“日常の和装”に憧れる思い・4
この夏、知人が習っている三味線のおさらい会にお招きを受けて行った時、何より驚いたのは、まだ若い生徒さんの中に、浴衣をつんつるてんに着て平然と舞台に上がった人がいたことであった。
会場のお座敷で、たまたまその子(多分、短大生か大学生くらいではないかと思われた)が私の前に座を占めた時点では、多分、私と同様に観客として招かれた生徒さんの家族か知人なのであろうと考えていた。実際、時節柄や場所柄に合わせて、浴衣や絽や綿絽の着物を着て来ておられたお客さんは多かったし、例の天神祭で、若い子らの間ではそういう着方が多いことは知っていたから、余り気にせずにおこうと思ったのである。それだから、プログラムが進んで、やがてその子が舞台に上がって三味線を弾き始めた時には、本当に驚いてしまった。
有名な落語家さんが主催しておられる会なので、司会や鳴物や受付など、直弟子の方々も大勢お手伝いに来ておられたのだが、そういった方々が実に自然にきちんと浴衣を着ておられたことも、余計にその子の着方を悪目立ちさせる結果になったように思われる。
折角、若いながら三味線という和楽器に興味を持ってお稽古し、おさらい会にまで出られる程に上達しておられても、また、仮に、そうした着方が若い人たちの間で市民権を得て来ているのだとしても、あれではぶち壊しになってしまいそうである。底意地の悪い姑根性むき出しの観客であれば、本人ではなく、それを黙認した師匠を非難するかも知れない。何とも惜しい話である。
それにしても、ああした着方は、本当に市民権を得て来ているのだろうか。私には、ごく一部(例えば、若者向けの和装事情を取り上げた雑誌の記事や、夏祭を報じるTVニュースの映像など)で「認められているように錯覚させる」ような扱われ方をしているのを、単純に「あんなのもOKなんだ」と勝手に都合良く信じ込んで、そういう着方をしてしまっているだけのような気がしてならないのだが……。
必要最小限は守られるべきTPOよりも、各個人の好みや都合や流行が優先されてしまっては、相応のけじめに守られて構成されるからこそ心地よい折角の“場の雰囲気”が、台無しになってしまうように思う。「気軽に着て楽しむ」ことも大切だが、そればかりを推奨していては、和装文化そのものが薄っぺらなものになって行ってしまうのではないか……素人なりに、そんな懸念を覚えてしまう。
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