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2007年1月28日 (日)

一月二十八日に寄せて

 一月二十八日である。
 ふっと、お元気でいらしたら、今年でお幾つだろうか……と、数えてみる。考えてみれば、こんな気持ちになったのは実に7年振りのことである。もしかすると、これもまた、時間の経過と共に多少は心に余裕めいたものが生まれて来てくれている証拠の一つであるのかも知れない……と思われ、そこでまた、新たな物思いを覚えて沈み込む……。つくづく、厄介な奴である。
 思えば、今だに「泣くこと」が出来ないまま来てしまっている。あの折、人目も憚らず涙が涸れるまで思うさま泣き喚くことが出来ていたならば……と、今も思う。下手に「泣くこと」を自分に禁じてしまったことが、返って辛い結果を招いてしまった訳ではあるのだが、それでも、当時はあれが、あの時の自分に出来る精一杯の選択であったのであるから、今となっては、それで良かったのだと考えるしかない。また。そんな風に思えるようになって来たことも、心の余裕が出来かけて来ていることの表われなのかも知れない。
 こういうことは、結局、自分で慣れて行くしかない――事ある毎に、そう感じる。そうして、時間こそが何よりの薬であるのだということも、その都度、再認識する思いがする。無論、友人知人の言葉を始め、歌や音楽、小物や人形、色彩や香り……といった様々なものに、折々に励まされ力づけられ慰められ勇気づけられ続けて来たことも、それぞれに得難い心の妙薬となった筈である。このどう仕様もなく脆弱で頼りない心の奴は、これからもまた、時間と共にそうした種々の力に支えられながら、辛うじて細々と存在を続けて行くことが出来るのであろう。
 そう言えば昨日、仕事帰りにふらりと立ち寄った雑貨店で、思わぬ品を見つけてしまった。濃紫と薄紫の色石で四枚の羽を表わした小さい蝶のペンダントである。かの星の男神は、ひつじ化するのが余りにそぐわないような状況の時、濃紫の揚羽蝶に化身して女神の肩先に止まる――まるで、誰かが《星の実》の軌道修正を暗に迫っているかのようで……思わず衝動買いしてしまったことではあったが、しかし、こうした品との巡り会いもまた、ある種の心の和みに結びつくものであることは確かである。
 今、一月二十八日は、こうしたことどもをぼんやりと思い巡らせる日となっている。

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