“日常の和装”に憧れる思い・3
しかし、最早、外国の映画やドラマで驚いているどころの騒ぎではない……と痛切に感じたのは、昨年、大阪環状線で、天神祭に向かう「奇抜極まる着方の浴衣軍団」に遭遇した時であった。詳しくはその時の雑記に書いたので省略するが、ああいった何でもござれのような着方は、最近のファッション雑誌か何かが意図的に誘導したものなのだろうか? それとも、とにかく一人でも多くの若い子らに着物を着て貰わねばという業界の苦肉の策から生まれた、一種の徒花のような現象なのだろうか?
実は、あれ以前から強烈に記憶に残っている、ある場面がある。
それは、何年か前の紅白歌合戦の時であったのだが、既に早い時間帯に歌い終えた若い女の子らが、先輩の応援の為であったか、舞台袖に振袖姿で再登場して、司会者の横に並んだのだが……その姿を一目見るなり、父が思わず「何や、あれ!?」と叫んだ。
それは、ちょっと信じられないような「着方」の振袖姿であった。決して、でたらめな着方でもなければ、だらしない着方でもない。ちゃんと、その道のプロが相応の時間を掛けて丁寧に着付けたものであろう、極めてきちんとした着方ではあった。
しかし、彼女らの立ち姿たるや……最早、「着物に着られている」といった段階など飛び越して、着物に縛り上げられている、着物に固められている、とでも表現するしか無さそうな――まだ、木目込み人形の方が遙かに自由が利きそうな雰囲気の、ここまで来るともう、窮屈そうだとか着慣れない感じだとかいった言葉などではとても追いつかない位の――何とも惨憺たる代物であった。
帯も着物も、ごく普通に仕立てられた結構上等の品に見えた。帯揚げも帯締めも同様であったと思う。決して着付けが悪いのではない。着付けた人の責任では絶対にない。着ている子らの中に、そもそも「着方」「着こなし方」という意識自体が存在しないのではないだろうか……そんな風に感じたものであった。
「まるで拘束服やがな。あんな着方して貰ろてまで、着物の文化に生き残って欲しいとは思わんなぁ……」
――父の漏らした如何にも嘆かわしげな響きに満ちた言葉と溜め息が、今も耳に残っている。
随分「日常の和装」から離れて来てしまった感じであるが、もう少し続けてみる。
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