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2007年5月12日 (土)

二千余の日と夜を越えても・前

 今、各方面から大きな支持を得て売れ続けている歌がある。今日も、仕事帰りに立ち寄ったレコード店で、特設コーナーを設けて流しているのを見掛けた。恐らく、今世紀を代表する名曲の一つとして、記録に残るロングセラーとなる曲であろうと思われる。
 私がその歌を初めて聞いたのは、昨年末の紅白歌合戦であった。その歌の存在は以前から知っていたし、9・11を機に全世界に広まり、数多くの人の共感を呼んで心の痛手を慰め続けている素晴らしい曲である――と伝え聞いていた。しかし、実際に耳にしてみると、それは私にとってはまだまだ辛過ぎる曲であった。クラシック畑の歌い手さんの朗々たる声の響きが、それを更に増幅させ、歌詞の一言一言がぐさりぐさりと胸に突き刺さっては、新たな傷口を開いて行く感じ、とでも言えば良いか――余りの辛さに、とうとう、途中で電源を切ってしまった。
 私は元来、悲しい歌詞を長調の旋律に乗せて歌うと、歌詞の持つ悲しさが倍増されて迫って来るように感じてしまう所がある。それに加えて、その歌に関しては、矢張り七年前のことがどうしても思い起こされてならず、素直に「良い歌だな」と思って聞く余裕が持てなかったようである。決してその歌が良くないという意味ではなく、その歌を聞く側の事情や心情が実に様々であるせいで、そのような感じ方になってしまったのである。
 七年前のあの日、「今、泣いてしまったら自分が崩れてしまいそう」な気がして、そのまま無意識に泣くことを禁じてしまった結果、自業自得とは言え、どれほど「余計に辛いだけ」の思いを味わうことになってしまったか……そのことが痛切に思い起こされる。しかし、あの時は、本当にあれが精一杯の選択であった。そうすることが果たして自分にとって正しいことであるのか間違っているのかをさえ、考えることも判断することも出来ない中で、恐らくは自分を守る為の手段として、本能的にそうすることを選んだものであろうと思われるが、結果としては「あの時、泣くことが出来ていたら、多少は楽になれたのでは……」と、身勝手に悔やむ思いを抱き続けることになってしまった。
 そうして、五年半近くを過ごし、ある時ふっと「二千日の間、泣かずに頑張り続けて来たのだから、もう、泣いても良いだろうか」と思い、その思いを詩の形に綴ってみようと、題名だけを仮に拵えてみたのが「二千の日と夜を越えて」であった。

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