「果敢ない(かかんない)」という奇妙な振り仮名のこと・再続
昨日、アルバムとシングルCDの情報を教えてくれた知人は、「最初、何か変な感じがするけど、こういう読み方もあるのかな? 位に考えただけで、そのまま来ていました。曲そのものも、歌っている声優さんも、とても好きなので、これからもカラオケなどで歌いたいと思いますが、その時、この通りに読んで歌う方が良いのか、それとも正しい読みに直して歌う方が良いのか、悩んでいます」――と言う。
私も国語の専門家ではないし、まだ『新明解国語辞典』と『広辞苑』と『国語大辞典』(第4巻・第16巻)の三つでしか調べていないし、何よりも、詩人・作詞家といった職業の方々は、表現の為には「敢えてこう読ませる」「こういう新しい読みを創る」といったことを折に触れて行うものであるから、この場合にも、もし、作詞者側が意図的にそうした含みを持たせた上で、あのようなルビを打ち、そのように歌うよう指示しておられたのであったならば、一概に「明らかな間違い」であると断言することまでは出来ないかも知れない。しかし、ごく普通の一般的な国語感覚で考えるならば、あれは矢張り、素直に「はかない」と読まれるべきではないだろうか……と思われる。
仮に、「自分の支持する歌手がそう歌っているのだから、断固としてその読み方が正しいという立場を貫き、歌っている通りに歌うべき」――などという考え方が存在するのであれば、それは、支持している相手に対して、返って失礼に当たる行為ではないだろうか。もしも、当事者らが既に自ら間違いに気づき、痛々しいまでに反省し、自らを激しく責め続け、出来ることなら記憶の彼方に葬り去りたいとまで、密かに思い詰めているような場合であれば、頑なにそのままの形で延々と歌い続けて行くことは、贔屓の引き倒しどころの騒ぎではなく、逆にその間違いを嘲笑い責め苛んで、相手の傷を抉り続けることになるのではないだろうか。むしろ、聞き手(ファン)の立場として、思わぬミスはミスとして認め、滅多にない事故として理解し、将来に向かっては「正しい読み」で歌い継いで行く方が、送り手(歌手・スタッフ・作詞者)に対する、より確かで暖かな応援・激励に繋がるのではないかと思う。
少なくとも、ルビにミスのあった塩沢さんの曲を口ずさむ時、私は今も、必ず正しい読み方で歌うようにしている。塩沢さんもきっと、そうした形で歌い継がれて行くことを望んでおられる筈だと思うからである。
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