てつく寒さ」「凍てつく路地」とあるのだが、大阪の町屋が「凍てつく」ほどの厳寒の時期は、矢張り一月から二月に掛けて位であろうから、これも計算が合わなくなる。
 東京へ出て来て「三ヶ月目」に、敬子との思わぬ再会があった時、雪子のお腹は「かなり大きくせり出して来て、商品の運送はできずに、製造と予約注文の方を受け持っている時」だったと書かれている。
 出産の為に帰郷したのは、恐らく、予定日から逆算して汽車の旅に耐えられる時期を見計らってのことであろうが、しかし、宗夫は「七月に入る夕暮れ」に生まれているから、九ヶ月の早産ということになってしまう。
 つまり、雪子は三月十二日に妊娠五ヶ月の体で結婚式から逃げ出し、僅か四ヶ月にも満たない期間に、大阪(一ヶ月弱?)と東京(三ヶ月強?)で、ゼロから商売を覚えて会社まで設立し、九ヶ月で出産するに至った訳である……。
 大好きな物語に対して、決してケチを付けたくはないのだが、好きなだけに、余計に気になってしまう。
 しかし、ドラマを見ている間中、こうした「時間の流れの不自然さ」は全く感じられなかった記憶がある。これは、小説化する際に見落とされた、超多忙な売れっ子作家ゆえの単純なミスであるのかも知れない。

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2009年7月22日 (水)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・19

 少し趣を変えて、主題歌「琵琶湖慕情」について書いてみる。
 作詞は花登筐氏、作・編曲は小川寛興氏、演奏はアンサンブル・ブーケ。
 シングルレコードは、演奏時間が二分五十七秒。レコード番号「AS-1114」、東宝レコードから定価400円で発売されている。歌は雪子役の三田佳子さんで、レコードのジャケットも三田さん。A面が「琵琶湖慕情」である。(B面は「湖の女(ひと)」という曲であるが、こちらは残念ながらよく覚えていない。挿入歌だったのかも知れない)
  歌詞をそのまま紹介することは出来ないので、可能な限りに雰囲気を伝えられるように説明してみると――。
 三連から成る歌詞は、それぞれに「水」「月」「花」といった湖畔の四季の眺めを代表する言葉から始まり、湖(琵琶湖)・比叡おろし・賤が嶽、石山・比良・沖の島、高峰・伊吹・浮見堂――と、近江の地名や風物が種々盛り込まれて、それぞれの景色になぞらえながら、か弱い女性が生きて、恋して、夢見る――その険しさ、寂しさ、厳しさを歌い、どの連も「琵琶湖哀しや 女の湖(うみ)よ」で締め括られる。
 そんな感じの歌である。
 実際にドラマのオープニングで使われていた部分は、一番+二番の後半部(或いは、一番の前半部+二番の後半部)であったように思う。記憶に残る歌詞が、丁度その部分に相当している。
 これが、緩やかな4分の3拍子の美しく哀切極まりない旋律に乗せて、三田さんの――いや、雪子になり切っている三田さんの、控え目に優しく澄んだ、しかし芯の強さをしっかりと内に秘めた声で歌われる。本当に素敵な、今も大好きな歌である。
 この五月に、やっと中古のシングルレコードに巡り会えるまで、もしかしたらCDで手に入らないかと随分調べてみたのだが、残念ながらこの曲だけは、三田さんのアルバムにも収録されていないし、ドラマ関係の主題歌集等にも入っていないようである。
 無論、どこの通信カラオケにもまだ入曲していないようであるし、楽譜が掲載されている本も見当たらない。
 唯一手元にあるレコードも、プレーヤーが使えないので再生出来ないままである。歌詞は判ったし、旋律は今も覚えているから、歌うことは出来るのであるが……。
 欲を言えば切りはないけれども、もしも近い将来、この「琵琶湖慕情」が何らかの形でCDに収録され、ラジオ局でも流され、カラオケでも歌えるようになったならば……こんなに喜ばしいことはない。

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2009年7月21日 (火)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・18

 結構、覚えているものである。無論、小説版と新聞の解説記事に大いに助けられて、やっと一通り纏めることが出来た訳なのだが、さて、多少なりとも作品の雰囲気を伝えることが出来ただろうか……。
 この作品を、もう一度見てみたい……という思いは、今も非常に強くある。再放送を見た記憶はないのだが、民放のドラマであるから、フィルムやビデオが局に保存されている可能性は、案外高いのではないだろうか。
 もしも、DVDが発売されるのであれば、是非とも買ってじっくりと見直したい。同じ時期に放映されていたドラマには、DVDが発売されているものも結構ある。『アテンションプリーズ』のDVD-BOXは、発売と同時に思い切って買ったし、他にも『美しきチャレンジャー』『弥次喜多隠密道中』『おくさまは18歳』『ザ・ガードマン』『おれは男だ!』等のDVDがあることも店頭で確認した。原盤が残っているのであれば、絶対にDVD化して欲しい。
 しかし、リメイクというのは、ちょっと想像がつかない。舞台設定を同じ昭和三十年代にして作ることは可能かも知れないが、肝心の配役が全くイメージ出来ないのである。特に、雪子と千代は難しい。
 あの当時の三田佳子さんと同等以上の雪子を演じることの出来そうな二十代の女優さんが、まず全く思い浮かばない。可憐で清楚で健気で賢明で勤勉で、万事に控え目な大和撫子とも見えながら、強い信念を持って自ら人生を切り開いて行く、近江生まれ浪花仕込みの若き女商人――難しい役柄である。
 千代はもっと難しい。大体が、あの役柄はミヤコ蝶々さんあってこそのものであったような気がしてならない。この作品に関して「ドラマが先か小説が先か」――と考える時、どうしても、まずドラマが先にあったのではないか……と思われてしてしまうのは、この千代役が、余りにも蝶々さんにぴったり過ぎる役柄であった為である。まるで、座付作者が一座の名脇役の魅力を最大限に引き出す為に創作した人物であるようにさえ思われる。(そう言えば、役名の響きもどこか似ている……) 名優と呼ばれる女優さんは今も沢山おられるけれども、この千代役は余りにも蝶々さんのイメージが強烈過ぎる。
 様々な意味から、リメイクは制作されない方が良いのかも知れない……そんな気がする。
 矢張り――DVD化を何より希望したい。それが駄目なら、せめてシナリオ集を出版して欲しい。切なる願いである。

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2009年7月20日 (月)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・17

 雪子の商売を手伝ううち、自立の自信を持ち始め、平沼に思いを寄せるようになったみよは、錦織との離別を考える。「別れようと思うんだ……」と言うみよに、花岡は、錦織という夫がいたからこそ、雪子という人に会えた、雪子という人に会えたからこそ、今の自分がいるのではないか……と、もう一度考え直すように諭す。
 しかし、そんなみよの心を察したかのように、錦織としげ子はこっそりと東京を離れ、故郷に帰る。
 程なく臨月を迎えた雪子も、出産の為に帰郷する。生まれて来た子に琵琶湖を見せて「ぼてじゃこになったらあかん」と教えたい思いからである。
  記憶では、雪子が入院した病院に、行き倒れの女性が運び込まれ、錦織が雪子の病室に飛び込んで来て「行き倒れで担ぎ込まれた女の人、あんたのお継母ちゃんやがな!」――身重の雪子に何を言うかと、錦織はしげ子にひどく叱られるが、雪子は、けいの病室を訪ねる。そうして、無沙汰を詫び、亡母と千代の教えに支えられて生きて来た今日までの経緯を語り、ぼてじゃこについては、敬子に釣り上げられ捨てられて命を落とした宗之助の例を話す。
 ぼてじゃこの話は解った……と、神妙に頷いたけいは、それでは、釣り上げた方はどうなるのか、と尋ねる。折から、堤建設を乗っ取った敬子には、脱税か何かの絡みで当局の手が迫っていた……。
  やがて、雪子は元気な男の子を出産し、「宗夫」と名付ける。そこへ、看護婦さんが「赤ちゃんのパパがみえました」と伝えて来る。
 この時、一瞬、雪子の顔が激しく曇る。まさか、牧田がここを嗅ぎつけて来たのではあるまいか――しかし、入って来たのは千代と宗六であった。驚く雪子に、千代は言う。「宗」の字の付いている子が、どうして宗六の子でない筈があろうか、と。
 残念ながら、ドラマのラストシーンがどうしても思い出せない。
 小説版では、物語の冒頭(昭和三十一年三月)から十二年後の昭和四十三年冬、発展に発展を続ける「花錦弁当株式会社」から、毎朝午前十時、東京全域に向けてお弁当の搬送に出発する三十台のトラックを、一台一台、頭を下げて見送る雪子。その傍では、寒空に裸足の男の子が手を振って見送っている――という場面になっていて、

   宗夫――。
   堤川組、堤川宗六と雪子の子、そして鰉の子でもある。

 ――と、結ばれている。鰉(ひがい)とは、ぼてじゃことは正反対の性質を持つ、琵琶湖の魚の王者のことである。

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2009年7月19日 (日)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・16

 日本製菓が手を引いた為に、三松堂と契約を解消する業者が相次ぐ。監査に乗り込んで来た税務署員の平沼は、たまたま訪れた雪子(だったと思うが……小説版ではみよ、新聞の解説記事ではしげ子になっている)が、おにぎりを売る商売をしていることを知る。
 翌日、平沼は柳食堂の二階に雪子を訪ねて来る。みよは「うちが税金払えないこと知ってて、税務署の人、連れて来たの!?」と、雪子を責めるが、平沼は、まず雪子のおにぎりの味を褒め、「あれは売れますよ」と太鼓判を押してから、保健所への届けがまだ出されていないことを指摘する。「保健所の許可が要るんですか?」と驚く雪子に、「人様の口に入るものですからねぇ」と答える平沼。税金の方がどうであったかは思い出せないのだが(小説版では、雪子が「売り喰いの生活が商売ですやろか?」と主張し、相応の利益が出て、人間らしい生活が出来るようになった時に、初めて商売として届けるし、税金も払う――と答える場面がある)、この平沼の助言を得て、保健所への登録を済ませ、雪子の商売はいよいよ事業としての体裁を本格的に整え始める。
 三松堂では、従業員は全ていなくなったものの、雪子のおにぎり販売に触発された修と敏恵は、お弁当用に自家製のサンドイッチを売ることを考え出し、生き生きと睦まじく働き始めた。
 ここの場面もよく覚えているのだが、試作のサンドイッチをプラスチックのケースに詰めてみると、どうしても少し空間が余る。ケースの大きさと食パンの大きさが合わないのである。思案する修らを見て、とくが横合いから、在庫になっているお菓子を入れたらどうか、と提案する。うちにあるお菓子なんて古いものばっかりですよ、と言う修に、とくは「だから良いんじゃないか」と自信満々。実際に会社を回って売ってみると、サンドイッチの珍しさも好評であった上、小さな袋に入ったおまけの方にも「これ、なあに?」と関心が集まる。「それ、お楽しみ袋なんです」と、明るく応える敏恵。袋を開くと、どんぐり飴など素朴な駄菓子の類がそれぞれ出て来て、OLたちは懐かしさに大興奮。とくの助言は大成功であった。
 雪子の方も、おにぎり屋の商売を会社組織にしようと思う――と、皆に話す。雪子が提示した社名は「花錦弁当株式会社」――かつて、錦織と花岡が起こした製菓会社の名前を冠し、二人にも会社に入って貰うことで、上京以来の恩に報いようと考えたのである。

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2009年7月18日 (土)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・15

 柳食堂が類似のおにぎり販売を始めたことで売り上げが落ち、雪子は新たに予約販売という方法を考える。味見用の小さいおにぎりを沢山拵え、ビル街の会社を回って勤め人たちに味見をして貰いながら、雪子は着実に予約注文を取り、販路を拡大して行く。
 その途中、とあるビルで、今日から新しく入ったばかりだと言う会社に行き当たり、「それやったら、お昼ごはん、困ってはりますやろ」と、廊下にいた社員らに味見のおにぎりを配り、その会社に入って行く雪子。入れ違いに、入口の扉に「堤建設株式会社」のプレートが掛けられる――確かそこでCMが入ったと思う。その演出を、何とも言えず「巧いなぁ……」と感じた覚えがある。
 堤建設は既に、嫁の敬子に乗っ取られていた。記憶では――社内であれこれと指図を飛ばしていた女社長の敬子が、入って来た雪子を見てひどく驚く。雪子はここで、宗之助が亡くなったことを初めて知らされる。敬子は雪子に様々な嫌味や侮蔑の言葉を浴びせた挙句、「毒の入ったおにぎりは売らないでね」と言い放ち、雪子が出て行くと、味見のおにぎりを手に持っている社員たちに対して「そのおにぎり、捨てなさい」と、冷たく言い放つ――そんな場面であった。
 この頃であったか、客から衛生面の指摘を受けた雪子は、衛生的なおにぎりを売る為の案として、硫酸紙を三角の袋に折っておにぎりを入れ、爪楊枝で口を留める方法を考え、これも成功する。小説版ではハトロン紙で包むことになっているが、確か、不透明なハトロン紙ではなく、当時の岩波文庫のカバーに付いていたような半透明の紙の袋であった。白黒テレビで見た映像の記憶なので、色までは思い出せないのだが……。
 折しも、菓子問屋の三松堂は、大手メーカー・日本製菓との契約を解消され、窮地に陥る。
 記憶では、三松堂の近所に、日本製菓の宣伝カーが「チョコゼリーの宣伝に参りました」という華やかな女声アナウンスを流しながら現われ、近くの子どもたちに風船やお菓子を配り歩く場面があった。営業部署の長らしき男性が、この新製品を手に三松堂を訪れるが、とくは取引を断る。この時、とくが何故、取引を断ったのかは、残念ながらよく覚えていない。小説版では、千代が雪子への疑惑を晴らし、とくが修を重用し始めたことから、婿養子の修を快く思っていなかった使用人らが全て辞めたことと、修への不信から、日本製菓側から手を引いたことになっている。

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2009年7月17日 (金)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・14

 雪子とみよは、かやくごはんのおにぎりの味付けについて、生粋の東京人であり、老舗の煎餅職人でもある花岡に相談する。花岡は、関西と関東の味覚の違いに加えて、温度による味の変化についても、瓢箪せんべいを実際に味見させながら教えてくれる。焼きたての煎餅と、冷めた煎餅では、辛さの感じられ方が違う。同様に、炊きたてのかやくごはんと、おにぎりにして冷めたそれとでも、辛さは変化する。そこまで考えた上で味付けをしてみてはどうか……。
 以後、みよが味見して「丁度良い」が、雪子には「ちょっと辛い」と感じられた時には、「これだけ薄めますよ」と、少しだけ水を追加して味を調節する――という方法を採用。そうやって作ったおにぎりは、勤め人を中心とする客たちに大好評で迎えられ、商売は見事に軌道に乗り始める。
 その頃、花岡は、茶殻の始末をめぐる雪子の言動などから、かつての知り合いであった千代を思い出す。小説版では、修と雪子の仲を疑う三松堂のとくから相談を受けて、新聞の解説記事では、過労で倒れた雪子が熱にうなされながら宗六の名前を呼ぶのを聞いて、花岡は千代に手紙を出す。
 記憶では、受け取った手紙を、仰々しい書き方だとか何とか言いながら、声に出して読み始めた千代が、「本日は、雪子なる女性のことで……」という件りまで来た途端に「雪子はんのことやがな!!」と、思わず居住まいを正す――その場面が印象深い。
 上京した千代は、花岡から一部始終を聞き、こっそりと雪子の商売を観察していたく感心したり、三松堂を訪ねて、とくや敏恵の雪子に対する誤解を見事に解くなどして、雪子の為に巧みに動き回るが、雪子本人には会うことなく、しげ子に「柳の上にぼてじゃこがいてる」という言葉を残して大阪に帰る。記憶では、この場面で千代の言葉を聞いたしげ子が「お婆さん、それやったら“柳の下に泥鰌”と違いますか?」と言い、千代が「いいや、ぼてじゃこだす」と返す。後にしげ子からこの話を聞いた雪子は、もしや、千代が上京して来たのではないかと思うが、その言葉の意味がすぐには判らない。しかし、柳食堂の二階に自分たちが住んでいることに思い当たった瞬間「柳の上にぼてじゃこがいてる!!」と、千代の上京を確信すると共に、その言葉が今の自分たちに対する警句であるように感じる。
 折しも、柳食堂の息子が雪子たちの商売を真似て、更に安い値でおにぎりの行商を始め、厄介な商売敵となる。

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2009年7月16日 (木)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・13

 この辺りの挿話で、よく覚えているのが質屋の場面である。
 多分、開業資金か運転資金を作る為に、雪子は自分の数少ない持ち物の中から、古い着物を質に入れようとする。店番をしていた若い男に「十円ぐらい」(だったと思うのだが……当時、まだ3つに折る大きさのチロルチョコレートが10円だったので、この額にはちょっと自信がない。因みに、小説版で雪子が売るおにぎりは一個15円、新聞の解説記事では一個20円となっている)だと言われ、余りの安値に、雪子は「古いから、値打ちがあるのと違いますか?」と食い下がる。所が、その着物の襟の辺りであったと思うが、「ん?」と、何かに気づいたらしい男は、急に値段を上げる。「この人、何で急に値段を上げはったんやろ?」と、雪子が疑問を抱いた所へ、男の母である店主が帰宅。「お前になんか、(質入れ品の価値が)判るもんかね」と、息子から着物を取り上げて値踏みし、矢張り、同じような値段を付ける。所が、この母親も襟の辺りに何かを見つけて「何か、縫い込んである」「お金じゃないですか?」鋏を借りて縫い目をほどいてみると、果たして、そこには千代がこっそり縫い込んでおいてくれた何枚かの紙幣が入っていた――。
 柳食堂の二階の部屋で、仕入れに使って残ったお金を大切そうに数えながら、雪子は「お千代さん、お金、使わせて戴きました……」と、感謝に満ちた眼差しで虚空を仰ぐ。千代の無言の、しかし、しっかりと先を見通した深い思いやりがしみじみと偲ばれて、好きな場面である。
 かやくごはんのおにぎりは、程なく「味付け」の問題に直面する。
 記憶にある場面では、おにぎりの販売を手伝い始めたみよが、ある時――多分、雪子が過労で倒れるか何かして、代わりに売りに行くことになった日――雪子が釜に仕掛けて、後は炊くまでになっていたかやくごはんを、火を点ける前に味見して、「薄いなぁ」と、勝手にお醤油を足してしまう。東京人のみよが、更に辛いもの好きであったことも災いして、その翌日、雪子が自ら調整したおにぎりは「(昨日食べたら)ひどく辛かった」「食べた後、何杯も水を飲まなければならなかった」と、ひどく不評で全く売れなかった……。
 こうした、関西風の味や好みと、関東風のそれとの違いを描く為の伏線でもあったのだろうか、その前後には、しげ子が父をすき焼き屋に誘い、「東京のお葱て、何で白いとこばっかりなんやろ」と呟く場面もあった。

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2009年7月15日 (水)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・12

 記憶では――多分、錦織が、自分の所用が済むまで、後妻のみよが働いている柳食堂で待っていてくれと言ったのだと思うが――その食堂の場面で、年配の女性店員が布巾の同じ面ばかりでテーブルを拭くのを見た雪子が、布巾や雑巾は折り返しながら常にきれいな面を使って拭くものだという千代の教えを思い出す。雪子はその店員をみよだろうと思い、注文を聞かれて「すうどんでも」と言う。関西では、麺とつゆだけのうどんのことだが、その店員には通じない。困った店員が、厨房の女主人に訊ねると「おかめのことだよ。酢なんか入ってないのにね」――そこへ、若い店員が出前から帰って来るが、実はこちらが錦織の妻のみよであった。
 錦織の家に同居させて貰うことになった雪子は、これから暮らす東京という土地を知る目的も含めて、錦織の「観光せんべい」の企画について、菓子問屋の意見を聞いて回ることにする。その途中、問屋街の店員たちが、忙し過ぎて食事もろくにとれない状況にあることを知り、彼らにおにぎりを売る商売を思いつく。そうして実際に売り始め、価格の設定や販売する場所など、より売れる為にはどうしたら良いかを考え続けて、やがて、かやくごはんのおにぎりを作ったらどうだろうかと思い至る。
 記憶では、雪子とかやくごはんの思い出として、戦時中の雛祭りの日の場面があった。空襲警報が鳴り響く中、母が「早よ防空壕へ!」と叫ぶのに、家に飾った粗末な雛人形を取りに戻った幼い雪子は、壕の中で母にひどく叱られる。ひとしきり叱ると、母はお昼にしようと、壕に持ち込んでいたお櫃の蓋を開ける。「かやくごはん?」目を輝かせる雪子。母は「お雛さんにも供えたげよ」と、よそったかやくごはんを内裏雛の前に置く――戦時中とは言え、雪子の最も幸せであった時代の記憶と、かやくごはんとが結びついていることで、この「かやくごはんのおにぎり」が、単に「売れるおにぎり」「自宅では作れないような付加価値のあるおにぎり」を目指しての戦略であるばかりでなく、雪子の人生と深く結びついた、雪子ならではの発想であることも無理なく強調される。決して運や思いつきや商才ばかりで成功して行くのではなく、深い喜びや悲しみに裏打ちされた経験の一つ一つが、その大切な糧となって雪子の人生を支えているのだと、しんみり窺い知ることが出来、そこからまた、雪子に対する親しみや共感が生まれて行ったような気がする。

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2009年7月14日 (火)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・11

 千代の家を出た雪子は、古くからの知り合いで「錦織のおっちゃん」と呼び親しんだ錦織のことを思い出す。錦織は、突飛な発案で新しい珍しいお菓子を製造し、知人と共に「花錦菓子工業」という会社を起こして、今は東京にいる筈であった。
 記憶では、回想場面で雪子に新会社のことを夢中で話しながら、錦織が幾つかの珍しい新案菓子に加えて「それと、ホワイトチョコレート。色は白いけど、味はチョコレートのやつな」と言う場面があったが、その頃、恐らくグリコの「ペロティ」(丸いチョコレートの層の上にホワイトチョコレートの層を重ね、その上にチョコレート彩画が施されていた)等で、既にホワイトチョコレートというお菓子が実際に存在することを知っていた為か、余り目新しい気がしなかったことを覚えている。
 錦織を頼って上京する雪子。記憶では、東京行きの夜汽車の中で気分が悪くなった雪子に、向かいの席に座った男が鎮痛薬か何かを分けてくれる。親切に感謝し、洗面所でその薬を服もうとした雪子は、ふと、宗六が足を捻挫し、千代が焼鏝を当てて治療した時のことを思い出す。高熱に苦しむ宗六を見るに忍びず、近所から氷を貰って来て砕いている雪子の姿を見た千代は「いらんこと、せんといて!」と、笊に入った氷を土間に捨ててしまう――薬や氷の世話にならず、自らの治癒力・回復力を信じよという教えであった。雪子は、薬は服んだことにして座席に戻るが、男は眠りかけた雪子の懐中を探ろうとし、途端に目覚めた雪子は「何しはるんですか!?」と、掏摸であったか、痴漢であったかの危機を逃れる――そういう場面があった。
 しかし、いざ東京に着いてみると、錦織の会社は既に倒産していた。身重の上に心労が重なり、錦織を尋ね歩くうちに倒れた雪子は、菓子問屋・三松堂の婿養子である修に助けられ、店に運び込まれる。修の妻・敏恵とその母とくに、修との仲を疑われた雪子は、いたたまれずに店を出ようとして、商用で訪れた錦織と再会する。
 大衆食堂の二階に間借りして住み、かつて「花錦菓子工業」を共同経営していた煎餅屋の花岡の仕事を細々と手伝いながら、錦織は今も新商売の夢を捨てず、中身は同じでラベルだけを変えた「観光せんべい」の企画を立てたりしていた。その為のラベル印刷の機械を先に発注して、花岡や娘のしげ子の顰蹙を買うような、地に足のつかない所が錦織にはあった。

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2009年7月13日 (月)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・10

 雪子が土地を買い、和風建築を建てる話を進めている家を、千代は自分に売らせてくれと申し出る。それを自ら買い取り、雪子の儲けた額をきちんと渡した千代は、その家に、雪子と宗六が住むように言う。つまり、雪子を宗六の嫁に迎えたいと言うのである。
 堤建設を継いでいる長男の宗之助は、嫁の敬子に会社を牛耳られ、社員や現場の人間の信頼も得られずにいる。千代は、愚かな宗之助を諦め、堤建設の未来を宗六に託そうと考えていた。そうして、雪子ならば、宗六をしっかりと支え、嫁としての務めを立派に果たしてくれるだろう――そう見込んだのであった。雪子が既に、宗六に対して好意以上の思いを抱き、宗六もまた同様であることも、千代は見抜いていた。
 宗六からも求婚された雪子はひどく悩む。許婚者であった牧田とは、一度だけ不本意な過ちがあった。思い悩んだ末、雪子は遂に千代に告白するが、千代は「忘れよ」と言う。過去を誤魔化すのでも隠すのでもなく、忘れよう……その千代の言葉に、雪子は宗六の求婚を受け入れる決心をする。
 しかし、相愛の二人の未来には、どこか不安で不吉な空気が漂っていた。記憶では、それを象徴するように、新所帯の為に雪子が買って来たばかりの夫婦茶碗が、些細な事故で割れてしまう場面があった。
 会社の為に、宗六を政略結婚させる腹づもりでいた宗之助と敬子は、この話に猛反対した。何とかこの縁談を壊そうと、宗之助は雪子の素性を調べ始めるが、程なく千代に悟られ、逆に、会社の株の大半が敬子とその一族に握られていること、自分が名ばかりの社長であり、いつ追い出されても文句の言えない立場にいることを知らされる。宗之助は逆上の余り敬子を問い詰めるが、敬子は巧みに言い逃れを繰り返した挙句、実家に逃げようとする。
 記憶では、敬子を追って屋敷の石段を駆け下りる途中、宗之助は転倒して頭を強打。顔を血塗れにして立ち上がった宗之助を、敬子は冷たく一瞥しただけで、さっさと踵を返して行ってしまう――という場面があったと思うのだが、小説版では、敬子の車を追おうとした宗之助が、後続の小型三輪に轢かれるように書かれている。
 こうした騒ぎの最中に、雪子は思いもよらなかった妊娠を知って愕然となる。牧田の子である。かつての許婚者の子を宿したまま、宗六の妻になることなど出来はしない――。
 雪子は、せっかく掴みかけた幸せを諦め、千代と宗六の許を去る決意を固める。

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2009年7月12日 (日)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・9

 千代から大金を預けられ、それを好きに使って増やしてみるように言われた雪子は、それまでの千代の教えを様々に思い合わせて、土地を買って家を建てて売る――建売住宅でお金を増やすことを考えつく。そうして、宗六に協力を頼んで、堤組の飯場近くで山を持っている地主を訪ねる。
 記憶では、二人が訪ねて行くと、地主の妻が庭先に臼を出して餅を搗こうとしていて、こういうことの丸切り出来ない嫁が叱られている。見かねて声を掛け、手伝いを申し出た雪子は、蒸米を杵で捏ねる手つきを褒められ、更に宗六が杵を持ち、雪子が手返しを担当して餅を搗き始めると、余りに息の合ったその様子から夫婦だと勘違いされる――という場面があった。また、記憶は心許ないが、小説版や新聞記事では、地主を訪ねる途中、川岸で洗いかけの大根を目に留めた雪子が、何となく洗いたくなって、慣れた手つきで洗い始める場面がある。
 こうした様子を見ていた地主は、土地を売る気はないが、和風の家を建てるという条件でなら売っても良い、雪子ならそういう家を建ててくれるだろう、と言う。そうして、造成地に建つ新築の家々を見せながら、「赤い屋根、青い屋根……」と、自分が売った土地に建てられた洋風建築が、付近の雰囲気を損ねてしまったことへの恨みを語る。
 当初は洋風建築を考えていた雪子であったが、地主の条件をのんで、丘の上の良い土地を安く手に入れることに成功する。しかし、千代に事の次第を話すと、和風建築は売れない、何故、洋風建築にしなかったのか、と叱られる。値切るのは才覚だが、施されて心が入ると恩になり、商いではなくなる。地主から恩を受けた為に、土地を安く買えても思い通りの洋風の家が建てられなくなった――。
 雪子はもう一度地主を訪ね、洋風建築を許して欲しいと頼み込む。しかし、堤組の古参の鳶職人らが、和風建築で久々に腕が揮えると喜ぶ姿に、また心が揺れ始める。
 この辺りの記憶では、土地代金の支払いの時に、現金をお腹に巻かず、植木鉢に詰めて持参する場面があった。また、宗六が描く洋風建築の想像図や、鳶職人の椎茸が描く和風建築の想像図が、画面一杯に手描きの線で描かれる場面が印象強い。我家のTVはまだ白黒であったが、丘の上で大空を背景に描かれたその想像図の向こうが、晴れた青空であるかのような錯覚を覚えた。
 結局、雪子は椎茸の描く和風建築を「ほな、それ、お願いします」と依頼する。

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2009年7月11日 (土)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・8

 芦屋の一家心中の家に、一部屋だけしかない家を新しく建てた上で、千代は古い知り合いである人気落語家・幸福亭円満(フランキー堺)を寄席に訪ねる。そうして、この家を円満に売り、その場で買い戻し、更にその日の高座のネタにさせて「縁起なおし」を図る。
 この「縁起なおし」の回で、特に記憶にあるのは、楽屋の場面である。
 千代は、寄席の係員に「母親が来たて言うて」と、円満に伝えさせる。楽屋の円満は、遊びに来た女性ファンたちを他愛ない話で笑わせている所であった。知らせを聞いて、はて、母は死んだ筈だが、落語家になる為に家を出た時、母親の金の入歯を失敬して来たので、それを恨んで化けて出たのかも……と、円満が言うなり、暖簾の向こうから「恨めしやぁ。入歯返やしてぇ」と、千代が両手をぶらんと垂らして幽霊の真似をしながら現われる。「こら、お千代はん!」ぱあっと喜色を湛えて千代を迎える円満……。
 ここで、二人が旧知の間柄であることを悟った楽屋の女性ファンたちが「それやったら、積もるお話もありますやろし、私らは、これで……」と、きれいに退散して行く件りが、何とも言えず気に入ったのを覚えている。
 それから、円満の高座を客席で鑑賞しながら、じっと目を閉じたままの千代を雪子が訝ると、「落語は見るもんやない。聞くもんや」――見た当時はその意味がよく判らなかったのであるが、後にラジオで落語を聞いた時、初めてこの千代の台詞が理解出来た気がした。伝統的な話芸である落語は、生の舞台は勿論面白いけれども、同様に「音だけ」を聞いても十二分に面白い。音声を聞いているだけでも、噺家の身振り手振りまでがちゃんと想像出来るし、音のみに集中出来る分、より深く味わうことが出来るように思う。演劇のラジオ中継というのは余り聞いたことがないが、落語は今でも普通にラジオ番組に組まれているのは、落語というものが「見ても聞いても、同等の面白さが約束される演芸」であるからではないだろうか。
 所で、この幸福亭円満(小説版では、桂春丸)を演じていた俳優さんが誰であったのか、長い間ずっと思い出せなかったのであるが、今回、新聞縮刷版の記事から、フランキー堺さんであったことが漸く判った。ぼんやりと、本職の上方の落語家さんだったかなぁ……位には思っていたのだが、全く違っていた。矢張り、きちんと調べて確認することが大切であると、今更のように感じた次第である。

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2009年7月10日 (金)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・7

 成人した雪子は、強欲な継母の画策で、旧家の惣領息子・牧田との縁談を進められる。式の当日、牧田には愛人も子どももおり、その子を引き取って雪子に育てさせる為に、この縁談が起こったこと、継母も父も承知の上で、自分にだけが知らされていなかったことを初めて知った雪子は、お色直しの隙に披露宴の席から逃げ出す。
 その夜、大阪へ向かう汽車の中で、雪子は一風変わった老婆・千代に出会う。大阪駅で、偽の客引きに騙されそうになった雪子を助けて家に泊めた千代は、雪子の身の上を聞いて、一緒に「自分で働いて食べていく」ことを勧める。
 亡夫と共に、テキ屋から始めて土木建設請負業・堤組を起こした千代は、七十歳を越えた今も、息子たち――堤建設の社長である長男・宗之助と、専務の六男・宗六――の世話にならずに一人で稼ぎ一人で暮らしている、実に頭の良いしっかり者のお婆さんであった。
 千代は雪子を伴い、まず、岐阜の山中で拾って来た菊石を堂島のオフィス街で売る商売から始める。この辺りで記憶にあるのは、雪子がビルの給湯室へお茶を貰いに行っている間に、もう幾つかの菊石を売ったと自慢げに話し、「これがほんまの“お茶の子さいさい”や」と、にんまり笑う場面である。
 次に千代は、早朝の道頓堀で紙屑を拾ってバタ屋に売る。かと思えば、経営者が同じ料理屋とレストランの間に所有する僅か二坪半の土地を、頭を使った駆け引きの結果、五百万円で売って雪子を驚かせる。
 更に千代は、儲けたお金を使って、芦屋で曰く付きの廃屋を買う。蜘蛛の巣だらけで草ぼうぼうの庭先に、昼間から烏が不気味に鳴いているような恐ろしげな屋敷で、一家心中があった縁起の悪さから買い手がつかなかった物件である。
 恐らく、このお話の時のことだろうと思うのだが、記憶にあるのは、即金で買う為の札束を雪子のお腹に巻かせて妊婦に見せかけていた千代が、支払いの段になって、雪子に「ちょっと便所行って、子ぉ産んどいで」――何事かと驚く売り主に対して、事も無げに「いや、金の子、金の子」――と言う場面である。お腹に現金を巻くのは、無論、防犯の為であるが、更に妊婦に見せかけるのは、どんな泥棒も身重の人には手を出さないから……という知恵からである。
 こうして、千代は雪子に、体を使う商売と頭を使う商売の違い、お金の儲け方と使い方――といった大切な事柄を、実践しながら短期間に確実に教え込んで行く。

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2009年7月 9日 (木)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・6

 第1話を始め、見逃して記憶に残っていない回も何話かあるし、小説版で書き変えたり書き足されたりしている所もあるものと思われるし、新聞TV面の解説記事も実際のドラマとは微妙な違いがあるようなので、さて、どのように纏めて行こうかと悩んでしまう。

 まずは、主題歌「琵琶湖慕情」の冒頭で朗読され、小説版・上巻の帯にも書かれ、下巻の終幕にも登場する詩(『細うで繁盛記』の「銭の花の色は清らかに白い……」に相当するもの)から紹介しておく。(引用:『ぼてじゃこ物語(下)』花登筐/著(北溟社・2001)p.340, l.5-8)

  女とは哀しい魚
  愛という餌を求めて
  ひたすらに清い流れをさかのぼる
  針の痛さも知らないで

 滋賀の石山に生まれた雪子は、十二歳の時に実母を亡くし、継母のけいに虐げられて育つ。そんな雪子の心の支えは、実母の八重が口癖のように教えていた「どんな時でも、ぼてじゃこになったらあかん」という言葉であった。
 ぼてじゃことは、琵琶湖に棲息する腹の膨れた雑魚の一種で、鉤を下ろすとすぐに喰いつくほど貪欲な魚だが、食べることも出来ないので、釣り上げられてもすぐに捨てられる――「ぼてじゃこになったらあかん」とは、「目の前に餌があれば見境いなく喰いつき、釣り上げられると捨てられるだけの、ぼてじゃこのようにガツガツした人間になってはいけない。何事も、常に、その餌に鉤が付いていないかを確かめるだけのゆとりを持って生きなさい」という意味の言葉である。
 回想で、実母と湖の浜辺を歩いていた幼い雪子が「お魚が死んでる!!」としゃがみ込み、覗き込んだ八重が「それが、ぼてじゃこや」と教える場面があった。また、小説版・上巻の帯の背には「琵琶湖の魚に生き方を知る」とある。雪子は作品の随所で、この教えに救われ、また、その時々の行動を「私はあの時、ぼてじゃこやったのと違うやろか」と反省しては、より強く賢い人間に成長して行く。
 この言葉は、花登氏の全くの創作なのだろうか。それとも、琵琶湖畔に生まれ育った人々にとっては、古くから馴染みの深い表現なのだろうか。いずれ調べてみたい気がする。
 ともかく、作品の主題と見事に繋がり、全編を通じて非常に強く視聴者の心に残る名言であり、また「地域に根ざした人生訓」(或いは「如何にもその地域で実際に存在する人生訓であるように、素直に感じられる名文句」)として、実によく出来た言葉であると思う。

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2009年7月 8日 (水)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・5

 ここからは、今も記憶しているドラマの場面や台詞を中心に、小説版・新聞縮刷版TV面の記事に助けられながら、やや詳しく物語を辿って行こうと思う。
 なお、記憶・小説・新聞記事のそれぞれで微妙に異なる名称や設定については、ひとまず「最も近いと思われるもの」に統一する方向で纏めて行くことにしたい。
 参考までに、どのような差異があるかと言うと、例えば、雪子が亡母から教わった人生訓――記憶にあるのは「ぼてじゃこになったらあかんえ」であるが、小説版では「ぼてじゃこになったらいかんえ」となっている。また、第1話を解説する『朝日新聞縮刷版』TV面の記事(朝刊)では、
   「細うで繁盛記」の花登筐の脚本による根性ドラマ。亡き母の言葉
   ―「ぼてじゃこ(びわ湖産のタナゴに似たざこで、飯粒でも釣れる
   どん欲な魚)になる」を胸に、懸命に生き、商売を学ぶ女を描く。
 ――と、あるのだが、亡母の教えは「ぼてじゃこになる」ではなく「ぼてじゃこになってはいけない」なので、これでは大切な言葉の意味あいが正反対になってしまう……。
 他にも、堤建設・堤組の名称。記憶にあるのは「堤建設」「堤組」であるが、小説版では「堤川建設」「堤川組」で統一され、新聞では「堤建設」「堤組」と「堤川建設」「堤川組」の双方が使われている。或いは、三松堂の業種。記憶では「菓子問屋」、小説版でも「菓子問屋」だが、新聞では「菓子問屋」「みやげ物屋」と二種類ある。それから、柳食堂の屋号。記憶も小説版でも「柳食堂」なのだが、新聞では「柳屋」「柳食堂」の二種類ある。また、宗六は、小説版では「六男」だが、新聞では「次男」となっている。雪子の実家も、小説版では「草津の雑貨屋」、新聞では「石山のみやげ物屋」である。

 なお、『朝日新聞縮刷版』で見る当時のTV面の番組解説記事は、朝刊では解説欄に縦書きで、夕刊では番組表内に横書きで、それぞれ掲載されている。但し、第3話・第7話・第11話・第18話・第19話・第22話・第27話・第28話・第29話・第30話・第31話・第33話・第36話は、朝刊に解説の掲載が無い。また、第4話・第39話(最終回)の放映日は夕刊の休刊日(祝日・年末年始)に当たっており、第27話は夕刊に解説の掲載が無い。(因みに、第27話の放映された10月7日から、裏番組で『女人平家』(TBS系・21:00~21:56)が始まっている)

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2009年7月 7日 (火)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・4

 次に、小説版と新聞縮刷版TV面の解説記事を元に、判る限りの配役を一覧にしてみる。

 雪子(主人公)……………三田佳子
 千代(堤組の御隠居)……ミヤコ蝶々
 宗六(千代の末子)………本郷功次郎
  宗之助(千代の長男)……高田次郎
  敬子(宗之助の嫁)………扇千景
  けい(雪子の継母)………原知佐子
  牧田輝男(雪子の許婚)…船戸順
  椎茸(鳶職人)……………芦屋小雁
  (役名資料なし)…………谷幹一
  (役名資料なし)…………左とん平
 (役名資料なし)…………田崎潤
 (役名資料なし)…………田中春男
 (役名資料なし)…………山田桂子
 (役名資料なし)…………村松英子
 花子…………………………小林亜紀子
 幸福亭円満(落語家)……フランキー堺
  甚作(地主)………………吉田義夫
 錦織(雪子の知己)………大村崑
 しげ子(錦織の娘)………有岡やよい
  みよ(錦織の後妻)………天地総子
  花岡(煎餅屋の主人)……加東大介
  修(三松堂の主人)………竜雷太
  敏恵(修の妻)……………亀井光代
  とく(敏恵の母)…………沢村貞子
  平沼(税務署員)…………久保明
  主人(料理店の主人)……西山嘉孝
  女将(料理店の女将)……荒木雅子
  マスター(花子の雇主)…近藤宏
  バーテン(花子の恋人)…山本浩司
  老人(先生)………………石山健二郎
  (役名資料なし)…………菅井きん
  (役名資料なし)…………柳谷寛
  (役名資料なし)…………宝生あやこ
  (役名資料なし)…………市村俊幸
  (役名資料なし)…………清水元
  (役名資料なし)…………富田次郎
  (役名資料なし)…………潮万太郎
  (役名資料なし)…………中真千子
  (役名資料なし)…………有島一郎

 なお、鳶職人の般若猫と豆田は、谷幹一さんと左とん平さんが何れかを演じておられたと思う。雪子の父・順吉役は、出演話数から見て恐らく田中春男さんであったと思われる。小林亜紀子さん演じる花子は、千代の近所に住むホステスさんだった気がするが、小説版にも登場しないので自信がない。各々4話以上に出ておられる山田桂子さんと村松英子さんも、役柄の記憶が定かでない。柳食堂の女主人は、菅井きんさんであった筈である。(因みに、大村崑さん演じる錦織は「にしこおり」と読む)

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2009年7月 6日 (月)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・3

 雪子と宗六の結婚に反対する宗之助は、雪子の素性を調べ始めるが、折から、堤建設の株の大半が妻・敬子の一族に握られていることを知る。宗之助は逆上の余り大怪我を負って命を落とし、結局、堤建設は敬子の一族に乗っ取られる。
 一方、思わぬ妊娠に気づいた雪子は、宗六との結婚を諦め、故郷の知己である錦織(大村崑)を頼って上京する。しかし、錦織の製菓会社は既に倒産しており、途方に暮れた雪子は、疲労で倒れて菓子問屋・三松堂の修(竜雷太)に助けられる。そこで錦織と再会出来たものの、修の妻・敏恵(亀井光代)と、その母とく(沢村貞子)は、婿養子の修と雪子の仲を疑う。錦織は、娘のしげ子(有岡やよい)や後妻のみよ(天地総子)と共に食堂の二階に間借りし、かつて「花錦菓子工業」を共同経営していた煎餅屋の花岡(加東大介)の仕事を細々と手伝う身の上になっていた。
  錦織を手伝って問屋街を回るうち、食事をとる暇もない店員たちの姿を見て、雪子はおにぎりの行商を思いつく。やがて、かやくごはんのおにぎりを考案して売り出した雪子は、下町と山の手の好みの違い、関西と関東の味覚の違い、衛生面の問題、商売仇の出現など、次々と直面する失敗や不安材料にもめげず、懸命に試行錯誤を重ね努力を続けた末に、見事な成功を納める。その成功を常に支えたのは、実母の「ぼてじゃこになったらあかん」という遺訓であり、千代から教わった商売の知恵であった。
 節約や工夫を巡る雪子の話などから、旧知の千代が雪子の恩人であることを悟った花岡は、千代に手紙を書く。上京した千代は、雪子を秘かに見守る一方、三松堂母娘の雪子に対する誤解を解くなど、雪子の為に蔭で巧みな活躍を見せる。
 次々と商才を発揮して行く雪子の姿は、周囲の人々にも大きな影響を与え始める。大手製菓会社との契約を切られ、倒産の危機に陥っていた三松堂でも、修夫婦が雪子に触発されて始めたサンドイッチ販売が成功。みよはおにぎりの販売で自立の自信をつけ、税務署員・平沼(久保明)に仄かな思いを感じて錦織との離婚を考えるが、花岡に諫められる。
 やがて、お腹の子の産み月が迫った頃、雪子はおにぎり販売の商売を会社組織化する「花錦弁当株式会社」の構想を皆に話す。
 月満ちて、故郷の病院で無事に男の子を出産し「宗夫」と名付ける雪子。その産褥に、大阪から宗六と千代が駆けつける……。

 ――ほぼ、以上のような物語である。

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2009年7月 5日 (日)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・2

 まず、この作品のあらすじを、ドラマの記憶・小説版・新聞縮刷版TV面の記事からまとめてみる。(注:古い記憶に頼っている部分もありますので、万が一、ドラマと異なる箇所等があっても、どうぞご容赦下さい。拙いながら「ほぼ、こういう感じのお話でした」と、お伝え出来れば……と思います。なお、文中の俳優名は敬称略とさせて戴きます)

 琵琶湖畔の貧しい家に生まれ、早く母を失った雪子(三田佳子)は、その母が遺した「ぼてじゃこになったらあかん」という人生訓を胸に成長。継母・けい(原知佐子)の画策で、旧家の総領息子・牧田輝男(船戸順)との縁談を強引に進められるが、挙式当日、牧田には愛人も子どももいることを知って式場から逃げ出す。
 大阪に向かう汽車の中で、不思議な老婆・千代(ミヤコ蝶々)と知り合った雪子は、千代に気に入られ、同居しながら千代流の一風変わった商売の極意を教えられる。
 堂島のオフィス街で勤め人を相手に菊石を売り、早朝の道頓堀で紙屑を拾って僅かなお金に換え、倹約と工夫で無駄を省いた質素な暮らしを実践する一方、他人の土地の間に所有する僅か二坪半の土地を、駆け引きの末に五百万円で売却し――と、まずはお金の稼ぎ方を雪子に見せた千代は、次に、この五百万円を使って、芦屋で一家心中の曰くが付く廃屋を買い、応接間だけの家を建てた上で、知己の落語家・幸福亭円満(フランキー堺)の高座のネタにさせて「縁起なおし」も果たし、これを売って更に大金を手にする。
 千代は、亡夫と起こした建設会社・堤組――今は堤建設の社長である長男・宗一郎(高田次郎)や、その嫁・敬子(扇千景)とは折り合い悪く、末子・宗六(本郷功次郎)に、会社の行末も含めた期待を掛けていた。飯場の人々も皆、千代や宗六の味方であった。
 次に千代は、雪子に大金を預け、それを使って増やすように言う。雪子は、土地を買って家を建てて売ることを思いつき、宗六の協力を得て地主を訪ね、和風建築を立てる条件で良い土地を安く手に入れることに成功するが、千代から、和風建築は売れない、何故、洋風建築にしなかったのかと叱られる。しかし、千代はその家を買い取り、雪子と宗六に住むように――雪子を宗六の嫁に迎えたいと――言う。宗六からも求婚された雪子は悩み、牧田との過去を千代に告白するが、過去のことは忘れようと言う千代の言葉に、宗六の求婚を受け入れる決心をする。

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2009年7月 4日 (土)

『ぼてじゃこ物語』のこと~ドラマの記憶と小説版を中心に~・1

 花登筐氏の脚本による『ぼてじゃこ物語』は、昭和46年4月8日~同年12月30日まで、日本テレビ系で毎週木曜日の21:30~22:26まで、全39話が放映されている。
 以下に、『朝日新聞縮刷版』通巻第598号~第606号のTV面(朝刊)から、放映日と副題を書き出してみる。(注:話数は便宜上付したものですので、実際のそれとは異なるかも知れません)

 第1話 雪子という女(4.8)
 第2話 商売とは(4.15)
 第3話 はだかの教え(4.22)
 第4話  先の先まで(4.29)
 第5話  人に勝つには(5.6)
 第6話  アッと言う間の五百万円(5.13)
 第7話 釣られた女(5.20)
 第8話 見えぬ針(5.27)
 第9話 うまい金の使い方(6.3)
 第10話 縁起なおし(6.10)
 第11話 雪子と大根(6.17)
 第12話 ほどこしを受けるな(6.24)
 第13話 嫁の資格(7.1)
 第14話 ジャコとヒガイ(7.8)
 第15話 嫁ふたり(7.15)
 第16話 涙(7.22)
 第17話 対決(7.29)
 第18話 衝撃(8.5)
 第19話 別離(8.12)
 第20話 父と子の詩(8.19)
  第21話 下町の顔(8.26)
  第22話 異常な正常(9.2)
  第23話 おにぎり(9.9)
  第24話 観光せんべい(9.16)
  第25話 売れた!(9.23)
  第26話 衛生おむすび(9.30)
  第27話 男ごころ(10.7)
  第28話 ダボハゼ女(10.14)
  第29話 柳の上に……(10.21)
  第30話 わたしは祖母(10.28)
  第31話 江戸っ子、上方っ子(11.4)
  第32話 取り返せ!(11.11)
  第33話 レッテルとのれん(11.18)
  第34話 商いと税金(11.25)
  第35話 笹のおにぎり(12.2)
  第36話 自然なこころ(12.9)
  第37話 別れる日(12.16)
  第38話 結びあう喜び(12.23)
  第39話 ぼてじゃこの子(12.30)

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