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2009年3月20日 (金)

気がつけば400回目のモノローグ……

 3月20日というのは、私にとって忘れられない記憶に残る日の一つである。私ばかりでなく、奈良市立の小中学校を卒業した人であれば、多かれ少なかれ同様の思いを抱いておられるに相違あるまい。何となれば、この日はかつて、公立の小中学校の卒業式と定められていた日だからである。(現在は変わっているかも知れないが……)
 小学校の卒業式も3月20日、中学校の卒業式も3月20日であった。中学校の時など、翌21日が公立高校の合格発表日であったから、卒業式に抱く独特の感慨に加えて、少なからず複雑な思いを胸に、晴れの式に臨んだことをよく覚えている。
 その3月20日である今日、近鉄奈良線の沿線住民である我々にとって、かつてない大きな変化が訪れた。近鉄電車と阪神電車の相互直通運転が始まったのである。平たく言えば、近鉄奈良線と阪神なんば線とが繋がった訳である。
 最寄駅や乗換駅の案内板には、「尼崎/普通」だの「三宮/快速」だのといった目新しい表示がお目見えし、ホームに立てば馴染みのなかった阪神電車の車両が行き交う。TVニュースでは、開通のセレモニーや実際に乗車した人たちへのインタビューが流れ、甲子園球場まで乗り換えなしに行けるとか、喜びの声が色々と聞かれる。
 構想が持ち上がった頃からずっと、余りピンと来ないものがあった私のような人間には、実際に尼崎行きの準急に乗って通勤してみても、劇的な変化が実感されるということはないような気がするのではあるが、ただ、近鉄の車両と阪神の車両では、扉位置や優先座席位置が微妙に異なっていたりするようなので、結構戸惑いそうである。まぁ、それも、慣れるまでの辛抱かも知れないが……。
 そうして、今日はもう一つ、特筆すべき事柄がある。この雑記「日々是筆事」が、今回で遂に400回目を数えるのである。2004年の8月19日から書き始め、同年10月1日の12回目からは「一回千字」と規定を定めて、さぼりさぼり続けて来た。今日までの間に17000件を超えるアクセスを戴き、多くのコメントも戴くことが出来た。気随気儘な文字通りの雑記ではあるけれども、これからも細く長く無理なく続けて行けたら……と思う。
 様々な意味から――私にとって「3月20日」は、矢張り一生涯忘れられない特別な日である。

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2009年3月17日 (火)

目下、結構気に入っていた新番組(ドラマ)のこと

 つい先日、この雑記で褒めたばかりのドラマが、何と、来週で早くも最終回を迎えると言う。
 まさか、たった三ヶ月で打ち切りなのか!? と、次週予告を見るなり、暫し茫然となってしまった。折角、久々に我家好みぽいドラマを見つけたのに、余りに惜しい。あの『サラリーマンNEO』も、1シーズンが半年であるから、まず半年は続くだろうと、勝手に想像していたのである。レギュラー出演陣の顔と役柄が、やっとひと通り一致したばかりだと言うのに……。
 大体が、主人公たちは、まだ法医学ゼミに入ったばかりで、卒業もしていない。レギュラー陣の人間関係も、全て描かれ終えていないように思うし(二度ほど見逃したので、その回で触れられたのかも知れないが……)、第一、主人公の家庭状況や過去などが殆ど語られていないから(もしや、最終回は、それ一本で通すのだろうか?)、まだまだ続くのだろうと安心し切っていた。以前は「1クール(13回)打ち切り」なんて、滅多になかったのに……。
 思わず、知人にメールして訴えた所、意外な事実を教えて貰った。
 最近の帯ドラマは、3ヶ月1クールで終了するそうで、しかも、きちんと全12話(最近は13話ではないらしい)が制作されることなど滅多になく、「10回終了」が多いのだそうである。更に、放映終了後すぐ、DVD-BOXが「べらぼーな値段」で発売され、中には更に高価で特典映像満載の「コレクターズ・エディション」などもあり、しかも、本当の結末は映画に委ねる――何て、不親切極まる形式の「後始末」も普通らしい……。
 素人なりに想像するに――もしかすると、そういう方式で「小刻み&総合的」なドラマ制作をする方が、成功・不成功の見通しがつけ易く、例え失敗しても傷が比較的浅く済み、企画が通り易いのではないだろうか。
 要するに、今はDVD販売や映画化までを視野に入れた、小ぶりで安全性のそこそこ高いドラマ企画が、主流になって来ているのかも知れない。視聴者の反応を見ながら、より良く息の長いドラマ制作を続けて行く――といった作り方は、もう贅沢過ぎるのだろうか。
 それはそれで良いのかも知れないが、そのような中から、半年、一年、或いは数年に渡り「惰性以上の何か」をもって見続けて貰える伝説的な帯ドラマが誕生することなど、滅多に起こらないのではないか……という気がする。制作側の都合が最優先なのだろうが、何だか寂しい。

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2009年3月14日 (土)

「カーネルおじさん24年ぶりに発見」の報に思うこと

 昭和60年に阪神タイガースがリーグ優勝した際、一部ファンによって道頓堀川に放り込まれて以来、行方不明となっていたケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースおじさんの人形が、不発弾の探査作業中、24年ぶりに川底から見つかった――
 最初にその事件を知ったのは、10日の夜にお風呂で聞いたNHKのラジオニュースであった。公共放送であるから、当然お店の名前も人形の名前も伏せた形での報道で、ニュース原稿作成者の苦心(?)の跡を、何だか面白く感じながら聞きつつ、全くの「野球知らず」なりに、少しばかり感慨めいた気分を覚えたものであった。
 嫌な事件続きの昨今、久々に楽しい明るい話題であったこともあろうが、この件に関する関西の報道と関西人の反応は、流石であった。
 産経新聞では、11日朝刊1面の「上半身発見」記事に始まり、同日夕刊には「下半身・右手発見」、翌12日朝刊では「市長からKFCへ引き渡し決定」、13日朝刊は「カーネルおじさん、平松市長を表敬訪問」、今朝14日の朝刊には「カーネル故郷に帰る」と題して、日本KFCが大阪市からおじさんの人形を受け取った記事――
 こういうことが、ここまで大きな話題になること自体、既に「如何にも関西」である。くいだおれの女将さん始め、多くの著名人も次々に驚きと喜びの声を寄せて、もう、賑やか華やか――関西人(特に大阪人)は、活気づけの起爆剤となりそうな象徴的事物が、無条件に好きなのかも知れない。
 そんな中で「鯖江の眼鏡」の記事には、思わず涙が零れてしまった。鯖江のメーカーに一つだけ残っていたおじさんご用達の眼鏡が、かつて民放の番組(恐らくテレビ朝日の「あの」長寿番組だろう)が所在を確認していたお蔭で、今回、即座に寄贈の運びとなったと言う。番組の努力も報われ、おじさんは新調の眼鏡で新人生に臨めることになった訳である。
 所で、10日の晩――既に、作業担当の方々を含む世間の関心が、まだ見つかっていないおじさんの足や眼鏡やステッキの方に向いているような雰囲気を感じた瞬間、私は思わず、こう突っ込んでしまった。
「ちょっと待て~!! おっちゃんのステッキ探してる間に、万が一、不発弾が“ドカン☆”ていうたら、どないすんねん!!」
 幸い、そのような事故もなく、おじさんは「ほぼ無事」に救出されたのであるが、この騒ぎの中、つくづく「私も関西人やなぁ……」と思ったことであった。

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2009年3月12日 (木)

革手袋雑感・再

 今日の産経の朝刊に、向田邦子さんの「手袋をさがす」に絡む記事が掲載されていた。
 一昨年の晩秋頃であったか、革手袋を巡る雑感を書いた時、ふと思い出して触れた随筆である。1976年の《PHP》夏季増刊号に掲載され、1981年10月発行の単行本『夜中の薔薇』に収録されている。
 向田さんが22歳の時、気に入った手袋が見つからず、その性格故に適当な品でお茶を濁すことを良しとせず、一冬を手袋なしで過ごした際の顛末を中心に、自身の生き方に対する考えにまで言及しておられる一編である。
 意地になったように手袋をはめずに通勤を続け、その為に風邪をひいても、母親に叱られても、上司から暖かく注意されても妥協することなく――返って、その上司の言葉をきっかけに、「ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことん、そのイヤなところとつきあってみよう」「反省するのをやめにしよう」と決め、翌日から求人欄を当たり、転職し、やがてシナリオ作家となり……なお様々に不満を抱きながら、今だに「手袋をさがしている」ということを「たったひとつ私の財産といえる」と書いておられる……。
 向田さんほどに、意志も個性も生き方も「強い」女性であればこその文であると、読む度に思う。私のような「あかんたれ」にはとても真似出来ないし、向田さんのようにはなれない自分が、むしろ自分らしく思われる。
 で、そのような私が、私なりに探し続けている、気に入った手袋は――例えではなく、本物の手袋は――目下の所、まだ見つかっていない。
 前にも書いたが、私が欲しいのは、裏地の付いていない羊革の手袋である。百歩譲って牛革でも良いのだが、とにかく、一重仕立てのものでないとうまく手に馴染まず、横着に「手袋をはめたままで定期を出し入れ」したりすることが出来ない。
 しかし、最近の手袋売場には、どういう訳か裏地付きの革手袋しか見当たらない。店員さんに訊ねてみても、「最近は裏地付きばかりになっておりますねぇ……」という答えが返って来るばかりである。中には「(裏地があっても)革は手に馴染みますでしょ?」と仰言る店員さんもあるのだが、店員さんの「馴染む」と私のそれには、感覚的なずれがある。
 結局、私は今年も「お気に入りの手袋」に巡り会えないまま、冬の季節を終えようとしている。来年こそは巡り会えるか否か……それもまた、気長な楽しみの一つと考える、呑気な私である。

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2009年3月 6日 (金)

「色紙・短冊印刷機能付きプリンタ」の発売を待ち望む思い

 知人の娘さんの初節句に、お名前を詠み込んだ折句を作ったので、どうせなら色紙に印字したいな……と思い立ちはしたものの、さて、その方法が皆目判らない。
 単純に、CD−Rの印字用トレイをセットする要領で出来るのでは……何て考えたのだが、折悪しく肝心のプリンタが故障してしまい、結局、職場のプリンタを借りて普通紙に印字したものを色紙に切り貼りして、若いモンに頼んで桃のカット等を入れて貰い、何とかお茶を濁すことになった。
 で、故障したプリンタを修理するか買い替えるか――どうせなら、色紙印刷の出来るプリンタが欲しいと思って探してみたのだが、どうも、家庭用ではまだ製造されていないらしい。
 もしかしたら、色紙や短冊の類は、一般的に毛筆での手書きが大前提となっていて、プリンタでの印字など、余り需要が見込めないのだろうか。確かに、書画や押絵やちぎり絵などの他に、色紙が使われる例は、寄せ書きかサイン位しか思い浮かばない。
 また、多くの色紙は和紙であるから、多分インクが滲むだろうし、思わぬ汚れが付着する恐れもありそうである。
 けれど、ワープロで作成した筆文字の短歌や俳句を、色紙や短冊に印字出来たら、随分と楽しみが広がりそうな気がする。何より、前述の「切り貼り即席色紙」は、想像以上に好評を博した。
 手書きは嫌いではないが、生来の悪筆ゆえ、色紙に直筆する勇気など全く湧かない。無論、正式に書画を学んで、誰に見せても恥ずかしくないような字が自在に書けるようになってから、色紙や短冊に美しく散らし書きして、初めて人様に贈ることを考えるのが筋なのかも知れないが、自作の詩歌にフリー素材の挿絵など添えて、色紙や短冊に美しく印字して楽しみたい……何て欲求も、決して言語同断の我儘ではあるまい。
 俳画だの絵手紙だのが随分ともてはやされ、年賀状やグリーティングカードの作成ソフトであれば色々と発売されている時代なのであるから、そういう趣味もまた、市民権を得て然るべきではないだろうか。
 色紙・短冊作成機能を備えたワープロソフトと、色紙・短冊印刷が可能なプリンタさえあれば良いのである。欲を言えば、インクジェット用の滲まない色紙や短冊があればなお嬉しい。
 出来上がりを押し付けられる界隈の皆さま方には、端迷惑以外の何ものでもないかも知れないが、自作詩歌の色紙・短冊印字――何とか、実現しないものだろうかと思う。

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2009年3月 4日 (水)

サスペンス・ドラマの絡みで、ちょっと思い出したこと

 ある人物の言によると、推理小説ファンにとって、2時間物サスペンス・ドラマほど許せないものはないのだそうである。その人物には、絶対に譲れない大問題であったらしく、随分と熱弁をふるわれた記憶があるが、細かいことは忘れた。
 こういうことは、好みの問題と言うか、人それぞれなのではないかと思うが、私など、かの『赤髪組合』でさえ、結末を忘れ果てた状態でカセットブックを聞いて、「有名な推理小説を二度楽しめて、返って得したみたい」だと単純に喜んだような人間であるから、決して偉そうなことは言えない。
 けれど、犯罪物の2時間ドラマは、結構好きな方である。物語自体の面白さは勿論、実は、出演しておられる俳優さんの「格」と言うか――概そのキャリアやイメージ等から、ある程度の「真犯人予測」をつけたりするのも、原作付き作品の映像化を見る際の「配役想像の楽しみ」の延長みたいな感じで、楽しみの一つとなっている。
 例えば、ここまでの展開で一番怪しそうなのはAだが、それだと、わざわざBの役でこのレベルの俳優さんを起用した意味がなさそうだから、きっと真犯人はB!!――何て、物語を外れた明後日の方向で、推理ならぬ推測を巡らせるのが結構面白い。
 また、推理のド素人である故に、下手な推測をして外れた時の「落差を楽しむ」――何て、ひねくれた楽しみ方も捨て難い。
 もう随分前になるが、財前直見さんがスチュワーデス役で主演しておられた2時間物ドラマで、殺人に使われた凶器がメス様の刃物であることから、まず、医師役の石黒賢さんが疑われ、また、名ソムリエ役の一路真輝さんにも疑惑が向く……みたいな筋のものがあった。
 この時、私は素人なりに、まず石黒さんと一路さんは無実だろう……と推測した。板前さんが魂たる包丁で他者を殺傷するようなことは絶対にないだろうし、プロであればある程、誇りの象徴とも言うべき商売道具を穢すようなことは、まず考えられない。ならば、医師がメス、ソムリエがソムリエナイフを凶器に使うこともない筈だから、これは、石黒さんか一路さんを犯人だと見せ掛けておいて、実は他に、十徳ナイフでも巧みに使った真犯人が必ずいる筈……。
 そうして、この私の素人予測は見事に外れた。(再放送があるかも知れないので、どう外れたかは書かないでおく)
 こんな楽しみ方をするのは私だけかも知れないが……そこはそれ、人それぞれで良いのだと思う。

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2009年3月 3日 (火)

目下、結構気に入っている新番組(ドラマ)のこと・後

 作品そのものに関して、強いて難を挙げるならば……二つ、あるだろうか。
 一つは、主人公たちの交わすマシンガンのような日常会話が、どうしても聞き取り切れなかったり、意味がよく判らなかったりすること。
 若者特有の言い回しもあろうが、ぽんぽんと息も切らさず、まるで激しく口論でもしているかのような台詞の応酬(日常会話の一部である)は、余りに目まぐるしく進められてしまうので、私などにはとてもではないが付いて行けない感がある。
 しかも、その会話の中に、問題解決に繋がる重要な事項が、ぽろり、と飛び出すことも多いので、ぼーっと聞き流す訳にも行かず、何とも困ってしまう。若い視聴者には、あのテンポでないと、返って現実味が感じられなくなるのかも知れないが……。
 もう一つは、素人目にも、こじつけ・不自然・強引……と映る要素が散見されること。「ん?」「あれ?」と思った途端に、ドラマの世界に浸っていた意識が、ぱっと現実に引き戻されてしまうので、これが何とも惜しまれる。
 具体的には……例えば、鶴田真由さんがゲストの回で、路上で卵を持って感電死した故人(鶴田さんの夫)が、死の直前に結婚指輪を外して家を出た、その本当の理由に、主人公が気づくきっかけとなる場面。
 未亡人となった鶴田さんは、その直前に夫を傷つけるような言葉を浴びせてしまっていたことから「結婚指輪を置いて出て行った」=「夫に愛想を尽かされた」――のだと思い込み、激しい自責の念に駆られている。しかし、主人公は「指輪を外した」=「妻の為に慣れない料理を作ろうとした」――のではないかと思い当たり、それを見事に証明する。
 この展開のきっかけとなるのが、主人公たちの溜り場の一つである沖縄料理店で、店主が洗い物をする為に指輪を外す場面なのである。
 調理も給仕も客捌きもこなす店主が、指輪をはめて店に出ていたり、水仕事の度に指輪を外して作業を始めるというのは……効率面からも衛生面からも、どう考えても不自然である。
 せめて、余りの繁盛ぶりに、お節介な常連客の一人が「洗い場を手伝う」と申し出て、そこで指輪を外すのを目にした主人公が、ぱっと閃くものを感じるとか……そういった場面であったならば、まだ自然に感じられて、引っ掛かることもなかったのではと思うのだが……。
 ともあれ、何やかや言いつつ、結局は見続けている、最近お気に入りのドラマである。

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2009年3月 2日 (月)

目下、結構気に入っている新番組(ドラマ)のこと・前

 珍しく、続けて見ている民放のドラマがある。医大の法医学ゼミが舞台のお話で、これが毎回なかなか「我家好み」の展開を見せてくれるので、妙に気に入っている。
 法医学と言っても、たまに再放送で見る名取裕子さん主演の2時間ドラマ(あれも結構好きであるが)とは異なり――勿論、ドラマは毎回、変死体の司法解剖から始まる訳で、死因究明など「謎解き」の面白さは重要な要素になっているのであるが――基本的にはサスペンス・ドラマではなく、ヒューマン・ドラマとして仕上げられている所が面白い。
 医大での司法解剖によって死因が判明した時点で、警察は「解決」とし、法医学ゼミの役目もそこで終わる。しかし、このドラマの主人公ら――法医学者の卵であるゼミ生らは、それだけでは足りない「何か」を感じ、自主的に解剖データの再分析・再検証を丹念に重ね、遺族を訪ねて故人に関する話を聞き、実際に現場に出向いて観察し、推理し……そうして新しく得た様々なデータや手掛かりを、豊かな想像力によって組み合わせ繋ぎ合わせ、意外な鍵を見い出して、本来ならば決して明らかにはならなかったであろう「真相」に迫って行く。
 死因の確定だけでは到底納得出来ない遺族の思い、通り一遍の捜査や検死や解剖だけでは、誤解されたまま終わっていたであろう故人の真実の思い、思いもよらぬ死に至るまでの経緯、等々――恐らくは、遺族が一番知りたく思うであろうこと、故人が一番伝えたく思っていたであろうことを、まだ学生である彼らが、自分たちの意志で次第に明らかにして行く過程が、見ていて非常に心地良く、終幕には思わず、遺族や故人に代わって彼らにお礼を言いたくなってしまうような……そんなドラマである。
 主役は『篤姫』で小松帯刀を演じていた瑛太氏。脇で久々に名高達郎さんや時任三郎さんの顔も見た。毎回のゲスト陣も演技派の俳優さんが多く、安心して見ていられる。
 ただ……白状すると、恥ずかしながら(いや、いつものことだが)、主役以外のゼミ生4名(男子3名、女子1名)を演じている若い俳優さんらは、3~4回見て人物関係がある程度明らかになるまで、なかなか顔を覚えられなかった。特に、女子のゼミ生と女性助教授が殆ど見分けられなかったのは――助教授役の女優さんがかなり若く見えることもあったとは思うのだが――何より情けなく、改めて己が「人物識別能力」の低さを思い知らされた気がした。

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